2023 06/24
著者に聞く

『日本語の発音はどう変わってきたか』/釘貫亨インタビュー

契沖による50音図。あ行の「お」の位置には「を」がある(『和字正濫鈔』)

高校で古典文法を習うので、日本語の文法が時代とともに変わってきていることはよく知られています。では、発音はどうなのでしょうか。昔も今と同じ発音だったのでしょうか。この難問に答えたのが『日本語の発音はどう変わってきたか』です。著者の釘貫亨さんにお話を伺いました。

――まず、本書の内容とその特徴についてお教えください。

釘貫:奈良時代から江戸時代後期までの日本語の発音、音声の変遷を叙述したのが本書の内容です。江戸時代後半期以後の日本語の発音システムは、現代語と大体同じなので、江戸時代後期までを叙述すればひととおり説明したことになるのです。
本書の特徴は、音声の歴史的変遷の原因を考えたことだと思います。日本語音声史を通史として書ききるためには、言語の歴史に対する考え方が一貫する個人による叙述があって、はじめて可能であったと考えます。
また、音声の変化がなぜ起こったのかを考えるうえで前提となるのは、過去の音声がなぜ分かるのかということですが、まずここから説き起こす必要がありました。

――今のわたしたちにも実感できる、昔の発音の痕跡はありますか。

釘貫:現代語のハ行ハヒフヘホの「フ」は、ほかと違って両唇をすぼめてfuのように発音しています。
この「フ」の両唇性は、平安時代から江戸時代初めごろまでのハ行音「fa(は) fi(ひ) fu(ふ) fe(へ) fo(ほ)」全体が持っていたものですが、これが「フ」にだけ残存したものです。沖縄県の名護方言では、ハ行は、「pa pi pu pe po」と発音します。これが奈良時代語直系であるとすれば、大変面白い現象です。
また、木曽御岳のふもとの長野県開田村(現長野県木曽郡木曽町)には、平安時代後期から近世中期までの上方語で使われたア行音「a(あ) i(い) u(う) ye(え) wo(お)」が保存されています。

さらに、もともと外来語である漢字の古い発音の痕跡が全国の地名に残っています。地名は古代から使われており、興味深いものが幾つもあります。
安曇(あずみ)、奄美(あまみ)の「曇(ずみ)」「奄(あま)」の読みは、古代人が発音していた古代漢字の尾子音[-m]の痕跡です。
讃岐(さぬき)、信濃(しなの)の「讃(さぬ)」「信(しな)」の読みは、尾子音[-n]の、相模(さがみ)、相良(さがら)、鳳至(ふげし)の「相(さが)」「鳳(ふげ)」も尾子音[-ƞ]の名残です。
これらは、今より微細な漢字音の特徴を発音していた律令官人が各地の地名を表記するために使った音の特徴が残ったものです。現代語では、8世紀の中国原音にあった微細な読みは失われています。
また、鎌倉時代までの音読みで使われていた合拗音「kwa gwa」が、観(くわん)、関(くわん)、火(くわ)、願(ぐわん)等として西日本方言の一部に残存しています。

――本書は日本語の発音を古代から近代まで全部書くという試みですが、これをやってみようと思われたのはどうしてですか。

釘貫:上代から現代までの音声の通史を一人で責任執筆するという例は、ほとんどありませんでした。
個人の著作による『国語音韻史の研究』と題した書物はいくつもありますが、個別的現象に関する単発論文を集めたものです。いわゆる『講座・音韻史』なるものも同様で、時代別、事象ごとに別々の研究者が分担執筆したものが大部分です。
こうした現状に対して、私は、音声に関する諸現象を貫徹する原理的解明を誰かがやらなければならないと思っていました。ただ、個人としては他分野の研究にかかりきりで、まさか自分がというのが偽らざる心境でした。しかし、やってみる価値はあると思って決断しました。

――全部を一人で書くというのは勇気が必要だと思いますが、「自分ならできる」と思われた理由はありますか。

釘貫:日本語音声の通史ということを私なりにシミュレーションすると、奈良時代語と平安時代語は、もともと私の専門分野で、それなりに統一的な見解を伴った研究論文があります。
鎌倉時代は、口語資料が比較的少なく、不明の部分が多いのですが、これは藤原定家による表記改革つまり仮名遣いという搦め手から論じる方法があり、これに関する論文を執筆中であったことが幸運でした。
江戸時代の契沖、本居宣長の仮名遣いは、中世以来の仮名綴りの稽古から脱して古代音声を復元する学問として成立しました。この事実は、私が指摘するまで気づかれなかった点であり、しかも古代音声の復元は私のフィールドでもありますから、従来にない視点で執筆できる見通しが立ちました。
しかし、室町時代の「四つ仮名」(「じ・ぢ」「ず・づ」の合流)とオ段長音の開合(「大坂」の「オー」と「逢坂」の「オー」の区別)の問題については、私独自の業績を持たず、先端研究をたどりながら自分なりの意味付けをするしかないと腹をくくりました。
要するに、室町時代を除いて私なりの歴史音声学は執筆可能であると判断したわけです。

