2025 11/28
著者に聞く

『名水と日本人』/鈴木康久・河野忠インタビュー

「天の真名井」(島根県・出雲大社)

日本には水があります。名水について、その伝説や歴史、文化、地理や水質など多角的に解説するのが『名水と日本人――起源から百名水まで、文化と科学でひもとく』です。本書の刊行を記念して、出版記念会が京都・遊子庵で開催されました。著者対談の模様をまとめました。

どうして名水の本を作ろうと思ったのか

鈴木:いわゆる名水=名がつく水というのは、まずその水に名をつけたいと思う人たちがいることが必要です。
その名前の付け方にはいろいろな基準があります。基準というのは、いわゆる神様にまつわるものであったり、天皇であったり、和歌の歌枕であったりということになるのですが、その基準にしたがって水に名前をつけたいという人たち、つまり文字を書くことができて「自分たちの表現をしたい」と思う、時代ごとの人たちが、名水をどう扱うかによって名付け方が変わってきます。

たとえば、和歌に詠まれる水です。
わかってきたことは、奈良時代の『万葉集』で詠われている名水というものと、平安時代以降の『古今和歌集』をはじめとする勅撰和歌集の名水とでは少し違うということです。
勅撰集の頃になると、名水は歌枕として地名に落とし込まれていきます。いっぽうで『万葉集』は、もうちょっと範囲が広い。『万葉集』の時代には一般名詞であった「井戸の形態」とか「井戸の中の水の流れ方」についての名詞、たとえば「走り水」みたいなものが、勅撰集になると歌枕としての地名、たとえば「走井」と言ったら逢坂の関の歌枕に変わっていきます。
これは和歌の技法が高まるにつれて平安時代の人たちの間に、「走井」と言ったら「ああ、あの場所ね」というような了解が生まれ、それを踏まえて歌を詠むことが求められるようになったからだと思います。

名水研究のきっかけ

鈴木:本書は河野先生と私・鈴木との共著ですが、河野先生と知り合ったのは、今から20年ほど前です。『都名所図会』に出てくる120個ほどの名水についての地図を作ったときに、お声がけをいただいたのが始まりです。
河野先生からいろいろ名水の場所を教えていただいて、ずっと連れて回っていただいて、名水ってどういうものなのかとか、「御井(みい)」というものもあるとか、いろいろなものを教えていただいたんですよ。
そうして20年間ポツポツ積み重ねてきたものが、本書で一つの形になったということになります。
とくに京都の茶の名水については一覧にして本書に記載しましたが、現時点では本書以上にお茶の名水について触れたものはないと思います。京都だけでなく、日本中のお茶の名水を一覧に入れたら、もうそれに勝るものはないと思いますが……。
僕は20年ですけど、河野先生は40年ぐらいにもなります。その歴史をちょっと語っていただこうと思います。

河野:僕はもともと湖の研究をしていましたが、最初に就職したのが大分県だったんですね。大分県には残念ながら実は湖がほとんどなかったので、何を研究しようかなと思って悩んだときに、大分県には湧き水がたくさんあるので、その研究を始めたというわけです。
大分県内で800ヵ所ぐらい水質を調べたのですが、そのときにたまたま弘法大師の伝説のある湧き水に出あいました。その水が非常に変な水質をしていたのです。
なんでこんな水質なんだろうと、弘法大師伝説の水を調べはじめました。4年前にそれをまとめた本をやっと出すことができました(『弘法水の事典――日本各地に伝わる空海ゆかりの水』朝倉書店、2021年)。
弘法水は現在1600ヵ所以上あることがわかっていますが、まだ500~600ヵ所くらいしかまわれていません。ライフワークとしてすべて巡りたいと考えています。

弘法大師伝説の水のようなふしぎな水質をしているものがなぜあるのか。また、弘法水以外にも、地下水に関してはいろいろおかしな現象があるんです。本書にも書きましたが、海岸なのになぜか真水が湧く井戸がある等です。そういう水には、必ず伝説がついてまわるんですね。
そこで伝説・伝承の中には科学的な事実がなにかあるのではないかと思って全国を調べ、その成果を本書の中にもかなり取り込んでいます。
40年間で4000ヵ所近くの水を調べているんじゃないかなと思いますが、現実には伝説があるだけで、科学的な事実はないものがほとんどです。けれども、その中で事実があるものに関していろいろ調べていくと、面白いことがわかってきて、鈴木先生とも出会えて今に至ったというわけです。

