- 2025 09/29
- 著者に聞く

「隣町に行けば言葉もパスタも変わる――。」というイタリア。
大石尚子さんは南・北・中央・島々をめぐり、土地土地の郷土料理を味わいながら、アグリツーリズムや有機農業、スローフード運動などを取材しています。イタリア通も、訪れたことがない人も必見の、とっておきの魅力をお聞きしました。
――本書(『イタリア食紀行――南北1200キロの農山漁村と郷土料理』)は、南北1200キロにおよぶイタリアの多様性をありありと伝えてくれますね。現地の生産者とのエピソードや料理の写真も豊富ですが、中でもとくに印象深かった出会い、お気に入りの街や食を教えてください。
大石:印象深い人物として真っ先に挙げたいのは、南イタリア・プーリア州で登場するジュセッペ・サビーノです。私が現地に滞在していた際、研究仲間から、農業におけるソーシャルイノベーターとして紹介してもらいました。どこに行く時も、短パンにTシャツ姿で無頓着、真剣に話しているかと思えばふざけて冗談を言ったり、約束をしても本当に現れるかハラハラするような、子どものまま大きくなったような感じの青年でした。ただ、コンタディナーのワークショップでの彼の語りは、神父のように穏やかで、みんなを包み込むようで、自然と耳を傾けさせるような、そんな不思議な力がありました。それがカリスマ性というものでしょうかね。
街については、どれか一つというととても難しいですが、やはり国外研究で滞在したプーリア州・バーリでしょうか。南イタリア第2の都市ですが、あまりメジャーではなく日本人観光客はほとんどいませんが、散策するのが楽しい歴史景観地区です。かつては治安も悪く、女性一人では歩けないような旧市街だったのですが、2010年代に入って欧州の地域開発資金が入り、歴史的な建物がリノベーションされて郷土料理のレストランやカフェ、おしゃれなアート作品が並ぶお店など、魅力にあふれています。城塞に囲まれ、石畳の路地が複雑に入り組む旧市街を散歩していると、ベタな言い方ですが、中世にタイムスリップしたような気になります。教会も、カソリック教会なのに、地下には、正教徒のための礼拝堂があり、カソリック信者と正教徒が混在しているなど、異文化の融合が感じられるのも面白いです。
そして、何より、魚介が生で食べられるのは、ここだけです。アサリやムール貝も色々な種類があり、生で食べます。タルトゥッフォ(トリュフの意味)と言う名前のまさに岩のようにゴツゴツした形をした貝は、割ってみると中はウニのような身が入っていて、もっと凝縮した濃い味がします。何度かレストランに通ってお店のオーナーとも仲良くなると、私の好みに応じて、その日とってきた見たこともないような魚介類を、自動的に氷ののった皿に盛って出してくれます。これにレモンを絞って、冷えたヴェルデーカ(白ワイン)を飲みながら食すのは、至福のひとときですね。これは世界でも、バーリでしか食べられないものではないかと思います。
――バーリのみずみずしい料理のお話、たまりません(笑)。他方、本書のキーワードは「貧乏食(ポベラッチャ)」。これは自虐的にも聞こえますが……。
大石:おっしゃる通り、自虐的なニュアンスで使われますが、一方で、そうした貧しさの中にこそ、様々な工夫があり、子供に、家族に、少しでも美味しく食べさせてあげたいという母の愛情が満載なのですよね。貧しくとも、工夫と知恵で生き抜いてきた祖先への敬意というのもあるでしょう。また、シンプルであるからこそ、本来の素材の持つおいしさがあり、その食材の味をわかっている、という自負もあるでしょう。
ゴテゴテと味付けし、飾り立ててしまっては、本来の風味がわからなくなってしまう。何より、オリーブの種類も地域によって土着品種があり、それぞれの土地でのオリーブオイルの風味が違って、とても美味しく、料理の決め手になります。ポベラッチャの食は、そうしたオリーブオイルの味を楽しむ料理とも言えるのではないかと思います。

――あらためてお伺いしますが、なぜイタリアはアグリツーリズムや有機農業、スローフード運動を巻き起こせたのでしょうか?
