- 2025 09/18
- 著者に聞く

父なる神、子なるイエス、聖霊の三者は本質的に同一だとする、キリスト教の三位一体説。信者でなければ馴染みが薄く、信者にとっても理解は困難だというこの教義は、いったいどのようにして出来上がったのか。『三位一体―父・子・聖霊をめぐるキリスト教の謎』を著した土橋茂樹さんに話を聞いた。
――まずうかがうのですが、土橋さんのご専門は?
土橋:50代まではギリシア哲学を中心に研究していましたが、その後、ギリシア哲学と初期キリスト教が複雑に切り結ぶ時代に惹かれて、いわゆる教父学へと研究の軸足をシフトしていきました。それと並行して徳倫理学を中心に倫理学も研究してきたので、結局、専門は古代・中世哲学・教父学・倫理学ということになるでしょうか。
――教父学とのことですが、教父とは何ですか?
土橋:「教父」とは教会の父という意味で、キリスト教成立以降、だいたい古代末期までの古代キリスト教会の指導者を指します。当然、教父たちは三位一体のような根本的な教義の確立にも大きく貢献しました。東方ギリシア語圏で活動したのがギリシア教父、西方ラテン語圏で活動したのがラテン教父です。
ギリシア教父は、新約・旧約の両方の聖書に精通していたのはもちろんですが、プラトンやアリストテレス、ストア派や新プラトン主義といったギリシア哲学についても大変深く理解していました。その意味では、教父学というのは、神学と哲学、信仰と理性の緊張関係をそっくりそのまま内に抱え込んだ総合的な学問と言えますね。そこがものすごく面白いところなんです。
――キリスト教は世界宗教と呼ばれることがあります。古代における発展を、ごくかいつまんで教えていただけますか。
土橋:もともとイスラエルの民族宗教であったユダヤ教から発生したイエスによる宗教運動が、やがてキリスト教として地中海世界に広く宣教されていきました。イエス・キリストの福音(「良き知らせ」という意味)を、恵まれた状況にあるユダヤ人だけでなく、異邦の非ユダヤ人やこれまで疎外されてきた世界中の貧しく弱い立場の人々にも宣べ伝えたい、そういう使徒たちの熱い思いが世界宗教化の原動力になったのだと思います。
――三位一体というテーマとご自身の関わりは?
土橋:上智大学の哲学科に入って最初の演習が幸運にもクラウス・リーゼンフーバー先生のゼミでした。その後、先生の聖書研究会や教父文書の読書会にも誘っていただき、聖書を深く読み込んでいく大切さを教えていただきました。しかし、その時は三位一体という教義自体にあまり興味はなかったですね。むしろ、ヨハネ福音書の深読みに熱中していました。
「三位一体」にかかわらざるを得なくなったのは、もっとずっと後になって教父研究を始めてからですね。どの教父のテクストを読んでも、最後は必ずどこかで「三位一体」の神とは何かという問いに引っかかるようになっていきました。でも、あまりに複雑で面倒くさいので、なるべくそのテーマには深入りしないようにしてきました(笑)。
――父なる神、子なるイエスというのはまだしも理解できます。ですが、聖霊とは何なのですか?
土橋:新約聖書に収められた「使徒言行録」19章2節にも、パウロに尋ねられた弟子が「聖霊が存在するなんて聞いたこともない」と答えているくらいですから、聖霊が分かりにくいのは当然なんですね。聖霊は、「子なるイエス」のように対象化するのがとても難しい。
だったら、むしろ聖霊は「父」と「子」を結びつける愛の働きそのものだと考えてはどうでしょうか。イエスはその聖霊の働きによって真に神であり、さらにその愛の働きは「父」からイエスを介して私たち人間にまでゆきわたるというわけです。
――では、その三者が「一体である」というのは、どういうことですか?
土橋:「父」と「子」と「聖霊」のそれぞれが、それ自体で存在する完全な神でありながら、同時にそれらが「一なる神」でもあるという「三位一体の神」という考えは、どれほど合理的で哲学的な説明も最終的には行き詰まってしまう人智を超えた謎です。知り得ないものをどうしても知りたいという衝動は、古代ギリシア哲学以来のいわば「人間の病」なのかもしれませんね。
しかし、「聖霊」の愛の働きによって「父」と「子」が結びつき、それら三者の愛の交わりが一なる神の働きとして私たち人間に呼びかけ、神の言葉であるイエス・キリストを介して自らを啓示している、というのがキリスト教信仰の基本的な理解です。その限りで、私たちは三位一体の神を「知る」ことはできなくても、三位一体の神の「働き」を魂の奥深くで感受し受け容れることは、それを信じる人には可能なのだと思います。
――異端論争を経て、三位一体論の教義が完成したのはいつ頃ですか?

土橋:三位一体教義のひとまずの完成は、325年のニカイア公会議から431年のカルケドン公会議の間になされたと見ています。先ほども申し上げたように、「三位一体の神とは何か」という問いが人智を超えたものである以上、異端論争にはどうしても教会内の権力闘争という影が伴わざるをえません。意地の悪い見方をすれば、争いに勝ち残った者が結果的に正統と呼ばれているに過ぎないのかもしれません。
しかし、論争の過程で公にされた文書をよく読み比べてみると、カッパドキア教父やアウグスティヌス(教父の中で最重要の人物)をはじめとする優れた正統派教父たちの議論は、哲学思想として見ても深みと説得力に富んだものです。単なる力ずくではない、卓越した聖書解釈力と柔軟な思考力に裏打ちされた教父たちの献身的な働きこそが正統教義の確立に繋がったのだと私は思います。
――異端とされた分派は、その後どうなっていったのでしょう。
土橋:言うまでもありませんが、異端と宣告されたからといって、当人たちは決して自分の正統性を疑うことはなく、その後も彼ら独自の信仰を貫いていきます。たとえば、エフェソス公会議で異端とみなされたネストリウス派は、その後、唐代の中国に渡り「景教」として命脈を保ち、現代のアッシリア東方教会がその流れを継承しています。また、カルケドン公会議で異端とされた「単性論」を唱える諸教会の流れを汲むのが、現代のアルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会などのいわゆる非カルケドン派正教会です。これら諸教会は「東方諸教会」と総称され、対してギリシア正教やロシア正教などの東方の正統派は「東方正教会」と総称されます。
――最後にうかがうのですが、今後の取り組みのご予定は?
土橋:今回は、カルケドン公会議に至るまでの経緯、教父としてはアウグスティヌスまで、つまり古代末期の三位一体論教義の確立に至るまでの論争史をまとめたわけですが、今後は、終章で「三位一体論の行方」としてごく短く概観した「その後」の、つまり中世の三位一体論の成熟と多様化を経て、近代啓蒙思想の影響下での衰退期、そして現代におけるどん底からの再生の歴史を、その都度の哲学史と絡めながら詳しく考察したいと思っています。生きている間になんとか書き上げられればいいのですが。
それから、将来キリスト教思想や教父哲学を学ぼうとする若い人たちのためにも、できるだけしっかりした翻訳の仕事を残したいと思っています。現在、ニュッサのグレゴリオスの『魂と復活』を8割ほど訳し終えましたが、さらに彼のいわゆる「教義小論集」、さらに私のライフワークでもあるバシレイオスからグレゴリオスに書き継がれた『エウノミオス駁論』の翻訳をなんとか仕上げたいですね。本書を読んで少しでも興味をもった方々に、いつか読んでもらえる日が来ることを今はただ祈るばかりです。
――ありがとうございました。