鈴木先生とは、まず京都の名水をまわりはじめました。鈴木先生を横に乗せて車で移動するんですけれども、僕はもともと地理学出身で、タクラマカン砂漠も一周したこともありますから、かなりのガタガタ道も平気で行くんです。最初、鈴木先生を乗せたときには、京都の伏見にかなり急な坂道があったんですけれども、怖がって横で「そんな危ないとこ行かないで。行かないで」って言われました。僕にとっては普通の道なので、「え? 何言ってるんだろう」と思ったんですけれども。
そんな感じで、京都中の水をまわって、最近は北陸であるとか、紀伊半島などにも調査しに行くようになって、鈴木先生もかなりの急坂でも平気な顔して乗っています。
鈴木先生と一緒だとありがたいこともあります。地元の人に「こんな水はありませんか?」と聞くのが非常にうまいんです。で、すぐその地元の方に教えていただけるのが助かっています。
また、鈴木先生から絶えず「こういうものが名水だ」という話をいろいろ聞かされます。
僕は最初のころ、「名水に名前があるのは当たり前なのに、なんでわざわざ言うのかな」と思っていたんですけれども、話を聞いているうちに、名前があるということは、その水に歴史があるから、その名前が成立してきたのだと思い直してきて、当初の「伝説のある水」というものから、「名水」というものにシフトしてきて、今に至っています。

実は名水というのは学術用語ではありません。僕は地下水学会にも入っているんですけれども、学術論文では「名水」という言葉を基本的には使っちゃいけないんですね。でも1985年くらいだと思うのですが、当時の地下水学会の会長が僕の恩師の先生だったときがあって、「そんなんじゃ学会が売れない」ということで「名水を訪ねる」というコラムを作ったことがありました。それからはだいぶ学会でも名水という言葉が使われるようになりました。
とはいえ、やっぱり名水という見方で研究する先生はほとんどいなくて、本当に鈴木先生と僕ぐらいしか多分いないと思うんです。

「天の真名井」はどんな水か?

河野:本書第1章に書いた『古事記』に出てくる「天の真名井」というのが、日本で最初の名水だろうと考えています。「天の真名井」が全国にどれくらいあるんだろうと思って調べると、確か40ヵ所ぐらいあって、そのうち20数ヵ所の水が取れたので、その水質を分析してみたことがありました。
手っ取り早く言うと、実はすべて硬度が高い水が選ばれていました。なぜ硬度が高いのかというと、当時、日本酒は硬度が高い水でないと作れなかったんですね。今は技術が向上したので軟水でも美味しい日本酒が造れるようになりました。
それを考えたときに、「天の真名井」というのは、多分お神酒を作ることができる水が選ばれたんじゃないかという思いが非常に強くなって、本書にも書きました。平城宮に造酒司が置かれていたように、祭祀用の酒は古代国家にとって非常に重要でした。
今後、お神酒の原水がもし手に入れば、それを使って調べてみると面白いことがわかってくるかなと思っています。

だれが名水をつくったか

鈴木:名水についての本は、環境省の名水百選とか、ある県の名水をリストアップしたものとかはありますが、それを踏まえてさらに考察を深めたものはあまりありません。名水を時間軸で整理して、こういう名水がありますよというパターン化をした後に、それをどう考えるのかが、重要なのかなと思っています。
それが、本書に記した「時代変遷に応じた名水の分類」です。これは「形の科学会」で基調講演したときに、名前というものに関する考え方を少しまとめないといけないと思って整理したのが発端です。

僕の考え方は社会科学ですが、なかでも人文地理的な世界という枠組みで、「名前といわれる系統のものがどういう形でついてきたのか」ということをまとめ上げたものです。
並べてみて気づくのは、この分類を作っているものは「階層」だということです。
時間軸で並べたときに、それをマトリックスにすると天皇・貴族・武士・・・といった階層という切り口が見えてくると気付いたのです。文字を使える人々、文字を使って伝えなければいけない人々というものが、時代時代で違っているという考え方です。
古代の天皇の水から、和歌を詠う貴族の水になり、その後、武士の水になる。その後、お茶の水も出て来ますが、お茶の水は茶人というものを偶像化する中で出てくるというか、基本的には江戸時代に出来上がってくると理解しています。
江戸時代に入ると識字率が高くなって、庶民が文字を使えるようになったことによって、すべてのものが庶民にも広がっていきます。名水も庶民の水になってくる。庶民が自分のところにある水というものに対して名をつけていく。
このように、ある種の階層区分の中で名水が出来上がっていくんだということを、この中で示しているのです。

