2023 11/07
著者に聞く

『ケマル・アタテュルク』/小笠原弘幸インタビュー

イスタンブルの聖者エユプ(アイユーブ)廟にて

今年10月29日に建国100年を迎えたトルコ。同国を建てたのは、ムスタファ・ケマル(1881~1938)だ。オスマン帝国時代に救国の英雄として活躍した彼は、帝国崩壊後に新国家の建設に邁進し、議会から「アタテュルク(父なるトルコ人)」の姓を与えられる。『ケマル・アタテュルク』の評伝を記した小笠原弘幸さんに、執筆の意図などを聞いた――。

――今回、ケマル・アタテュルクを書こうと思ったきっかけは何だったでしょうか。

小笠原:トルコを訪れた方なら誰しも感じることだと思いますが、トルコには、あらゆるところにケマル・アタテュルクの肖像があふれています。ランドマークとなる場所にはだいたい彫像が立っていますし、レストランや商店に肖像画が飾っているのは珍しくありません。たしかに、他の国でも現役の独裁者が、むりやり国民に肖像を飾らせていることは、いまでもあるでしょう。しかし、100年前の人物に、現在の国民が深い敬意をいだき、すべてではないにせよ自発的にその姿を掲揚するという事例は、あまりないのではないでしょうか。20世紀前半は、ウィンストン・チャーチルやウッドロウ・ウィルソンをはじめとして、綺羅星のごとき英雄たちが活躍した時代でした。しかし、アタテュルクほど、いまなお存在感を持っている人物はいません。

私はオスマン帝国史から研究を始めたので、トルコ共和国史はもともと専門ではありませんでした。しかし、トルコとの関わりが深まるに連れて、この人物について、いつか何かを書かなくてはならない、という気持ちになっていきました。オスマンやトルコとかかわってきた人間としての、大げさに言えば「使命感」のようなものでしょうか。

いままで、日本語で十分なアタテュルクの伝記が著されていないことも、おおきな理由となりました。過去に刊行されたものとしては、たとえば大島直政さんの『ケマル・パシャ伝』(1984年)があり、当時書かれた雰囲気と言うか、時代の「味」が感じられるのは魅力です。しかし、いたしかたないことなのですが、現在の研究水準からみると、不十分な点が多い。そのため、彼の事績を日本にしっかりとしたかたちで紹介しなくては、と考えたのです。

――本書は、アタテュルクの政治、軍事の側面のみならず、家族や友人たちとの関わり合いにも触れているところが特徴的です。

小笠原:アタテュルクの生きた時代は激動の時代でしたし、彼の事績はとても多いので、関連する主要な政治的・軍事的出来事を記していくだけで、新書ほどの量はあっという間に埋まってしまいます。実際、日本でこれまで書かれたアタテュルク伝では、私生活や友人関係についてはほとんど触れられていませんでした。しかしこれでは、アタテュルクという人物が、現実の存在から遊離した、なにか記号のような、政治マシーンや戦闘マシーンのような存在になってしまいます。

本書では、彼が悩みや葛藤を抱えつつも、さまざまな人間関係のなかで最終的に英雄となった、その軌跡を描きたいと考えました。ただ、こうしたエピソードを織り込んでいくと、どうしても分量や人名が増えてしまうのは避けられません。当初は、コンパクトに200ページほどでまとめるつもりだったものの、結局、300ページを超えることになりました。これでも、最初の原稿から二割以上割愛したのですが……。人名の多さについても、「関連人物一覧」をつけて分かりやすくなるように工夫したのですが、こればかりは本書のコンセプトからいって仕方ないかと思います。

――アタテュルクにどのような魅力を感じますか?

小笠原:なによりも、アタテュルクとその同胞たちが、第一次世界大戦後の欧米列強による世界分割の野望を、実力で阻止したことです。これは、当時の世界を見渡しても、唯一の事例です。この偉業を成し遂げた彼は、逆境を耐え抜き、みずからの理想をつらぬく意志の強さを持っていました。また、慎重に機会をうかがい、状況に応じて方針を転換する柔軟さも備えていました。こうした資質が、彼を成功に導いたといえます。また、軍人でありながら、学問に造詣が深く、自己研鑽を怠らなかったことも、彼の非凡さをしめしています。

もちろん、彼は完璧な人間ではありません。アタテュルクは、気を見るに敏であった一方で、不器用なところもありました。上役におもねったりしないので、割を食ったことも多い。過剰なまでの我の強さが、周りの人間を犠牲にしたことも一度や二度ではありません。もちろん、そういったことを一顧だにしないのも、英雄の条件なのでしょう。こうした欠点も――身近にいる人間は大変でしょうが――ある意味で彼の魅力のように思います。

――執筆にあたって苦心されたところはどこでしょうか。

小笠原:本格的な人物伝を書くのは初めてだったので、どのようにすれば魅力的な伝記になるか、構成や文体には苦労しましたね。そのため、見せ方や表現の参考にしようと思って、名著とされる伝記を読んだりもしました。いますぐに思い浮かぶのは、岡本隆司さんの『袁世凱』『李鴻章』『曽国藩』の三部作(いずれも岩波新書)や君塚直隆さんの『ヴィクトリア女王』『エリザベス女王』(ともに中公新書)、大木毅さんの『「砂漠の狐」ロンメル』(角川新書)などです。

