2022 10/05
著者に聞く

『京都の山と川』/鈴木康久・肉戸裕行インタビュー

将軍塚から見る京都市街と鴨川デルタ(著者撮影)

京都駅に到着する直前、東側からだと鴨川を、西側からは桂川の鉄橋を渡ります。そして京都駅の新幹線ホームからは清水寺を抱く東山の山々も見えます。京都が川とも山とも距離が近い街であることは観光客にも一目瞭然です。それらの山河と京都の人びととの関わりを書いた『京都の山と川』著者の鈴木康久さんと肉戸裕行さんにお話を伺いました。

――本書は「京都の山と川」というテーマですが、他の大都市とくらべて、京都と山河との関わりはどういった点に特徴がありますか。

肉戸:日本では中世以降、木材の需要も高まり、山は荒廃していきました。そのため、京都周辺の山林も戦後しばらくまで、痩せた土地でも育つことができる松を中心とした光景が見られました。

各県では幕府、藩所有の森林は伐採禁止令なども出され、一定程度保護されました。
それに対して、京都市周辺の山林は古くから寺院や皇室・貴族の所有地と個人所有など小面積所有者も多かったのが特徴と考えられます。林産物の多くも皇室、寺院などに献上物として利用されました。
都の周辺の山は、現在と違い燃料の採取などに相当利用されて、荒廃していました。「おじいさんは山へ芝刈りに」の世界です。建築用の木材の需要も、その3分の2は、木曽地方、四国など、京都以外の山林の伐採でまかなわれていたと思われます。

小規模所有者が多い反面、現在の京都は人工林、天然林が入り混ざった森林が多いのも特徴といえます。京都弁で言うなら、「まったり」しています。たとえば鞍馬山や高雄には、スギの人工林とマツ、ナラ、サクラ、カエデを主とした天然林が入り交じって、紅葉のときにはパッチワークのような山並みになります。

鈴木:人が自然をコントロールできるようになった近代になってから発展した他の多くの都市と違い、京都は自然との共生が求められる中世から現在まで都市が続いている点に、その特徴があります。
京都は平安京遷都以来、鴨川や桂川の影響を受け止めながら、10年、100年という長い期間を一つの単位として、時間と共に都市の区域や、利水・治水のあり方を変えてきた都市なのです。
たとえば、平安京は当初、東西4.5km、南北5.2kmの長方形の都でしたが、桂川を中心とした洪水等によって右京は廃れ、左京(上京・下京)を中心に発展していきます。同様に鴨川の河川敷の利用や、巨椋池の干拓などもそれぞれが都の歴史を語ってくれます。
これらの、西の大河である桂川、南を大池である巨椋池(宇治川)、東を都市河川としての鴨川に囲まれた地理的条件の違いは、最初に伝えないといけないことです。河川を都市基盤に持つことは、古い都に必須の条件となります。
 
そのうえで、鴨川との関係がとくに重要です。
古代豪族の鴨氏による農業用水としての活用、平安遷都における鴨川の治水を担った防鴨河使、豊臣秀吉の御土居堀(堤防)、角倉了以の高瀬川(運河)、江戸期の寛文新堤、琵琶湖疏水の鴨川運河など、鴨川では時代の求めに応じて、利水と治水、河川の空間利用が重層的に織り成されている点が重要です。

――そのような歴史的に長い京都の人びとと山河との関わりで、他の地域に住む人びとにも参考になるものはなんでしょうか。

肉戸:京都周辺の山は京都一周トレイルや鯖街道などのコースが整備され、ガイド本もあります。山歩きと神社仏閣・文化観光ポイントが結ばれていて気軽に楽しめます。
このような歴史や文化を見直す取り組みは、すでに京都以外でも、山城の整備とか街道・古道整備などで、進んでいると思います。

鈴木:治水や利水、河川空間での土地利用など、時代の最先端を示してきた京都において、今、最も重要なことは「鴨川納涼床」と「鴨川デルタ」だと考えています。
人びとが水に求める価値観が、豊かな実りのための農業用水や物流の根幹をなす舟運などの外的要因から、健康のための河川敷での散歩などのような内的要因へと移っている現在において、多くの方々を引き付ける「鴨川納涼床」と「鴨川デルタ」は他の河川においても参考になります。