その一方で、社会科学だけではなく、自然科学の分野でも名水が出来上がってくるということがあります。
いわゆる薬効のある水のような系統の名水です。これは河野先生のご専門のところに入るわけですけれども、「この水はどうもう腹にいい」とか、「なんだか目にいい」とか、「イボに効く」とか、いろいろあります。
それは確かに成分がある程度あるものと、ないもののどちらもあると思うのですけども、イボの取れる成分があったから、この水はイボが取れた、だから「うちのところにある水もイボが取れるようになってほしい」と思って、自分のところの水も成分がなくても「イボが取れる」っていうことを言いはじめる。こういうふうにして、「イボの取れる水」が広まっていく。僕は亀岡の水を調べたときにそういうことを理解したんです。

現代の名水

鈴木:今の水はこれまで言ってきたことがすべて融合していると思うのです。
本書でも紹介した京都市内の「銅駝水」や「錦の水」はまさにそうだと思うんです。
何かの薬効があるとか、薬効はなくても何かの効用があるとか、「これはいい水だよね」、「自分にとっていい水だな」というような、ある種の、その人の思いみたいなものが含まれることによって、「水の価値」が変わってくると思うんです。そういうふうな「水の価値」が今、求められていると思うのです。
そのような現代的な名水について、河野先生、教えて下さい。

河野:大分の山奥の中にですね、毎秒1トン出てくる、ものすごく大きな湧き水があるんです。小津留湧水といいます。それは実は自然の湧き水ではなく、もともとは竹下総理のときの「ふるさと創生事業」の1億円で温泉を掘りあてようとしたものなんですね。温泉は出ませんでしたが、水が毎秒1トンも出てくるので、その周りに湧き水を汲める施設を作りまして、全部で多分30から50ぐらいの蛇口があるんです。
いまでは豆腐屋さんとか地元の料理関係のお店が出店して、大きな名水公園になって「水の駅おづる」という名がついています。本当に山の中で、途中すれ違いもできないような道を通らないといけないようなところなんですけれども、土日になると100台以上止められる駐車場から溢れるぐらいの人気の水場になっています。
そのほかにも名水百選で選ばれた北海道の「羊蹄のふきだし湧水」であるとか、鳥取県の天の真名井もかなり人気のあるスポットです。
鈴木先生が今述べられた名水の成立過程とは違う出来方というか、現在の成立過程として出来つつあるのかなという気がします。

「水の駅おづる」(大分県竹田市)

鈴木:僕もそう思っています。
ある種の観光地っていってもいいかもしれませんけれど、そこへ行って水を汲んで持って帰ってきて、その水を使うことによって、自分にとってその水がどういう価値があるのかを感じるということが大事なんだと思うんです。
一生懸命に書いたので読んでいただければ嬉しいです。

河野:今後は、これまでに調査した名水4000ヵ所(データ数では8000ほどになります)について、時代の整理、用途の整理などを行って、『名水の事典』のような書籍にまとめて新たな科学的知見を得られれば、と考えています。
また、本書を読んだ読者には、科学的根拠に基づく名水の存在、たとえば海岸の淡水や山地にある塩水、炭酸水、弘法水、安産の水などを訪れて、その水を利用する地域の方々の経験的な水利用の確かさ、水の大切さに思いを馳せていただければと思っています。
また、歴史上の名水に行ったときには、タイムマシンに乗ってその時代のその場所に行ったことを想像して見ると、人々が名水を必要とした理由が鮮やかに想像できると思います。

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鈴木康久(すずき・みちひさ)

1960年京都府生まれ.1985年愛媛大学大学院農学研究科修士課程修了.京都府職員を経て現在,京都産業大学現代社会学部教授.博士(農学).著書『京都の山と川』(共著,中公新書,2022),『水が語る京の暮らし伝承・名水・食の文化』(白川書院,2010),『もっと知りたい! 水の都京都』(共編,人文書院,2003),『京都 鴨川探訪絵図でよみとく文化と景観』(共編,人文書院,2011)ほか


河野忠(こうの・ただし)

1960年東京都生まれ.1989年立正大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学.現在,立正大学地球環境科学部教授.博士(地理学).著書『弘法水の事典日本各地に伝わる空海ゆかりの水』(朝倉書店,2021),『名水学ことはじめ自然・人文科学の観点から』(昭和堂,2018)ほか