2022 10/07
著者に聞く

『国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊』/石井幸孝インタビュー

筥崎宮放生会にて、自作のぼんぼりとともに(2022年9月)

かつて国鉄という巨大企業がありました。日本全国津々浦々まで鉄道やバス、航路を延ばし(沖縄にも那覇港駅がありました)、国民の生活になくてはならないものでした。1949年に設立されたこの国鉄は、1987年に分割民営化されました。38年間にわたって存続した国鉄が消滅してから35年になる今年は、奇しくも鉄道開業150周年でもあります。
この国鉄の全貌を紹介する新書『国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊』を著した石井幸孝さんにお話を聞きました。

――本書は敗戦から国鉄の誕生、そして分割民営化以降まで、国鉄時代の全てをふくむ通史ですが、2022年の今、本書を執筆・刊行しようと思った理由は何ですか。

石井:私は生涯の仕事として「国の鉄道」を選んだのですが、それがどうも途中からおかしくなっていくのですよ。
昭和39年(1964年)、世界に冠たる新幹線登場の年に、国鉄は赤字に転落しました。人間も、組織も、「光」が強いほど、「影」を見たくないのですね。「影」の部分への対応が充分でないまま、1970年代に入ると、「影」の部分が重症化して、ついに「分割民営化」という大手術になりました。
しかし、今度は結果論として、「光」の会社と「影」の会社みたいに二極化して、「鉄道全体は衰退するのが時代の流れ」となっていくのです。しかし、衰退するのは、環境の変化に対応する、勉強不足、努力不足もあるのではないかと思うようになりました。

そこで、最初は、私の経験にもとづいて、そのような未来志向的な提案、発想の転換をアピールするような意見を述べたいと思ったのです。「新幹線物流」や「海外鉄道技術協力への発想転換」などが問題意識にありました。
ところが、中公新書編集部と会話を続けるうちに、自分が深くかかわってきた国鉄・JRの歴史を赤裸々に描いて、「今だったらこうする」という本はどうかということになってきたのです。確かに歴史の反省が、未来への知恵ですからね。
執筆がスタートしたら、思いもしなかった「コロナ禍」に遭遇したり、たまたま刊行が「鉄道150年」の節目にあたったり、犬ばかりでなく、「人生も歩けば棒に当たる」といったところです。

――本書執筆のご苦労等がありましたらお教えください。

石井:体験からにじみ出てくる、「国鉄の本質」を、良い点も、悪い点も公平に書いてみようと決めました。
そのためには、当事者ができるだけ客観的記述をするようにできないかと考え、自分史にならないようにしようとしました。それから、あのときの雰囲気のなかでは当人たちは真剣だったのですから、人を傷付けないようにしようと、記述に気を遣うことも結構ありました。

ふりかえってみれば、国鉄は、今次大戦の壮絶な犠牲者だったのですね。終戦後、周りは高度成長で隆々たるなか、何年たっても、鉄道は戦争の後遺症を引きずって苦しみました。丸の内に通勤する、ドレスアップしたサラリーマン・レディの通勤地獄がその典型でした。そんなことも後世に残したいと考えました。

そして鉄道というものを、擬人的に観察するようになりました。若い頃の専門だった「車両」は鉄道という舞台装置で演技する俳優の一員のように、汽笛が国民と会話をしたり、ディーゼル機関車の風変わりな足回りもお神輿の担ぎ手のように見えてくるのでした。
鉄道にはとても人間臭い面があるのですね。

――本書を読んでいると国鉄の歴史が分かるとともに、石井さんの国鉄人生も透けて見えてきます。とくに思い出深い職場・仕事は何ですか。

石井:何といっても、本社の車両設計に8年間、続く工作局車両課補佐として3年間、都合11年間、「車両を作る仕事」に塩漬けになったことです。同僚が2、3年おきに地方と本社を転勤するのを横目で見ながらでしたが、これが生涯最大の経験になりました。どんな仕事にあたったときでも、思い出す知恵の源泉です。
ちょうど国鉄発展期の車両開発ブームにあたり、一番ややっこしいディーゼル車両(DL、DC)の担当になったものですから、正直、この仕事から足を洗えなかったのだと思います。上司にも恵まれ、車両という分野に深くかかわり、車両はだれでも関心があるので、多くの人々とお近づきになり、苦労した分以上に、得をしました。

