2021 05/20
著者に聞く

『古代日本の官僚』/虎尾達哉インタビュー

奈良の甘樫丘(あまかしのおか)から天武天皇の故地飛鳥を望む著者

先進文明国の中国(唐)から律令を導入し、天皇を頂点とする中央集権国家をめざした古代日本。だが、支配層が望んだ理想に反し、官僚たち(とりわけ下級官僚)の意識は低かったという。遅刻・欠席は当たり前、職務放棄もしばしばで、果ては罰金の滞納まで……。そうした意外すぎる実態について、『古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々』を著した虎尾達哉さんに話を聞いた。

――先生のご専門は。

虎尾:主に日本古代の政治と官僚制の実態を研究しています。父(虎尾俊哉)も日本古代史の研究者でしたが、私は京大の東洋学に憧れて、京都に行きました。しかし、学部進学前にあえなく挫折。教養部2年の夏休みに水野祐氏の『日本古代の国家形成』『日本国家の成立』(講談社現代新書)を読んで、その壮大な「三王朝交替説」に魅了され、結局父と同じ日本古代史を専攻することになりました。

――官僚制のなかでも、今回は下級官僚の実態にクローズアップされましたね。

虎尾:数からいえば、圧倒的に下級官僚の方が多いわけです。史料の制約もあって、これまであまり取り上げられてこなかったのですが、その実態はどうだったのか。律令国家にとって、下級官僚はどういう存在なのか。今回はそれを私の視角から考えてみたいと思いました。

――具体的には、どのような経緯で本書の執筆を思い立ったのですか。

虎尾:10年以上前、勤務先の授業で『日本後紀』(古代の歴史書の一つ)を読んでいたときに、官僚たちが大勢で儀式をサボっている実態に気づきました。これを放置したり厳しく咎めない専制君主国家とは? そういう疑問を抑えられなくなりました。

その後、他の事例を拾い集めて、論文として発表してみたのですが、学界ではさほど関心を引かなかったようです。それではいっそ本にまとめて、学界外の広い読者に訴えてみようか、と。学界にも、院生や若手の研究者で奇特にも面白いと思ってくださる方々がおられたのにも励まされました。そして、「あとがき」でもふれましたが、旧知の美川圭さんが書いた『公卿会議』(中公新書)を読んで触発されたことが大きかったですね。

――本文中は興味深いエピソードが目白押しですが、いくつかご紹介いただけますか。

復元された平城宮の大極殿。元日朝賀の儀では、天皇はこの建物に出御し、前庭に整列した官僚たちの拝礼を受けることになっている。

虎尾:何といっても、元日朝賀の儀での大量無断欠席でしょう。年頭の重要儀式で、天皇が出御しているのに出席しない。しかも、サボっても厳しく咎められない。ちょっと信じがたいのですが、古代にはそれが実態としてあったのです。

信じがたいといえば、任官の儀での「代返」もそう。いったい何をしているんだと、今でも不思議に思うくらいです。あと、桓武天皇が臭い奏紙を嗅がされていた話も個人的には好きですね。

――天皇が臭い紙? それはどういうことですか。

虎尾:古代の天皇は太政官(現在の内閣に相当)からさまざまな奏上を受けるのですが、その奏上に用いられる紙が臭くてかなわない、と桓武が立腹しているのです。毎日のように悪臭に顔をしかめねばならなかった桓武には心から同情します。しかし、奏紙を担当する事務官は紙のにおいなど知ったことではない。天皇への気遣いなど、これっぽっちもないんですよ。そこが面白いですね。

――今回拝読して、古代日本についてのイメージが変わりました。

虎尾:古代の律令国家といえば、律令という法典にもとづく整然とした国家を思い浮かべる人が多いと思います。その整然とした国家は、規律正しく、君主に対する忠誠心に満ちた官僚たちによって担われていたとも。時代がくだるにつれ、その整然とした国家体制は弛緩し、形骸化してゆくという流れもよく言われます。本書はそのようなステレオタイプのイメージを根底から一新します。

――それにしても、1200年以上も昔の出来事を知ることができるというのはすごいですね。

虎尾:私は歴史学者ですので、史料を離れてモノを言うことはできません。ただ、古代史は史料が極めて限られているので、わずかな史料からいかに多くのことを引き出すかが肝要です。史料の行間や裏の裏を読んで、ギリギリ深読みと紙一重のところで解釈することになりますが、実はそこが古代史の醍醐味でもあります。

――なるほど。古代史を学ぼうとする人にアドバイスをいただけましたら。

虎尾:私は大学を出てからずっと地方暮らしでしたので、学界中央(東京・関西)での情報交換の機会には恵まれませんでした。ただ、情報が入ってこない分、及ばずながら、史料を徹底的に読み、史料に沈潜することを心がけたつもりです。今はネットを通じて、どこにいても情報が入ってきますが、史料を読む力はネットでは培えません。古代史を学ぼうとする人は、ぜひ史料を厳しく読む力を身につけ、たゆまず磨き上げてください。古代史研究者の真価が問われるのは、結局、史料を読む力だと思います。

――最後に、今後の取り組みのご予定をお聞かせください。

英国国立公文書館で調査中の著者

虎尾:幕末に来日し、長期滞在した先駆的英国人日本学者、アーネスト・サトウと、その盟友ウイリアム・アストン(『日本書紀』を英訳)に関心があり、毎年渡英しながらコツコツ資料を集めています。2人の学問的な盟友関係のありようを具体的に明らかにすること。それが今後のライフワークになりそうです。

――ありがとうございました。

虎尾達哉(とらお・たつや)

鹿児島大学名誉教授。1955年、青森県生まれ。京都大学文学部卒業後、同大学大学院に進み、博士号(文学)を取得。専門は日本古代史。『日本古代の参議制』『藤原冬嗣』『律令官人社会の研究』などの著書がある。