2021 07/29
私の好きな中公新書3冊

食と映画をめぐる三冊/三浦哲哉

鈴木透『食の実験場アメリカ ファストフード帝国のゆくえ』
加藤幹郎『映画館と観客の文化史』
岡田温司『キリストの身体 血と肉と愛の傷』

『食の実験場アメリカ』では、理念先行の新興移民国家であったがゆえに育まれた、実験的なアメリカ食文化の歴史がひもとかれる。ちょうどこの本が出版されたとき、私は滞在していたロサンゼルスの「食」をめぐる連載を始めたところだった。すぐに日本から取り寄せて読み、これほど面白い本が出てしまったなら、自分などが書く意味はなくなってしまうのではないか、と冷や汗をかきながらも、おおいに啓発された。

タイトで精確な学術的記述から、いちいちおいしそうな気配が漏れ出てくるなあと思いながら読み進めていくうち、「あとがき」で膝を打った。「海外出張の前は、作り置きもしていくので、けっこう忙しい」(244-245頁)という、著者ご自身のクッキングパパ的台所生活が開陳されているのだ。トランプ政権発足直後の緊張感みなぎるダラス空港の入国審査時になされたというBBQ談義もよい。「あんた、バーベキューのことを書くつもりなのかい。だったら、セントルイスにも行くべきだ。行ったことあるのかい?」「はい、美味しかったですよ。同じミズーリ州のカンザスシティのリブもなかなかいけますよね」(249頁)。

『映画館と観客の文化史』は、「映画館」の歴史について書かれた書物。もともと分厚い専門書としてまとめるべく企図された研究だったそうだが、ハンディかつリーダブルな新書となった。おもしろくてためになる映画本の筆頭に挙げたい。筆者の「アメリカ」をめぐる深い見識には、読み直すたびにあらたな気付きが与えられる。「映画は新大陸での新しい自己同一性の創出に貢献すると同時に、旧大陸に脱ぎ捨ててきたはずの旧い自己同一性の保持、失われた故郷への断ちがたい想いに苦しむひとびとの慰撫にも貢献したのである」(91-92頁)。本書が指摘するとおり、アメリカ的多様性を条件づける「容れ物」こそが映画館であった。

最後は『キリストの身体』。「これは我が血、これは我が肉」。キリストの身体を食すというある種の象徴的なカニバリズムが、キリスト教およびその美術の根源には潜んでいる。イタリア美術・思想史の泰斗である岡田温司は、この本のほかにも4冊の中公新書を書いている。いずれも同系列のすばらしい教養書だが、とりわけ、本書は人間の営みと食の深い関わりを示していて興味深い。私はかつて、岡田先生からバローロ(イタリア・ピエモンテ州生産の赤ワイン)への愛についてお聞きする機会を持ったことがある。いつか、美術・思想と食・酒のつながりを主題にもう一冊、中公新書のラインナップに付け加えていただけないものか。

三浦哲哉(みうら・てつや)

1976年福島県郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了。現在、青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。映画批評・研究、表象文化論。食に関する執筆も行う。著書に、『サスペンス映画史』(みすず書房)、『映画とは何か』(筑摩選書)、『『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店)、『食べたくなる本』(みすず書房)、『LAフード・ダイアリー』(講談社)。共著に、『ひきずる映画』(フィルムアート社)、『オーバー・ザ・シネマ』(共編著、フィルムアート社)。訳書に『ジム・ジャームッシュ インタビューズ』(ルドヴィグ・ヘルツベリ編、東邦出版)がある。