2017 02/13
著者に聞く

『トルコ現代史』/今井宏平インタビュー

オスマン帝国の崩壊から現代までを概観する『トルコ現代史』を上梓した今井宏平さん。トルコ共和国の百年の歴史に取り組んだ理由や、現在のトルコの米国や日本国との関係などをうかがいました。

――なぜ本書をお書きになったのでしょうか?

今井:トルコは、2002年に公正発展党が政権を握ってから、経済的に安定成長を続け、国際的にも存在感を強めつつあります。最近はトルコ国内で多くの事件が起こり、隣国のシリアやイラクの混乱への対応、難民問題をめぐるEUとの関係などもあって、トルコの政治と外交への関心が、日本でも次第に高まってきているように感じます。公正発展党出身のエルドアン大統領と安倍首相との良好な関係、2014年末から15年初めに上映された日本とトルコの合作映画『海難1890』も、そうした動きを促進していると思います。

ところが、トルコ共和国について知ろうとすると、冷戦期以降のありようをおおづかみに理解できる概説書があまりないことに気がつきます。トルコに関しては、新井政美先生の『トルコ近現代史』(2001年、みすず書房)が通史として非常に優れていますが、力点が置かれているのはオスマン帝国末期からトルコ共和国初期の時代です。また、松谷浩尚氏の『現代トルコの政治と外交』(1987年、勁草書房)が共和国初期から1980年前後までを詳しく扱っていますが、その後の35年間の歴史については当然のことながら扱われていません。とはいえ、最近のトルコ、特にエルドアン大統領や公正発展党の政策を深く知るためには、やはりそれまでの大きな歴史の流れをつかまないと理解できない部分が出てくるでしょう。

そこで、1923年に建国したトルコ共和国の1世紀に及ぶ歴史を一冊にまとめようと思い立ち、本書を執筆しました。

――本書のテーマは何かありますか?

今井:本書のテーマはトルコ共和国の「継続と変容」です。冒頭にも書いていますが、その際のキイワードは「6本の矢」です。これはなにかというと、トルコ共和国建国の父であるムスタファ・ケマルが、西洋をモデルとした近代化・文明化を達成するために掲げた6つの原則――共和主義・民族主義・人民主義・国家資本主義・世俗主義・革命主義のことです。この6本の矢は、ケマルが率いた共和人民党の党旗にも描かれています。

ケマル亡き後も、トルコの為政者たちはこれら6つの原則を緩やかな指針とし、政治の舵取りを握っていったのです。しかし、時代が下るにつれ、この6本の矢も、現実に即するかたちで緩やかに変化していきます。なので、この6本の矢の行方を追うことで、トルコ100年の政治の継続と変容を浮き彫りにすることができると考えました。

――では、現在のエルドアン大統領が主導するトルコにおいて6本の矢はどのように継続しているのでしょうか?

今井:わかりやすいのは、世俗主義についてでしょうか。ここでも継続と変容を見ることができます。

ムスタファ・ケマルは、イスラームの後進性がオスマン帝国崩壊の原因だと考えていたので、その轍を踏むまいと、世俗主義を志向しました。現在の単独与党、公正発展党はイスラームを重視する政党ですが、世俗主義が国是である以上、自分たちを「イスラーム政党」とは決して言いません。また、エルドアン大統領が首相であった2011年に「アラブの春」直後のエジプト、チュニジア、リビアを訪問した際、政治における政教分離の重要性を強調しています。

ただ、実際のところ、ケマルによるエリート中心の改革は、国民の90パーセント以上がムスリムであるトルコでは相当に急進的であったと思います。西洋列強の帝国主義を打ち破り、トルコという国家を建設した点で、ケマルは全てのトルコ国民から尊敬されています。しかし、その改革に関しては、ヨーロッパに近いイスタンブルや首都のアンカラといった大都市、地中海・エーゲ海沿岸に住む人々には受け入れられましたが、保守的な風土が残るアナトリア中央部や黒海地方、シリアやイラクに近い南東部の人々にはついていけないところがありました。また、こうした地域に住む人々には、経済発展から取り残されているという意識がありました。人口の点からみれば、圧倒的に多いのは後者の人々です。やがて、職を求めて次第に都市部へも流入していった彼ら保守的な人々は、公正発展党のイスラームの重視を含む保守的な性格(公正発展党政権期にはそれまで禁止されていた公共の場でのスカーフの着用が許可されました)や、経済利得を弱者にも配分する政策を、厚く支持するようになったのでした。

世俗主義を掲げたケマルも、親イスラーム的なエルドアンも、トルコを大国にして人民を幸福にしようという共通した強い目的意識をもっています。ですが、6つの原則の掲げ方や解釈に注視すれば、為政者としての性格の違いが明確になるのではないでしょうか。もちろんこれは、ケマルやエルドアンにかぎらず、イノニュやオザル、デミレルといった歴代の首相・大統領の政策を見る大事な視座になります。

