2022 03/09
著者に聞く

『エビはすごい カニもすごい』/矢野勲インタビュー

クルマエビの産卵用親エビの養成技術を中国の公立研究所の技術者に教える著者(左から2人目)

エビもカニも、川や海やスーパー・鮮魚店でよく見かける身近な生き物です。しかし、知名度のわりにその生態等はあまり知られていません。新書としてはおそらくはじめてのエビ・カニの概説書である『エビはすごい カニもすごい』を刊行した矢野勲さんにお話を伺いました。

――エビやカニに興味を持ったそもそものきっかけを教えてください。

矢野:私は大分県の生まれですが、子供のころは家の近くにいるアカテガニやベンケイガニを友達と一緒に捕ったり、菊池寛の小説『恩讐の彼方に』に出てくる清流・山国川の下流で、岩の下に潜むテナガエビを米糠でおびき出し透明な小網で捕らえたりして遊んでいました。
そのころは、とくにエビ・カニだけが好きということもなく、海や川の生物がすべて好きで、勉強はそっちのけで、小ブナ釣りやハゼ釣りなどに夢中になっていました。

研究者としてエビ・カニに最初に取り組んだのは、北海道大学の大学院に入ってからです。大学院に入る前は、ウナギやマダイなどの魚の嗅覚に働く嗅細胞の研究をしていましたが、当時、硬組織(骨や歯や真珠・貝殻など)の世界的権威であった恩師・小林新二郎先生から、大学院での研究テーマとしてエビやカニの殻(外骨格)形成のしくみの解明に取り組むように言われたためです。
大学院では、研究材料として、北海道にいるトゲクリガニやニホンザリガニ、ケガニなども使いましたが、なかでも磯で簡単に手に入り、飼育が容易なヒライソガニを多く使いました。日本固有種のニホンザリガニは、函館近郊の人里離れた山奥の渓流で、いつ出遭うかもしれないヒグマを恐れながら探し集めたことを、まるで昨日のことのように思い出します。

――その後、真珠研究所(のち養殖研究所)や福井県立大学では、どんなエビ・カニを使ってどんな研究をされたのですか。

矢野:大学院の博士課程を修了してから入った農林省水産庁真珠研究所は、機構改革で水産庁養殖研究所にすぐに変わりました。その養殖研究所は、農林水産省に属する研究機関であることから、水産重要種のクルマエビをはじめとするクルマエビ科のエビ類を研究対象としました。

私が研究を始めたころは、クルマエビ類の養殖産業は、まだ黎明期でした。生産量も世界全体でわずか1万トンほど、現在のおよそ500分の1でした。
このクルマエビ類の養殖産業を大きくしていくには、稚エビの生産に必要な産卵用親エビが大量に必要です。しかし、当時は、産卵にすぐに使える天然の親エビの数が少なく、クルマエビ類の大規模養殖にはとても足りない状況にありました。
そこで、クルマエビ類を人工成熟させる新たな技術を開発することになったのです。
しかし、クルマエビ類は水槽で飼育し、光周期や水温、塩分、餌などを調節しただけでは、まったく成熟しないという、大変厄介なエビでした。そのため、まずクルマエビ類の成熟に必要な卵黄タンパク質の合成器官の解明やそれに関わるホルモンを解明する研究に取り組みました。このことは本書のなかでも1章を立てて説明しました。
そして、それらから得た基礎知識に基づいて、人工成熟技術の開発に取り組みました。これらの研究成果を使って、種々の成熟促進ホルモンを含むコレステロールペレットをエビ体内に挿入し、産卵可能な状態にまで成熟させる技術などを新たに開発しました。
こうしてクルマエビやウシエビ、コウライエビ、ホワイトシュリンプなどの大規模養殖が可能になったのです。

その後、移った福井県立大学では、学生や院生と一緒に、エビ・カニ類の成熟や産卵のしくみの解明に引き続き取り組みました。さらに、クルマエビやモクズガニなどを使って、病原菌やウイルス病にたいする抵抗力を付けるために、免疫賦活物質の解明とそれらを配合した人工配合飼料の開発にも取り組みました。
また、自然界では水深数百mで1~3℃の低水温の海底に棲むズワイガニを、成長を促進するために水槽で10℃ほどの水温で長期飼育する試験にも取り組み、成功しました。