大石:本にも書きましたが、イタリアが都市国家であり、強い地域アイデンティティがあったからであり、それによって都市国家として、自分たちの地域を自分たちが守らなければならない、という意識が強いからでしょう。そうした自立の精神はD N Aに組み込まれている気がします。
そして何よりも、気候風土によって、美味しい食べ物が育まれたということかと思います。時代時代の覇権国家がイタリアに憧れ、必ず拠点をおいているのは、やはり日常の食事が美味しかったからだろうと思います。フランス料理の原点も、イタリアから持ち込んだ食材やマナーが起こした革命だったということですから。イタリアでは、食事に多くの時間とエネルギーを割きますが、それは、やはり根本的には美味しいものを食べたい、という人間の本能的欲求にも近いことなのだと思います。
――読者が生涯一度きりのイタリア旅行に行くとしたら、お薦めの街、食を教えていただけませんか。
大石:それも大変難しい質問ですが、生涯一度きりとなると、やっぱり、人類の偉大さを感じるローマでしょう。ローマ遺跡はやはり何度見ても圧巻です。それが、街の中の日常にあるところも、すごい。人間が世界を作ろうとした、その圧倒的な権力やパワーを感じます。
食でいえば、こってりしたものが好きな人は、ピエモンテ州。バターソースにトリュフを削った手打ちパスタは、絶品です。赤みの牛肉のタルタルなどは、しっかりした重厚なバローロなどと合わせると最高です。
こってりが苦手な人は、やはり南のプーリア州ですね。パスタとオリーブオイルの大産地ですし、アルタムーラなどパンのメッカでもあり、粉物が美味しい地域ですね。それだけでなく、食材としても、魚介、肉(牛、豚、羊、ロバまであります)、野菜も種類が豊富で味が濃い。また、海岸沿いに小さな素敵な漁村が連なっていて、どこを訪ねても白い壁と青い海のコントラストが美しい風景。ギリシャ神話に出てくるような遺跡もあります。至る所で海を眺めながら魚介料理を食べられ、毎日飽きないでしょう。
リアス式海岸沿いに城塞や家が立ち並ぶポリニャーノ・ア・マーレは、絶壁からの眺めが楽しめる高級レストランで魚介料理を楽しめます。今は観光客が殺到して少々オーバーツーリズムですが、バカンスのハイシーズンを外せば、それほど人もいません。黄昏時には、海の見えるバールでアペリティーボしながら、絶景を満喫できるのではと思います。

――紙幅があれば取り上げたかったのが、ジェラートやパニーニだそうですね。
大石:はい。ジェラートについては、北はナッツやチョコレートの濃厚なものが美味しいですし、イチゴや桃などフルーツのジェラートも美味しい。ジェラート屋さんも、いろいろです。都市部では、自然素材しか使っていなオーガニックのジェラート屋さんなどこだわりの店が見つかります。店主が一人でその時期に美味しい食材を選んで、ジェラートのフレーバーにします。田舎では、バールにジェラートコーナーが併設されています。ショーケースに盛ってあるジェラートには、色鮮やかな装飾がされていて、見ているだけでも楽しい。ちなみに、こうしたバールのジェラートも十分に美味しいです。
また、パニーニは、イタリア風サンドイッチで、大抵は、チャバッタ(細長いパン)に生ハムやモツァレラなどが挟んである。テイクアウトする際に、ホットサンド機で軽く焼いてくれます。オルトラーナなど、グリル野菜が挟んだものもありますが、多くは、生ハムやサラミといった豚加工のスライスとチーズのサンドが定番です。塩気の効いたハムとあっさりしたモツァレラが、温めると少しチーズが溶けて生ハムの塩気と混ざり合って美味しい。
私のイチオシは、フィレンツェで食べたトリッパのパニーニ。マーケットの一角にあるのですが、大学生の時、革製品を買おうとうろうろしていた時、人だかりに惹かれて入ってみました。トリッパはトスカーナ料理の定番ですが、それをトマト煮ではなく茹でただけのトリッパをふんだんにパンに挟んでいるだけ。シンプル極まりないのですが、これが美味しい。また、シチリアのメッシーナでは、豚のいろいろな臓物のミックスをパニーニにしているお店が絶品でした。臓物の煮込みは、イタリアのみならず、どこでも庶民の味方ですが、パンに挟んで食べるのはイタリアだけではないかと思います。
パニーニもイタリアを代表する食文化。大抵はバールのショーウィンドウに積まれておいてあり、注文するとあっためてくれます。ですが、ちょっと郊外や田舎に行けば、肉屋さんやお惣菜屋さんで、その場で作ってくれます。それが美味しい。パンも選べて、具材も好きな生ハム(一つの生ハムでも、太もものあたりと足首に近いあたりで、柔らかさや塩気が違い、人によっては好みで選んでスライスしてもらいます)やサラミ類をお願いでき、何よりその場で塊をスライスしてくれるので、新鮮でとても美味しいのです。
そうしたパニーニを作っている間に、店主と客は「◎◎ちゃんは最近どうしてるの」など、お互いの近況などをお喋りしていて、そうしたやり取りするのがまた楽しいひとときでもあります。
――先生は二拠点生活で農業に携わっておられるとお聞きしました。そのような活動を通して、イタリアや日本の食文化を見る目に変化はありましたか?