それからもう一つは、「国鉄改革」の前後10数年間の激動期です。
たまたま幹部として遭遇する年恰好になったものですから、この仕事には身を賭して頑張ったことですね。

――ところで本書は鉄道開業150年に出版されましたが、今から50年前の鉄道100年のときにも中公新書『蒸気機関車』を執筆・刊行されていますね。そのときの思い出があったらお教えください。

石井:前の本は、まだ若造のときでした。しかし、さっきの話のように、車両新製ばかりやっていた頃、蒸気機関車の全面廃車という仕事にぶつかりました。
蒸気機関車という「汽笛一声」以来の功労者の歴史をまとめたいというのが、中央公論社の、おそらく宮脇俊三編集長のご意向だったのでしょう。私とは面識はありませんでした。工作局の方に依頼があって、私にお鉢が回ってきたのだと思います。
正直戸惑ったのですが、最終的には覚悟を決めました。ずいぶん勉強しました。それに、本社車両設計の黒岩保美さんに全形式の緻密な外観図を書いてもらいましたが、これはとても貴重なものだと思います。このときも結果的に国鉄100年の時になったのですね。
同じ「中公新書」で50年の年を経て刊行ということになって、感無量です。2冊合わせると、奇しくも日本の鉄道150年の歴史の骨組みになるような面もあります。

――『蒸気機関車』刊行時と『国鉄』刊行の今とでは、鉄道そのものもずいぶん変わったと思いますし、外部の環境も変わったと思います。今、私たちに鉄道が必要な理由は何でしょうか。あるいは昔も今も変わらない鉄道の意義とは何でしょうか。

石井:鉄道に限らず、古今東西、「交通を制する者は天下を制する」と思っています。
ヒトとモノを運ぶ交通の分野で、鉄道という200年前の発明品は、高速大量輸送が得意で、労働集約型の装置産業という、強みと弱みを持っています。
強みになる分野はいつの時代にもあります。装置産業ですから、これからも、交通のなかで、一番デジタル化やAI化に向いている、また、どんなエネルギー種別になっても、エネルギー効率が良いということ、そして「安全」「安定」なサービスが強みです。
それから、労働集約型という特徴には、社員の意識次第で、良くも悪くもなるという、いわば社風つくりが大切、という面があります。特徴を強みにするように努力することも大事でしょう。
もう一つ、鉄道は文化も運んでいるということ、地域風土の一員でもあることを忘れてはならないと思います。

――最後に読者、とくに若い人たちへのメッセージがありましたら、お願いいたします。

石井:若い人に、講義などするときに、最後に番外編として、「君たちはT字形人間を目指せ」と言うことがよくあります。Tの縦の棒は「自分の強みを持つ」ということです。
これは仕事でも、趣味でもいい、「人一倍苦労した」「人一倍勉強した」「人一倍失敗した」……何でもいい。そういった人に負けない経験を、できれば若いうちにしておけば、全部豊かな人間関係に繋がってくる。

そして、Tの字の横棒は、「ある程度たったら好奇心を持つ」「何事にも関心を持つ」「色々な経験に骨惜しみしない」「新聞や畑違いの本も読む」ということです。
このようなT字形人間になることが大切です。とくに組織人には大切です。

JR九州の入社式でもよくこの話をしてきました。「社長は偉そうな話をしたが、この話だけ覚えている」と後輩から言われます。
これは実は、恩師の受け売りです。大学のとき、工学部だったので、製図の先生から「君たちはT定規のような人間を目指せ」と教わりました。その頃、T定規を抱えていることが、工学部学生のシンボルでした。今どきT定規なんて言っても通用しないので、T字形人間と言っているのです。

石井幸孝(いしい・よしたか)

1932年,広島県生まれ.1955年,東京大学工学部卒業,日本国有鉄道入社.開発期のディーゼル車両設計(キハ81型,DD51形等)に従事した後,経営全般に転進.広島鉄道管理局長,工作局長,常務理事・首都圏本部長などを歴任する.1987年の分割民営化にあたってJR九州社長となり,条件の悪い三島会社であるJR九州の経営を軌道に乗せる.1997年,会長就任,2002年退任.鉄道史・交通史を研究すると共に,鉄道の未来についても提言を行う.
主著『蒸気機関車』(中公新書,1971),『キハ58物語』(JTBキャンブックス,2003),『DD51物語』(JTBキャンブックス,2004),『キハ82物語』(JTBキャンブックス,2005),『九州特急物語』(JTBキャンブックス,2007),『戦中・戦後の鉄道』(JTBキャンブックス,2011),『人口減少と鉄道』(朝日新書,2018)ほか.