2021 08/13
私の好きな中公新書3冊

歴史資料の大切さを教えてくれる3冊/瀬畑源

馬部隆弘『椿井文書―日本最大級の偽文書』
波多野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』
網野善彦『古文書返却の旅 戦後史学史の一齣』

この原稿の依頼を受けて、自分の本棚を眺めてみると、ずいぶんと中公新書を読んできたのだなと改めて感じる。所有している新書で一番多いかもしれない。
最近では「重厚」なラインナップが揃っている印象だ。出版不況の中で、参考文献がこれでもかと小さな文字で並ぶ、分厚く内容の濃い新書を作り続けている編集部には敬意を表したい。

まず、最近読んで興味深かった本として、馬部隆弘『椿井文書―日本最大級の偽文書』をあげたい。
「椿井文書」とは、近世期に椿井政隆が作成した「偽文書」のことである。椿井は、権利をめぐる争いが起きている村などに現れ、住民にとって都合の良い情報が書いてある古文書や絵図を「模写」したものなどを渡していく。今だと公文書を偽造するプロとでも言おうか。
この「偽文書」が、近代以降になると「真実」が書いてある古文書として流通するようになり、各地の観光や郷土史の教材として使われているという点には考えさせられるところが大きかった。

この本の魅力は、著者の描く、なにか憎めない椿井の姿である。ありえない「未来年号」(例えば「令和元年四月」のような存在しない年月)を資料に書き込んでいたり、偽文書をネットワーク化して簡単に見破られないようにしたり。なにか茶目っ気があるのだ。
謎の多い椿井の姿を、資料から浮かび上がらせる所は、著者の真骨頂である。

次に取り上げるのは、波多野澄雄『国家と歴史』である。
大学の講義で日本近現代史を教える関係上、歴史認識問題は避けて通れないテーマである。
私は、学生に歴史を覚えるのではなく「考えて」ほしいために、むしろ積極的に講義で取り上げてきた。

本書は、戦後日本の歴史認識問題を、歴史研究者の目から資料に基づいてバランス良く描いた好著である。この本を補助線として、さまざまな立場の方の著作を読むと、どういった対立構造があり、なぜ解決への道のりが困難なのかを理解しやすい。

著者は「自国史の源泉としての公文書の適切な管理と積極的公開は、内政・外交の説明力を増大させ、国のパフォーマンスやパブリック・メモリーを形成する基盤となる」(277頁)との指摘を行っている。歴史認識問題を資料に基づいて冷静に議論するためにも、公文書がきちんと公開され、閲覧できることは必須の条件なのだ。

最後に紹介したいのは、網野善彦『古文書返却の旅』である。
著者は、特に非農業民に着目して、これまでの日本像の再検討を促した、著名な日本中世史研究者である。

1950年代前半、水産庁が文書館設立を夢見て、全国各地の漁村から古文書を大量に借りてきたが、計画は破綻し、返されなかった古文書が残された。1980年代に入り、その収集に関わった著者が、各地の所有者に古文書を返却に行った顛末を描いたエッセイである。

著者は返却に向かう旅の中で、海の民の生活の豊かさに気づき、その民の生活が工業化や過疎化によって失われていくことを目撃する。ただ単に資料を返却をするだけでなく、その行為を通じて新たな研究視角を得ていく姿は、歴史研究者がどのように研究のアイデアを膨らませていくのかが垣間見えて興味深い。

今回紹介した3冊は、いずれも「歴史資料」としての文書に関わるものである。
歴史資料の残り方は、管理をしている人の価値意識が反映される。よって、歴史資料として現在の政策決定過程のわかる公文書が残るかも、その時代の政治家や官僚たちの政治意識の反映である。

歴史資料をどうやって残すのか、それをどうやって読み解くのか。これらの本は、歴史研究の深みを改めて感じさせられる著作である。

瀬畑源(せばた・はじめ)

1976年東京都生まれ。龍谷大学法学部准教授。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。一橋大学博士(社会学)。日本近現代政治史(象徴天皇制)、公文書管理制度を研究。主な著書に、『公文書問題―日本の「闇」の核心』(集英社新書)、『国家と記録―政府はなぜ公文書を隠すのか?』(集英社新書)、『公文書管理と民主主義』(岩波ブックレット)、共編著に『平成の天皇制とは何か』(岩波書店)、『<地域>から見える天皇制』(吉田書店)がある。