――ところで、お二人とも京都生まれですが、小さいころの山や川の思い出はありますか。

鈴木:子どものころには、山で基地をつくり、川で魚をとり、日が暮れるまで遊んでいました。親に連れていってもらう非日常の遊園地とは違い、小学校のグランドで野球をするのと同じように魅力ある場所でした。

肉戸:鈴木先生と同じで、山と川は遊び場であり勉強の場でした。

――旅行者にとくにお薦めの山や川を一つあげるとしたら、なんですか。その理由も含めてお教えください。

鈴木:ぜひ、鴨川へ。
「鴨川等間隔」の法則を感じながら座っていただきたいです。
時間が許せば、日中は「鴨川デルタ」へ、夜は「鴨川納涼床」を楽しんでいただき、千年の歴史を振りかえっていただければ嬉しいです。納涼床は敷居が高いイメージもありますが、今は居酒屋さんなどもされています。

肉戸:大文字山は気軽に登れる山です。
いろいろなルートがありますが、銀閣寺から60分もあれば登れます。
到着すると大の字の火床があり、真下の京都の町並みを見ることができます。送り火から逆から見ることで、街のどこからよく見えるかなどがわかって面白いと思います。

――これから京都の山河とどう関わっていきたいとお考えですか。

鈴木:長年、人と河川との関係、水の価値について考察してきましたが、まだまだ、それらについて深めていきたいと考えています。
そのための文献調査、フィールドワークだけでなく、川好きの人たちと過ごす時間を大切にしたいと思います。

肉戸:休みの日には丹波、丹後などの山々や社寺を回っています。
目的は植物観察ですが、古い樹木にはとくに関心があります。最後の仕事として、これらの資料をまとめていきたいと思っています。

――最後に、とくに読者に伝えたいことがありましたらお教えください。

肉戸:京都には比叡山や嵐山のように有名な山もあれば、そうでもない山もありますが、足を運ぶとそれぞれ歴史が詰まっていてガイドブックに載っていない発見があります。
京都の人にとって山は身近な場所で、標高の低い山も多いですが、山をなめてはいけません。山をよく知った人と歩くことをお薦めします。
また、季節の花の名前を一つでもよいので覚えて帰れば(今は調べる携帯アプリもあります)、さらに山歩きが楽しくなると思いますよ。

鈴木:京都を好きに、そして自分の暮らしているまちを好きになってほしいと思います。
好きになると、些細なことにも興味を持ち、学び、まちについて「語れる」になれます。好きな場所や事を3分でよいので、お話ができるようになってほしいです。
そのために『京都の山と川』が、役に立つならとても嬉しいことです。

本書の刊行を記念し、10月24日(月)19時から、京都市四条烏丸の大垣書店京都本店でトークショーを開催します(実会場とオンラインの両方開催)。
もっと京都歩きが楽しくなる、知的好奇心満載のトークショーです。
くわしくは下記をご覧下さい。

【10/24開催】鈴木 康久さん×肉戸 裕行さんトーク&サイン会のお知らせ

鈴木康久(すずき・みちひさ)/肉戸裕行(にくと・ひろゆき)

(左・鈴木)1960年京都府生まれ.1985年愛媛大学大学院農学研究科修士課程修了.京都府職員を経て現在,京都産業大学現代社会学部教授.博士(農学).
著書『水が語る京の暮らし――伝承・名水・食文化』(白川書院,2010),『もっと知りたい! 水の都京都』(共編,人文書院,2003),『京都 鴨川探訪――絵図でよみとく文化と景観』(共編,人文書院,2011)ほか


(右・肉戸)1965年京都府生まれ.1988年京都府立大学農学部林学科卒業.同年京都府に入庁.京都府森林保全課,府立植物園樹木係長,京都府立林業大学校教授などを経て現在,京都府立植物園副園長.樹木医.
著書『京都・火の祭時記――伝統行事からみた森林資源と人のつながり』(共編,薪く炭くKYOTO,2004)