大石:はい。田舎に、田んぼと畑、山を持つことができ、畑では、出来るだけ肥料などを外から入れないで栽培する自然農に取り組んでいます。田んぼでは、水管理が毎日できないのでお米は諦め、蕎麦を栽培しています。
野菜は色々栽培していますが、今年はジャガイモがとても良くできました。自然農なだけに肥料はやっておらず、山に生えていた竹をチップに粉砕してマルチがわりに引いただけなのですが、立派なジャガイモがゴロゴロ! この猛暑でも水もやらずほったらかしだったのですが、自分でスクスクと大きくなってくれました。植物の力って本当にすごい、と思いました。ヨーロッパでは、何ができなくともジャガイモはできる、と言われるように痩せた土地にでもできる農作物として、飢餓を救うものでもありました。私もどちらかというと、ジャガイモはいつでもあるし大して注目する野菜ではなかったのですが、今回自分で作ってみて、肥料も要らず、人類を救う、なんとありがたい作物かと改めて思いました。
蕎麦もそうです。肥料は一切入りませんし、水も発芽の時には少し必要ですが、基本的に水を嫌います。そして、何より成長が早い。70日でできてしまう。蕎麦の産地は、多くは山間地域で、米が作れないところで栽培されていましたが、その所以がよくわかりました。これも人の命を支える作物だったのだなと。
そんな活動を通して、食文化の見る目、というよりは、種子について考えるようになりました。本の中でもスローフード運動やトスカーナのアグリツーリズムのところで紹介しましたが、生物多様性の保全や持続可能性を実現するためには、在来種の保存と継承が欠かせない、ということです。日本はどうかと言うと、一般的には、ほとんどがF1種(交配種)で、毎年種子は買うものになっていて、無断で採取することは禁じられています。しかし、こうしたF1の種子のほとんどは外国からの輸入に頼っています。食料自給率も種から考えると、限りなく0に近づくと言えます。外国から何らかの理由で種子が入らなくなれば、たちまち私たちは食料を失うと言うことです。先ほど話題にしたジャガイモや蕎麦は、そのまま残しておけば、次の年にそれを植えるか蒔いて育てることができます。
今は、そうした在来種などオーガニックの種などもインターネットで売っていたりしますが、出来るだけ、在来種で自家採取できるようなものを選びたいと考えています。
――食料自給率といえば、「令和の米騒動」を機に、農業政策の見直し論議も巻き起こっていますね。
大石:まず、この機会に、一般の人々が農業に関心を持つこととなったことは、良かったと思います。ミニマムアクセス米など、誰も知らなかった専門用語も皆が知るようになった。この機会に、もっと政府は農業・農村で今何が起こっているのか、詳らかにして、国全体でこれからの食料安全保障をどうしていくのかを議論すべきでしょう。
一方、この結果は、日本の農政の失敗と考えていますし、現在の大規模化・効率化によって増産するという方向性は、なんらこれまでと変わっていません。平野が広がり、大規模化、効率化できるところは良いですが、日本の国土の7割は中山間地域で大規模化は不可能であり、そうした地域の過疎化と高齢化は著しいのです。そうした地域で、誰が大規模化・効率化で増産などできるでしょうか。
つまり、生産販売という産業としての農業と、国土保全や環境保全、文化継承といった機能を果たす農業とに分けて政策を打ち出す必要があると思います。ここは、イタリアや欧州の農村開発政策に学ぶところはあるでしょう。アグリツーリズムや社会的農業など、社会・福祉サービスを提供するような農業を推進し、その担い手の育成に力をいれることは重要かと思います。その際に、都市農村の有機的なつながりが必要になります。大学や企業と連携して大学生や若手社員などが、実習・研修するような仕組みを作り、その課題解決を若手人材と地元住民が一緒に考えていくような機会を増やすこと。またそのアイデアを実装してビジネスに変えていくようなスタートアップ支援事業を産官学民で展開していくなど。
――今後、研究を深めたいテーマがあれば教えてください。
大石:イタリアに関して言えば、社会的農業について、より深めていきたいと思います。
日本では、私も農業者となり、中山間地域に身を置いていますので、この古民家と畑と田んぼ、山の資源をフル活用して、循環型農業やエネルギー自給、そして衣の自給など、衣食住の自給自足のノウハウを身につけたいですね。そして、それを事業化し、循環型ライフスタイルを実践できるビジネスモデルについて研究し、そうしたモデルが確立できれば、各地に広めていければと思っています。
――ありがとうございました。