2026 02/14
著者に聞く

『東ユーラシア全史』/上田信インタビュー

8世紀後半から9世紀にインドネシアのジャワ島で築かれたボロブドゥール遺跡には、モンスーンの風をはらんで航行するアウトリガーを備えた帆船のレリーフが刻まれている(著者撮影)

広大なユーラシア大陸は、中央の乾燥地帯を境として、その東と西では生態環境に大きな違いが見られるという。日本列島を含む東ユーラシアで、諸文明はどのような興亡を繰り広げたのか。先史時代から20世紀に至る壮大な通史『東ユーラシア全史 陸海の交易でたどる5000年』を著した上田信さんに話を聞いた。

――上田先生ご自身の研究の歩みについて伺います。先生は従来の「中国史」の枠組みを大きく揺るがしてきた印象がありますが、ご自身の専門をどう定義されていますか?

上田:私の土台は明・清時代の社会史ですが、単に古文書を読み解くことには満足できませんでした。歴史を動かすのは人間だけではないからです。私は「生態システム」という視座から、歴史学に環境史や生態学を接合する挑戦を続けてきました。

ミクロな地域社会のフィールドワークと、地球規模の環境変動というマクロな視点を往復すること。そこに歴史学の新たな可能性を求めてきました。『東ユーラシア全史』も、気象学的な「風」の動きから歴史を記述する試みであり、常に「生きた学問」として歴史を提示したいと考えています。

――『東ユーラシア全史』について伺います。まず、先生が提唱される「東ユーラシア」とはどのような空間なのでしょうか?

上田:はい。まず基本となる「ユーラシア」ですが、これは単なる巨大な陸塊ではありません。地球の自転や熱循環が生み出す「風」によって動く、一つの巨大なシステムです。これまでの「東洋」や「アジア」という言葉は、西洋から見た「東側」という視点が強く、境界も曖昧でした。私はこれを気象学や生態学の視点から厳密に捉え直しました。

――「東」と「西」を分ける境界線はどこにあるのですか?

上田:私はそれを「東・西ユーラシア境界線」と呼んでいます。具体的には東経70度付近、カシュガル(中国・しんきょうウイグル自治区)とフェルガナ(ウズベキスタンの東部)の間あたりを南北に走る線です。ここを境に、西側は冬に雨が降る「冬雨気候」、東側は夏に雨が降る「夏雨気候」へと劇的に変わります。

――気候が歴史にどう影響するのでしょう。

上田:夏に雨が降る東ユーラシアは、植物の成長に圧倒的に有利です。さらに氷河期に動植物が南へ逃げ込めたため、生物多様性が非常に豊かになりました。この「生態環境の豊かさ」が、絹、茶、陶磁器といった東側の特産品を生んだのです。

――私たちが馴染みのある「東アジア」とはどう違うのですか?

上田:従来の「東アジア」は漢字文化圏などの文化的な枠組みですが、「東ユーラシア」はもっと広い。モンスーンが届く海域や陸域、さらには内陸の「偏西風アジア」までを含んだ、巨大な交易の圏域です。

――「モノは東から西へ、イミは西から東へ」という図式が印象的です。

上田:ええ。豊かな物産(モノ)を求めて西の商人が東へ向かい、その交流の中で普遍的な宗教(イミ)が西から東へと伝わりました。日本を中央に置く地図を一度捨て、この風と交易が織りなすダイナミズムの中に日本を置き直してみる。それが本書の試みです。

――ユーラシア全域をめぐる交易が、モンゴル帝国とともに始まったと述べられていますが、モンゴル帝国の勃興と隆盛についてお話しいただけますでしょうか。

東ユーラシアの最西端に位置するカシュガルでは、さまざまな物資が取引されていた(著者撮影、1984年)

上田:極限のサバイバル生活で育ったテムジン、のちのチンギス・カンは部族の枠を超えた実力主義を徹底しました。「十三翼の戦い」で敗北しても崩れなかった結束力が、のちの「千戸制」や親衛隊「ケシクテン」といった強固な軍事組織のいしずえとなりました。第2代オゴデイは、金朝を征服したのちに「銀」を元手に、ムスリム商人との交易を奨励しました。通行証「パイザ」と駅伝制「ジャムチ」の整備により、東西の物資が循環する「パクス・モンゴリカ」が実現したのです。第5代クビライは、ムスリム海商を味方につけて巨大な海軍を組織しました。日本遠征などは軍事的に失敗したものの、モンゴルの影響力は内陸からモンスーン・アジアの海へと広がり、世界規模の経済圏を構築しました。

――チンギス・カンの厳しい出自から始まり、最後は海を越えた巨大な経済圏に至る。モンゴル帝国のダイナミズムがよく理解できました。

上田: この時代の「移動」と「統合」が、今の私たちの世界の原型を作ったと言っても過言ではありません。

――本書を拝読して、歴史のダイナミズムに圧倒されました。ずばり伺います。これまでの歴史書と一線を画す、本書の「新しさ」とはどこにあるのでしょうか?

上田:本書の試みは、歴史を「国ごとの物語」から解放し、現代の複雑な事象を読み解くための「新しい地図」を提示することにあります。国家の枠組みを超えて世界を動かすのは、境界を越える「交換」の圧力です。私は、5000年を通底する大陸のダイナミズムを、「モノ(物資)は東から西へ」「イミ(宗教・制度・技術)は西から東へ」「ヒト(人間)は東西を行き交う」という法則で説明しました。

歴史的な出来事は偶然ではなく、偏西風やモンスーンといった風向きや気候変動という視点を重ねることで、点として存在していた歴史的エピソードが「交易圏の組み替え」という一つの大きなパズルとしてつながります。

世界史を遠い昔話として消費するのではなく、「自分の足元も歴史の最前線である」という視点を持つことが重要です。情報があふれる現代において、断片的な知識を整理する「地図」を持つことは、ニュースの見え方を変え、自分なりの立ち位置を定める力となります。

――最後に、これから歴史を学ぶ若い人たち、特に未来に不透明さを感じている世代へメッセージをお願いします。

上田: 現代の学生に「どの時代が良いか」と問うと、未来に希望を持てない消極的な選択として「いま」という答えが返ってきます。進歩を信じられたかつての歴史観は、格差や環境危機を前に説得力を失っています。歴史とは、専門家が選別した事実を暗記することではありません。日常の「出来事」に対し、自らの問い(5W1H)を投げかけ、意味のある「事件」へと編み上げていく主体性こそが重要です。歴史には、個人のさいな行動が世界を一変させる「バタフライ・エフェクト」のような非線形的な変化が潜んでいます。一見無力に思える個人の営みが、システムの臨界点を超え、巨大なうねりを生む可能性は常に存在します。人類が危うい地点に立つ不確定な時代だからこそ、歴史を「より良い選択」をするための貴重なデータとして活用すべきです。他者が作った物語に惑わされず、当事者として自ら歴史を構想する思考こそが、閉塞感を打ち破る力となります。

上田信(うえだ・まこと)

1957年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、立教大学特別専任教授。専門分野は中国社会史。『中国の歴史9 海と帝国』『貨幣の条件』『人口の中国史』『戦国日本を見た中国人』ほか著者多数。