2022 02/08
私の好きな中公新書3冊

新鮮で面白い創作の教科書/榎本憲男

細谷雄一『国際秩序 18世紀ヨーロッパから21世紀アジアへ』
岡田暁生『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』
中村圭志『宗教図像学入門 十字架、神殿から仏像、怪獣まで』


最新作の『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』もそうだが、僕の作品は、始まりの事件は小さいが、主人公が探っていくとその背後に世界のダイナミックな動きがあったという体裁をとることが多い。端緒はたいてい個人の死である。個人は国家に所属している。そして国家には強い国家と弱い国家がある。この現実が、濃淡はあるにせよ、僕のどの作品にも反映されている。

『国際秩序』(細谷雄一著)は僕にとっては国際政治の基礎を頭に叩き込む教科書だった。初版は2012年。いまから10年前、中国が覇権国家としての存在感をいよいよ本格的に示し始めた頃の刊行だ。そして、その内容はいまも新鮮である。国際政治という舞台上の役者は歴史とともに移り変わる。昨日は主役だった者が今日は脇に回らざるを得ないということもある。その歴史を俯瞰し、日本の役どころを再考するというのが本書の狙いだろう。

タイトルに国際秩序とあるように、著者はまず秩序の原理を論じる。そして原理の体系を、均衡・協調・共同体の三つに分けて、その歴史をたどる。秩序(≒平和)を実現するために、(力と力の)均衡(≒緊張)によるのか、協調によるのか、それとも共同体を形成するのか。歴史が素直に均衡⇒協調⇒共同体という具合に進化論的に発展していけばこんなめでたいことはないのだが、そう一筋縄にはいかない。そして、これら三つは相互に排他的なものではなく、複雑に絡み合う。この絡み合いによって編み上げられているのが国際秩序の現実である。

著者は、均衡の体系の形成を18世紀のスペイン王位継承戦争に着目し、ここから論じていく。フランスの覇権に対抗しようとする他国の結びつきが均衡を生み、ウィーン体制によって協調の体系が形成され、1世紀に及ぶ長い平和をヨーロッパにもたらした。この均衡と協調の体系を支える要素として、嫉妬やシンパシーといった人間の感情があると説くスコットランドの哲学者ヒュームの意見をも紹介する。そして、次はいよいよ共同体であるが、この理想的な体系を論じる時に登場するのが、ドイツの哲学者カントである。認識論ではヒュームから多大な影響を受けたカントが、国際社会を語るときにヒュームに激しく反論しているのが興味深い。カントが主張するのは、人間の理性(ヒュームの言う感情でなく)によって、国際平和を実現することである。しかし、天才哲学者とてこの問題に終止符を打つことができず、以後、現実主義的な意見と理想主義的な意見の対立がくり返されるのは周知の通りである。

僕の作品のもうひとつの重要な要素は音楽だ。主に聴くのはロックミュージックだが、クラシックもほどほどには聴く。そして僕の小説の重要な登場人物のひとりは熱心なクラシック愛好家である。アメリカ黒人の民族音楽とでもいうべきブルースを基調としたロックと、教会から生まれ、宮廷音楽となり、やがては市民の音楽に発展していく西洋クラシック音楽(「古い近代音楽」)との関係を考える時、僕はよく『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』(岡田暁生著)をひもとく。同書が西洋音楽史のツボを押さえた名著であることを前置きし、ここでは同氏の近刊である『音楽の危機』を取り上げたい。

タイトルにある「危機」はコロナ禍を前提とした言葉である。しかし、コロナ禍によってコンサートができず、音楽家が音楽活動をできないのを嘆くことだけが本書の狙いではない。コロナ禍を契機に著者は近代社会と音楽のかかわりについて深く洞察していく。

ベートーヴェンが完成させた交響曲というジャンル、さらにコンサートという形式は共同体の愛の確認の場であると述べ、しかしこのコロナ禍で、2020年のベートーヴェン生誕250周年のイベントがほとんど中止になり、共同体の愛を歌い上げる第九の演奏会が実施されなかったことに象徴されるように、近代市民社会という共同体が危機に瀕していることを仄めかす。とともに、哲学者テオドール・アドルノのベートーヴェン批判を紹介し、この共同体の愛には内と外を峻別する差別が内包されていることを、水商売の従事者らへの給付金について感情的な反発があったことを読者に思い出させつつ、言及する。

しかし、著者はあくまでも保守的に「音楽とは、人々が集まって一緒にやる、一緒に聴くものだ」と固く信じている。僕もそうだ。しかし、コロナ禍でこのような形の音楽はかつてない危機に直面していることはまちがいない。さらに問題なのは、この危機は乗り越えられるのかということだ。そして、乗り越えたと思った時になにか決定的な変化がその後に生まれているのではないかという懸念もまた残るのである。

宗教(的なるもの)も僕の作品を彩る重要な要素である。中公新書は宗教に関する良書の宝庫だが、近刊では、なんといっても『宗教図像学入門』(中村圭志著)が抜群の面白さで、かつまた勉強になり、これから役に立ちそうで、実にありがたい一冊だった。

僕は長い間映画の仕事に携わってきた。映画を通して強く感じたことは、見るということはこんなにも強い影響力を人に及ぼすのかということである。見ることによって(見てしまったら)、見る前とでは人はまったく変わってしまう、ということがあるのである。

宗教について、僕は中村氏の著作から多くを学ばせてもらってきた。平易な文章で教義や歴史のキモを取り出して見せてくれる中村氏が、この"目に映るもの"に着目して書いた本書は、映画から大きな影響を受けた僕にとってはまさしく待望の一冊である(映画のシーンのいくつかがイラストにして紹介されている)。

本書で驚かされるのは、キリスト教、イスラム教、仏教というように宗教ごとの解説ではないことである。それぞれの宗教のシンボルマーク、絶対者、開祖、聖者、天使、などのビジュアルを紹介し比較していく。例えば、「聖なる母」という項では、ビーナス、イシス、マリア、観音などが豊富な図像とともに比較され、「大宇宙と小宇宙の照応」では、曼荼羅、キリスト、カバラーが紹介されるという具合だ。映画、アニメのクリエイターなどは必携の一冊と言える。

三冊ともに、情報量が多く、いちど読んだくらいでは、頭の悪い僕にはなかなかものにしたと言う自信がない。そのぶん何度でも味わえるお得な新書である。

榎本憲男著『マネーの魔術師 ハッカー黒木の告白』(2022/1、中公文庫)

榎本憲男(えのもと・のりお)

1959年和歌山県生まれ。大学卒業後、西武セゾングループの文化事業部、その後東京テアトルにて映画事業に携わる。劇場支配人、番組編成担当、プロデューサー等を務め、退社。2011年、監督デビュー作『見えないほどの遠くの空を』が公開されるとともに、同作の小説を執筆。16年『エアー2.0』が大藪春彦賞候補となる。18年公開『カメラを止めるな!』の脚本指導。他の著書に『巡査長 真行寺弘道』と、同シリーズの『ブルーロータス』『ワルキューレ』『エージェント』『インフォデミック』、『マネーの魔術師』などがある。