歴史小説・コミックもいろいろ読みました。新しいところでは、小前亮さんの一連の作品ですね(『中原を翔ける狼 覇帝フビライ』『劉裕 豪剣の皇帝』など。ともに講談社)。長谷川哲也さんのコミック『ナポレオン 覇道進撃』(少年画報社)は、物語の見せ方が本当に上手くて、舌を巻きました。もちろん、史実にもとづいた伝記を書くのに、フィクションの手法をそのまま踏襲するわけにはいきません。直接参考にしたというよりは、すばらしい作品を読むことで、執筆のモチベーションを上げたという感じでしょうか。

アタテュルクの伝記は、トルコでは無数に刊行されています。すべてを網羅することは不可能なので、定評のあるものを中心に、できるかぎり読みました。もちろん、いずれの伝記も大まかな流れは同じです。しかし細部が違っていたり、出来事の評価が異なっていたりするので、何冊も読んでいるうちに、何度も転生して人生をやり直す「タイムリープ物」の小説を読んでいるような気に、最後にはなっていました(苦笑)。

――建国から100年が経過し、トルコでのアタテュルクの評価も変わっているそうです。

小笠原:アタテュルクは、建国の英雄であり、いまでも大多数の国民に敬愛されています。しかし、極端な世俗主義に代表されるように、彼が推し進めた政策にとまどった国民は少なくありませんでした。国民の大多数は、西洋化・近代化の価値を認めつつも、イスラムの教えを穏健に信仰する人々だからです。アタテュルク存命中は、まだそのような声は表面化していませんでした。しかし彼の死後、「アタテュルクを錦の御旗として、強権的に世俗主義を推し進める体制」への不満が徐々に表れはじめ、イスラム的価値観の復権やオスマン帝国の再評価が進んでいきました。

2002年、親イスラムであり、エルドアン大統領(現在)ひきいる公正発展党による政権獲得は、こうした潮流に位置づけられます。同党を支持する層には、アタテュルクにたいして批判的な人々が含まれています。彼らにしても、直接的にアタテュルクを攻撃することは控えているのですが、「アタテュルクその人ではなく、彼の時代の政策や、彼に立場の近い政治家を非難する」、あるいは「アタテュルク主義者に迫害された政治家を称揚する」ような、間接的な批判がちかごろは目立つようになっています。

こうした潮流と並行して、アタテュルクを支持する人々にも、変化がありました。アタテュルクの抱いた理想と、その強権的な政策とを峻別し、アタテュルクをあらたな政治資源として再評価しようとする動きが登場したのです。たとえば、今年亡くなったトルコ近代史の大家ザフェル・トプラクは、「民主的ケマリスト」「アタテュルク時代に批判的なアタテュルク主義者」と評されました。アタテュルクのもたらした理念の意義を、現代にいかに生かすか。その可能性を求めることが、今のトルコに求められていることかもしれません。

――今後、どのようなことをしたいとお考えですか。

小笠原:ひとつは、アタテュルクの理念が、その後のトルコにおいてどのように受け継がれたのか、その変遷を描くことです。これは、「トルコ共和国史」を執筆する、ということになるでしょう。ただ、本年はトルコ共和国建国100周年ということで、日本語でいくつものトルコ関係のすぐれた書籍が刊行されています。間寧さんの『エルドアンが変えたトルコ――長期政権の力学』(作品社)、今井宏平さんの『トルコ100年の歴史を歩く――首都アンカラでたどる近代国家への道』(平凡社新書)などですね。そのため、私はもっと後のタイミングで執筆できれば……。

もうひとつは、オスマン帝国やトルコ共和国に生きた人々の評伝を著すことです。読者が歴史に求める醍醐味のひとつは、さまざまな英雄や、あるいは英雄でなくとも、個性的な人物の生きざまを知ることにあると思います。日本史や西洋史では、あまたの人物伝が著されていますが、イスラム史の分野では、十字軍を撃退したサラディンなど一部の有名人を除くと、あまりそのような著作がみられないのが現状です。私は、かつて『オスマン帝国英傑列伝――600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち』(幻冬舎新書)でアタテュルクをふくむ10人の小伝を著したことがありますが、あらためて、オスマン帝国史における主要人物の評伝を書いてみたい。なかでも、『ケマル・アタテュルク』にも登場した女性作家ハリデ・エディプは、もっとも取り上げたい人物のひとりです。

そして最後に、オスマン帝国の美術・芸術、とくに絵画についても書きたいですね。オスマン帝国は尚武の気風を持つ国家として知られていますが、イスラム史の長い歴史のなかでも、ぬきんでて豊かな文化が花開いた国のひとつでもあります。本邦ではほとんど知られていないオスマン帝国の芸術について、その魅力を、ぜひ伝えたいと考えています。いろいろ構想は膨らむものの、実際に筆が追い付かないのが困りものなのですが……。

小笠原弘幸(おがさわら・ひろゆき)

1974年,北海道北見市生まれ.青山学院大学文学部史学科卒業.東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学.博士(文学).2013年より九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明学講座准教授.専門はオスマン帝国史およびトルコ共和国史.著書『イスラーム世界における王朝起源論の生成と変容』(刀水書房,2014年),『オスマン帝国』(中公新書, 2018年,樫山純三賞受賞),『オスマン帝国英傑列伝』(幻冬舎新書,2020年),『ハレム』(新潮選書,2022年).編著『トルコ共和国 国民の創成とその変容』(九州大学出版会,2019年),『論点・東洋史学』(ミネルヴァ書房,2021年)