――それらの研究成果で、私たちの生活にも直接関わっているものがありましたらお教えください。

クルマエビ

矢野:成果の一つに、クルマエビを産卵させる技術があります。
当初、クルマエビ類では、頭部の眼柄という場所にあるサイナス腺に卵黄形成を抑制するホルモンがあるため、片側の眼柄を根元から切除し、卵巣の成熟を促すことが試みられていました。
しかし、この方法では視神経も切断してしまうことになるので、多くのエビが切除後にショック死するため、実用的ではありませんでした。
そこで、私は、視神経を切ることなく眼柄の一部のみを切除し、そこからサイナス腺をすばやく摘出する方法を新たに開発しました。この方法の生存率は100%で、慣れれば数十秒で終わり、しかもクルマエビ類を短期間で産卵可能な状態にまで成熟させることができることから、現在、広く実用化されています。

また、成熟した親エビは、そのままではなかなか産卵しませんが、まず16℃ほどの低温の海水に入れ、数時間後に25℃ほどの温かい海水に移すと、その夜に産卵することを明らかにしました。

さらに、成熟した親エビは何もしなければ、産卵率は20%ほどと極めて低いのですが、あらかじめ紫外線を照射した海水を使うことによって、成熟した親エビを80%以上の高い割合で産卵させる技術を開発しました。

これらの解明や技術は、クルマエビ類の養殖に生かされ、現在500万トン前後の生産量になったクルマエビ類養殖の発展に欠かせない技術の一つとなっています。

インドネシアの国立研究所の研究者にクルマエビ類の成熟のしくみなどを詳しく教える著者(中央)

――今私たちがクルマエビの天ぷらを食べられるのも、これらの技術があるからなのですね。ところで、本書中には研究室の学生が研究のために厳冬のなか、大学から数十キロ離れた漁港に甘エビ(ホッコクアカエビ)を何度も取りに行くエピソードが掲載されていますが、研究上の苦労があったらお教えください。

矢野:大学では、研究費や施設、設備などは大変恵まれていました。
研究上の苦労と言えば、研究に使うクルマエビやモクズガニなどを、生きたまま手に入れ、それを長期間生かし、親エビや親ガニにまで育て、それからさらに種々の飼育実験などに必要な稚エビや稚ガニを生産することが、大変な手間と時間がかかることでした。
こうした手間の大変さを少しでも軽くするために、成長を促進すると同時に免疫力も強化する配合飼料を工夫して新たに開発しました。

――それでは、本書執筆のきっかけを教えてください。

矢野:これまで、専門書については共著で6冊出版していますが、内容は、すべて大学や研究所、試験場などで働く人たちのためのものです。
そこで、大学を定年退職し本を書くのに十分な時間ができたのを機会に、エビ・カニの体のしくみや行動、食文化についてより多くの人々に理解していただくために一般向けの本を書こうと思いました。

――とくに「このエビ・カニが好き」とか「このエビ・カニが印象に残っている」等の感慨がありましたら、お教えください。

矢野:研究所や大学を通して最も長く、研究したのはクルマエビですが、ハワイの海洋研究所で研究したホワイトシュリンプが強く印象に残っています。ホワイトシュリンプがわずか数秒で交尾することを世界で最初に私が発見し、それがMarine Biologyに掲載されたためです。

――最後に読者へのメッセージをお願いします。

矢野:職場では、まずはっきりした目的を持って目の前の仕事にじっくりと取り組み、それに基づいて自らの実力を養い、社会に役立つさまざまな仕事に取り組んでほしいと思います。
もし、研究者になりたいと思えば、目線を高くして、世界に通用する科学者を目指してください。そのため、海外でも研究を行い、実力がものを言う広い世界を体験してください。

矢野勲(やの・いさお)

1943年,大分県生まれ。1965年,農林省水産大学校卒業,1972年,北海道大学大学院水産学研究科博士課程修了.農林省水産庁真珠研究所研究員,海洋研究所(米国)訪問研究員,農林水産省水産庁養殖研究所室長,福井県立大学海洋生物資源学科教授等を経て,現在,同大学名誉教授.専攻・海洋動物培養学,動物生理学.水産学博士.
著書『エビ・カニ類の種苗生産』(共著,恒星社厚生閣,1988年),『世界のエビ類養殖』(共著,緑書房,1990年),Recent Advances in Marine Biotechnology(共著,Science Publishers,2000年),『水産増養殖システム 3 貝類・甲殻類・ウニ類・藻類』(共著,恒星社厚生閣,2005年)ほか