――トルコの外交を見るうえでの視座を教えてください

今井:トルコは従来、国家と地域秩序の「現状維持」および西洋化を外交の指針としてきました。しかし、現在ではそれも変容しつつあります。2011年の「アラブの春」以降、トルコは地域秩序の「現状打破」を目指しましたし、西洋化に関しては、EU加盟交渉を継続してはいますが、公正発展党政権下で中東への関与を深めたり、ロシアや中国との関係にも力を入れたりするようになりました。

もう一つ、外交において重要なのは地政学的な見方です。ヨーロッパとアジアの架け橋といわれるトルコですが、冷戦期はソ連と陸続きで国境を接し、湾岸危機とイラク戦争の舞台となったイラク、現在難民問題やIS(イスラーム国)問題で揺れるシリアとも長い国境を接しており、国際社会の難問につねに直面している国でもあります。この地政学的条件によって、トルコは国際的に重要な国であり続けていますが、それは裏を返せば常に安全保障上の脅威を抱えているということにもなります。例えば、現在問題となっているシリア内戦に関して、シリアと910キロメートルにわたって国境を接するトルコは内戦収束に欠かせないアクターの1つであり、国際社会にもその重要性は認知されています。また、トルコはEUへの難民流入の防波堤となる一方で、トルコには2011年4月以降、シリアから300万人にのぼる難民が流入しており、その経済的負担は限界に達しつつあります。シリア難民に市民権を与える措置も検討されていますが、これも賛否両論あります。さらにトルコは2015年夏以降、ISから攻撃の対象とされ、テロが増加しつつあります。このように、シリア内戦のような隣国の危機は、外交だけでなく、トルコの内政にも大きなインパクトを与えています。

――あらたにトランプ大統領が就任したアメリカとの関係はいかがでしょう?

今井:今のところ、ドナルド・トランプ新大統領との関係は良好に見えます。例えば、大統領選挙当日、その後国家安全保障問題担当大統領補佐官となるマイケル・フリンがウェブ上の雑誌に「トルコは重要」という趣旨の論考を書いています。

また、バラク・オバマ前大統領や、大統領の座を争ったヒラリー・クリントンとくらべて、2つの問題でトランプ政権はトルコにとって良い交渉相手と考えられています。1つ目は、シリア内戦におけるクルド勢力「クルド民主統一党(PYD)」との関係です。PYDはアメリカをはじめとする国際社会から、シリアにおいてISに対抗できる有力なアクターとして、軍事援助を受けています。一方で、トルコ政府はPYDを非合法武装組織である「クルディスタン労働者党(PKK)」と同一の組織と位置づけ、PYDへの支援に反対しています。オバマやクリントンがPYDへの支援を明言していたのに対し、トランプは表立ってPYDを支持する発言はこれまでしていません。

2つ目は、アメリカのペンシルバニアに滞在し、トルコ政府が昨年の7月15日に起きたクーデタ未遂の首謀者と見なしているフェトフッラー・ギュレン(ギュレン運動の中心人物。本書p.203)の引き渡しに、トランプは前向きな姿勢を示している点です。とはいえ、トランプ政権は発足したばかりですので、両国関係はまだ手探りといったところでしょう。

――では、日本との関係はどうでしょうか?

今井:オリンピックの開催地決定の際にお互いの健闘を称えあうなど、エルドアン大統領と安倍首相の関係が良好なのは、よく知られています。また、両国の関係を象徴する近年の大きな出来事として、トルコ政府と日本政府が共同して、イスタンブルにトルコ日本科学技術大学を設置することが決まったことが挙げられます。三菱重工業とフランスのアレバ社(世界最大の原子力関連企業)の合弁企業によるプロジェクトで、日本はトルコに原子力発電所の建設を進めていますが、この科学技術大学設立にはトルコで原発技術者を育成しようという狙いがあります。

また、トルコにとって日本人の旅行者は観光産業を支える重要な顧客でした。しかし、これは日本に限ったことではないですが、最近はトルコ国内の治安を不安視してか、客足が遠のいているのは残念です。治安が改善し、帝都であったイスタンブルをはじめ、トルコの魅力的な遺産や美味しい料理、人懐っこい人々とのやり取りを多くの人に楽しんでもらう日々が一日でも早く訪れることを願ってやみません。トルコに旅行される際にはぜひ、行きの飛行機で本書を開いてみてほしいですね。

今井宏平(いまい・こうへい)

1981年,長野県生まれ.2006年,中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士前期課程修了.06年からトルコのビルケント大学に留学,07年から11年までトルコの中東工科大学国際関係学部博士課程に留学.11年,13年,中東工科大学国際関係学部博士課程修了.13年,中央大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程修了.中東工科大学Ph.D. (International Relations).中央大学博士(政治学).日本学術振興会特別研究員(PD)を経て,16年より日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所研究員.専門は,現代トルコ外交・国際関係論.
著書『中東秩序をめぐる現代トルコ外交』(ミネルヴァ書房,2015年)『中東の新たな秩序』(共著,ミネルヴァ書房,2016年)『現代中東を読み解く』(共著,明石書店,2016年)