――本書を書くにあたってとくに苦労したところあるいはとくに楽しかったところがありましたらお教えください。

釘貫:私の研究は、奈良時代語の母音組織の変遷を修士論文で取り上げたことに始まります。これは、本書の序章と第一章の内容を構成しています。その内容と論点は、修士論文執筆時と基本的に変更がないことを改めてうれしく確認できました。
三十代以後、私の研究は、音声の問題から離れて古代語の文法と日本語学説史の研究に展開しました。そのため、本書冒頭二章の古代音声を扱うところでは積年のさびを落とすのに苦労しました。それでも当初の研究と考えがぶれなかったので、首尾のそろった論点を提案することができました。四十代から始めた仮名遣いに関する学史的考察では、古代音声と絡んだ叙述に貢献できたこともうれしいことでした。

――本書で日本語の発音の変遷は分かりました。ところで、発声のスピードとかイントネーションみたいなものの変化はわかりますか。

釘貫:会話のスピードやイントネーションの歴史については、推測の域を出ません。これらに関する資料がないからです。
しかし、本書で言及した「古代語の語の多音節化」の趨勢と絡んで、会話のスピードアップがあった可能性があります。速度が上がった会話では、語や音節の発音がルーズになると考えられるからです。たとえば「こころみる」という長い単語を発する際には、「こころ」と「みる」の間に区切りを入れるのではなく、ひとまとまりの語として一気に発音することで、一つ一つの音節の調音に対する圧力が緩んだ、と考えることができます。語の多音節化は、平安時代以後も続く古代語に一貫する趨勢ですので、情報量の増大とともに会話の速度が上がったことは、合理的な推測であると思います。

――ところでなぜ釘貫先生は日本語について興味を抱いたのですか。また、日本語研究の中でも、なぜ発音について研究しようと思ったのですか。

釘貫:私は、大学では国文科、今風に言えば日本語日本文学科にいましたので、日本語を対象とする国語学か文芸を対象とする国文学を専攻するかは、卒業論文のテーマ枠によって決めることになっていました。
私は、日本語の子音の歴史的変遷を通史的に論ずる目的で国語学を選びました。今から思えば卒論執筆時から音声の通史的研究を目指していたことになります。
国語学を専攻したのは、研究法の科学性に引かれたからです。国文科の中に、文学とは別の、科学を指向する専攻分野があることに新鮮さを感じました。しかし、「国文学より国語学のほうが科学的である」という若いときの見通しに今では疑いを持っています。同じような歴史を持つ隣接の学問に対して、よく知りもせず見下すような気迫の入れ方は、今では若気の至りであったと思っているわけです。
大学院に進学して、奈良時代語の母音組織の研究を始めました。この研究は、1980年代当時、学界を騒がせていたテーマであり、私の憧れでした。いつかやりたいと思っていたことを修士論文で着手したわけです。
奈良時代語の母音組織の研究は、上代特殊仮名遣いの研究とも呼ばれていました。当時の古代語母音組織論の主流は、発音の復元(音価推定)に精力を注いでおり、なぜ歴史的に変化したのかという原因を追求する視点が欠けていました。そこに私の研究が介入する余地があると考えました。これは、本書を貫く視点でもあります。

――日本語発音の研究を長年続けてこられて、今、なにか感慨がありましたらお教えください。

釘貫:二十代の修士論文と七十歳に近づいて実現した本書との間に考え方がぶれていないのは、私が幸いとするところです。駆け出しのころの言語史に関する考え方が後に取り組んだ文法史や学説史の研究の中にも生きていたのだと思います。それが本書執筆を決断した活動源です。

――最後に読者とくに若い世代に向けて、これだけはぜひ一言言いたいと言うことがありましたら。

釘貫:私は、自分のことを変わったタイプの研究者だと思っていますので、若い方々に向かって助言する資格はありません。
私は、その時その時に一番関心を持ってやりたかったテーマを長期的な見通しなど持たずに研究してきました。自由で魅力的な研究ステージだけを求めてきただけです。
科学研究費の申請書の項目などを見ていると、研究の中期目標や予想される社会的効用を考えながら研究しなければ成果が挙がらないかのように思ってしまいます。しかしこれは、研究の進展の真相を反映していません。中長期的な構想の道から外れた脇道の行く手に最大の鉱脈が当たることなど幾らもあります。

それでも大学在職中は、ない頭をひねって研究費の申請書類を書いていました。科研費をはじめ、競争的資金の獲得は、今では大学経営の死活問題ですから、とくに若い研究者は、苦心すると思います。しかし、私にとって若い時期の最も大切な経験は、ひたすら面白さを求めて現下の考え事に夢中になることだったと感じています。夢中になって脳中で転がした考え事の成果が現実に得られた喜びを体験すれば、雑務や校務がどんなに大変でも研究を続けることができました。
このような心得は、概論書や入門書に書いてありません。しかし、自ら会得すべきと考えられているこの心境こそが若い時期の研究能力を引き出す最大の動力であったと思います。私個人の取るに足りない秘訣、秘伝としてお笑い流しください。

釘貫亨(くぎぬき・とおる)

1954年,和歌山県生まれ.1982年,東北大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学.1997年博士(文学)・名古屋大学.1982年,富山大学人文学部講師,1987年,同大学助教授,1993年名古屋大学文学部助教授,1997年同大学教授,2000年同大学大学院文学研究科教授.名古屋大学名誉教授.専攻,日本語学.

著書『古代日本語の形態変化』(和泉書院,1996),『近世仮名遣い論の研究――五十音図と古代日本語音声の発見』(名古屋大学出版会,2007),『「国語学」の形成と水脈』(ひつじ書房,2013),『動詞派生と転成から見た古代日本語』(和泉書院,2019)ほか.