2021 06/07
著者に聞く

『文部科学省』/青木栄一インタビュー

マンハッタンのミッドタウンにあるコロンバスサークルを望む。
2019年から20年にかけての在米中は研究漬けの毎日だったが、
コロナ禍前はときどき「繁華街」でショッピングや食事を楽しんだ

大学入試改革の頓挫、コロナ禍での突然の休校、「ブラック化」に悲鳴をあげる教員たち――この数年を振り返っても、日本の教育は迷走が続いています。また、学術・科学技術研究における国際競争力の低下も課題です。そのいずれにも関わる文部科学省を正面から扱った『文部科学省 揺らぐ日本の教育と学術』が好評の青木栄一さんに、話を聞きました。

――誰もが知っているようで、実はあまりよく知られていない文部科学省。研究テーマに選ばれた理由を教えてください。

青木:お声がけいただいたのは、自身の研究のピースを埋めるつもりで、文科省を中心とした官僚制研究に専念しはじめた頃でした。

もともと研究を志したときのテーマが「教育行政の政府間関係」で、博士号を取得した論文では、文部省(当時)と教育委員会の「関係」に注目しました(2004年に『教育行政の政府間関係』として出版。20代の仕事)。その次に、政府間関係の変動の一形態としての地方分権に注目し、地方政府に焦点を当てました(2013年に『地方分権と教育行政』として出版。30代の仕事)。

政府同士の関係をテーマにしてきた以上、残された中央政府、なかでも文科省に焦点を当てた研究をしなければと思い、立ち上げたのが行政学者たちとのプロジェクトでした(2019年に『文部科学省の解剖』として出版)。

こういう流れの延長線上に、単著で文科省を扱いたい気持ちが高まっていたところに、お声がけいただきました。少しきれいにまとめすぎましたが。

――本書のユニークな視点のひとつが「間接統治」ですね。簡単に説明していただけますか。

青木:この用語法、霞ヶ関の方々にも共感いただいているようです。

もちろんこの言葉のもとは占領改革を主導したGHQによる日本の「間接統治」です。一般書を書くのは初めてでしたので、少しでもわかりやすく、そして多くの方に手に取っていただけるように、思い切って使ってみました。

執筆までに、先にお話しした行政学者たちとのプロジェクトで、おおよそ実証的データが集まっていたのですが、文科省の二面性(本書では「内弁慶の外地蔵」と表現しました)をどう整合的に理解するか悩んでいました。

文科省は教育委員会や国立大学に対してはかなりグリップを効かせていますし、逆に言えば教育委員会や国立大学はやたらと文科省に忖度してますよね。これに対して、たとえば新型コロナウイルス対策では2020年の春に官邸が全国一斉休校を決めましたが、文科省は蚊帳の外でした。それ以外にも、財務省には予算削減の圧力を受けるし、経産省にはGIGAスクールのような目立つ教育政策を打ち出されています。

これらを1つのロジックで説明するために参考にしたのが、待鳥聡史先生の『政治改革再考』です。

そこでは平成の30年間にわたる改革の結果、官邸主導は不可逆的なものとなったと指摘されています。ただ、その例外となった1つが地方政府であると。つまり、地方分権が進んだために、地方政府、特に首長が官邸の影響下から離れてしまった。これは竹中治堅先生の『コロナ危機の政治』で描かれた国と地方政府の関係にも当てはまります。

地方分権が進んだのに、教育分野では依然として文科省の存在感が強く、多くの地方政府は文科省にグリップされています。これはどういうことだろうと思ったんですね。

それで感じたのが、文科省は教育委員会を通じた縦割り行政の構造を温存してきたから、地方分権の時代とはいっても、意外とグリップが効いているのではないかということです。国立大学に至っては、法人化はしましたが、いまだに文科省の内部組織の気分が抜けきっていませんよね。おまけに初等中等教育も高等教育も予算削減が続いていますから、教育委員会も国立大学も文科省への依存はかえって強まっています。

そうか、と気づいたんですね。いままでぼんやりとしか見えてこなかったけれども、これは官邸や他省庁が文科省をうまく操って、その背後から政策を実現しようとする「間接統治」の構造ではないかと。

官邸主導が強まっていった時期、文科省は依然として教育委員会を通じて地方政府への影響力をもっていたんです。官邸はこれをうまく活用しようとしたんでしょう。それと、国立大学については、「成長のエンジン」として科学技術のイノベーションの場として期待されるようになっていました。官邸は経済政策を重視しますから(首相の所信表明演説を分析したことがありますが、ほとんどの首相は「経済」第一主義です)、ここでも国立大学をグリップしている文科省をうまく使おうと思ったのではないかと考えました。

このように考えることで、いままでバラバラに見えていた事柄が、急に一つ筋道だった現象として見えてきました。本書の刊行を機に、この「間接統治」論を多くの皆さんと共有して、さらにブラッシュアップしていきたいと思っています。

――先生は文部科学省の所轄機関であり、同じビルに入っている国立教育政策研究所に6年7カ月いらしたそうですが、「内部観察」の成果はどのように活かされていますか。

青木:それはもう十二分に活かされています。ただ、生々しいエピソードを暴露したわけではありませんから、ご注意ください。

そもそも、研究所の「平社員」がそんなに機微な(これも霞ヶ関用語でしょうか)話をきくわけはありません。せいぜい、深夜の時間帯になってから研究室に内線電話(文科省と研究所は内線で繋がっています)がかかってきて、文科省の職員に研究データの説明をするような程度の経験です。

「あとがき」にも書いたように、国立教育政策研究所の職員は審議会の傍聴がフリーパスでしたから、研究の合間によく行ってました。「三位一体の改革」の時期は中央教育審議会の義務教育特別部会をほぼ毎回傍聴しました。あのときの対立する委員同士のヒリヒリした空気感や、審議会閉会後に他省庁の職員がある委員のことを大声で批判した際の騒然とした雰囲気は忘れられません。

要するに、本書には私が直接見聞きしたネタが散りばめられているわけではなく、「内部観察」で身につけた推論力が発揮されているんですね。

その推論力は2つからなります。1つはいわゆる「官庁文学」と呼ばれる、玉虫色に見える審議会答申や政府文書を読み解くための「語彙」と「文法」です。もう1つは文科省の職員の行動原理を解釈するための「方程式」です。ある発言、行動の背後にはどういうことが隠されているのかが見えてくるようになりました。

もちろん、独力ではそうはなれません。気になることがあると、ときどき文科省職員の方に「答合わせ」をしていただいたり、後追い報道で確認したりしました。

文科大臣や文科省職員のある発言や行動だけを切り取った報道がきっかけで大きな批判が巻き起こることがありますが、それほど単純な話ではありません。全体の文脈からその行動を理解することが必要です。

――本書の指摘は文部科学省だけでなく、日本の行政や政治全般に通じるという読み方もされているようですね。

青木:ええ、犬塚元先生が『朝日新聞』で行政や政治全般の観点から書評していただいたのは嬉しかったですね(2021年5月1日付)。

私は文科省のことだけでさえ長年分析してきてようやく一冊単著を書いた程度ですから、行政や政治全般について語れる自信はありませんでした。本書執筆中はとにかく文科省のことを書き切ろうという気持ちだけでした。でも、おかげさまで本書がたくさんの方に読んでいただけて、行政や政治全般に通じるという声もいただくようになりました。

あらためて考えてみると、本書で指摘したことは、多かれ少なかれ霞ヶ関全体に共通して当てはまるのかもしれないと思うようになりました。

たとえば、業務量に比べてフルタイム(正確には深夜残業を厭わない「昭和の働き方」ができる)職員が少なすぎる点については、最小官庁である文科省の惨状と比べて他省庁でもそう大きくは変わらないでしょう。2021年はじめの通常国会で法案ミスが相次ぎましたが、明らかに業務量と人員が見合っていないように思います。

ほかにも、いわゆる業界関係者との付き合いばかりではなく、政策の実現に向けて社会のあらゆる主体を巻き込むような創発的な動きがあまり得意ではないようです。公共サービスを企業に丸投げするようなケースが目立ちますが、これは悪意があるというよりは企業と適切な関係を取り結ぶ経験や能力に欠けているからだと見る方が適切です。新しい政策の担い手であるNPOとの関係もどこか発注・下請け関係で考えているのではないでしょうか。

これに関連して、政策の実施に必要なコストや資源を考慮しないのも霞ヶ関に共通しているように思えます。ロジスティクスとオペレーションへの想像力の欠如ですね。新型コロナウイルスのワクチン接種がずいぶんと遅れているのはその典型例といえるのではないでしょうか。

もっとも深刻なのは、科学とデータに基づいた意思決定ができないことです。新型コロナウイルス対策やオリンピックをめぐる混乱で露呈しただけで、ずっと前からそうなってしまっていたのかもしれません。もちろん官僚制単独の問題とは言えず、政治や社会との関係から考えていく必要があります。本書でも触れたように、この問題については大学院教育の普及が鍵となるように思います。

――最後に、現在そして今後の研究テーマを教えてください。

青木:今回のインタビューのはじめに、私の研究の「来し方」から文科省をテーマにした経緯をお話ししました。現在も、そして今後も文科省を窓口にして官僚制研究をしていきたいと思っています。嬉しいことに、官僚制研究が少しずつ盛り上がりを見せていますから、私もその流れに貢献したいと思っています。

今手がけているのは3つのテーマです。

1つめは官僚の社会化に関する研究です。官僚はいつから自分の省の官僚らしくなるのかを、サーベイとオーラルヒストリーのデータから解明しようとしています。

2つめは官僚のワークライフバランスです。官僚の働き方改革は政策立案や実施の質に直結します。労働時間調査のノウハウを応用して、官僚の働き方の実態を明らかにしていきます。

3つ目は官僚制と社会の関係です。特に企業との関係をどう構築するかが重要になっていますので、政府調達データを分析して、利益相反や汚職が起きにくい制度設計を考えていきたいと思います。

「行く末」については、まずは現在手がけているテーマに全力投球しているなかで徐々に見えてくるんじゃないかと思っています。

今言えるのは、これからの研究ではこれまで以上に世界各国の官僚制研究に目を配り、英語での論文執筆も進めていきたいということです。2019年から20年にかけてアメリカに滞在したときに、英語での研究のインプットとアウトプットをする楽しさに目覚めました。世界に自分と同じテーマに取り組む仲間を見つけられますからね。

研究テーマを追求していけば、官僚たちが今よりも生き生きと仕事ができるようになって、ひいては副題にもある、教育や学術に携わる人たちが幸せになれるかもしれないと思っています。世のため人のためというとおこがましいですが、学術に携わる者としてそういうお手伝いができたらと前を向いています。

青木栄一(あおき・えいいち)

1973年、千葉県生まれ。1996年、東京大学教育学部卒業。2002年、東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。国立教育政策研究所教育政策・評価研究部研究員などを経て、2010年より東北大学大学院教育学研究科准教授、2021年より同教授。専攻・教育行政学、行政学。著書『教育行政の政府間関係』(多賀出版、2004、日本教育行政学会学会賞受賞)、『地方分権と教育行政―少人数学級編制の政策過程』(勁草書房、2013、日本教育経営学会学術研究賞受賞)など。