2021 02/24
特別企画

ミャンマーでのクーデターとロヒンギャ危機/中西嘉宏

ロヒンギャは、仏教国ミャンマーに住むイスラーム系民族のひとつである。軍事政権下、国籍が与えられないなど長く差別されてきた。2017年、紛争と国軍による掃討作戦で、隣国バングラデシュへ大量のロヒンギャ難民が発生した。

この危機の背景にある、ミャンマーの歴史と危機発生の経緯、掃討作戦時の「ジェノサイド」をめぐる国際政治を『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』で解説した中西さんに、本書刊行後にミャンマーで起きたクーデター、そしてロヒンギャ問題に与える影響について、エッセイをお書きいただきました。

このニュースは再放送なのか?

2021年2月1日の朝、大学に出勤する準備をしていました。着替えるときにテレビをつけることは普段はないのですが、この日はなぜかテレビをつけました。子どもたちが保育園に出かけて、それまで部屋に響いていた騒ぎ声がなくなると、いつも以上に静寂を感じてしまい、無意識になにかの音を欲しがったのかもしれません。

BBC(英国放送協会)をつけました。このとき時計を見た記憶があります。ちょうど8時でした。「アウンサンスーチー氏、また、文民で(選挙で)選ばれた大統領が早朝の捜索によってミャンマーで逮捕されたということです」という同時通訳の声。シャツのボタンをとめながら画面を見ると、“Aung San Suu Kyi has been detained.”(アウンサンスーチーが拘束された)という文字が出ています。

「昔のニュースかな」と瞬間的に思いました。1988年から2011年まで続いた軍事政権時代に、アウンサンスーチーは長く自宅軟禁下にありました。BBCはその頃のニュースを再放送で流しているのか。そう思ったわけです。

でも、そんなわけはありません。昔のニュースをリアルタイムのように放送されては、視聴者は混乱します。あまりに想定外のことを聞いたために、脳が勝手な解釈をつくりだしたのでしょう。すぐに頭を切り替えて集中しましたが、詳しい情報は出ていません。アウンサンスーチーと大統領が軍に拘束された、それだけです。

日本の午前8時は現地では午前5時半。情報の出どころはアウンサンスーチーの政党である国民民主連盟(NLD)。情報がニュースになるまで1時間から2時間かかったとすると、拘束があったのが3時台から4時台。この日は新しい議会の招集日。直前には国軍が議会招集の延期を求めたものの、政権は要求に応じず。軍の報道官からクーデターを匂わすような発言あり。

こうした背景情報をつなげると、拘束はありえるなと感じました。とはいえ、少しパニックになって、なにをすればよいのかわからず、リビングをぐるぐる3周くらい歩いたあと、現地のジャーナリストや知り合い、政治家にメールやSNSでメッセージを送りました。

バンコクのジャーナリストから、「拘束は確からしい」という返答がありましたが、肝心のミャンマーからは返事がありません。SNSを確認すると、どうも首都ネピドーを中心に通信が遮断されているようでした。クーデター時に通信網をおさえるのは定石。現地と連絡がとれないことで、かえって情報の信憑性が上がりました。

その後の展開は日本でも報道されている通りです。同日の午前中には、ミャンマー全土に非常事態宣言が発令され、国軍が国家の全権を握りました。この一連の過程については、すでに多くの報道がありますし、私もいくつかの論考を書いていますので、是非そちらをご参照ください。 

『ロヒンギャ危機』刊行から2週間で起きた政変

さて、中公新書の一冊として『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』を上梓したのは1月半ばのことでした。あたりまえですが、今回の事件のタイミングに合わせたわけではありません。最終原稿を提出したのは昨年の10月でした。その後、校正の段階で11月に行われた選挙結果(NLDの大勝)について加筆しました。

この本のテーマは、2017年8月にミャンマー西部にあるラカイン州で発生した紛争と、ロヒンギャという集団の隣国バングラデシュへの大量流出です。国軍と武装勢力との衝突からわずか4ヵ月ほどで、約70万人のロヒンギャが難民として国境を越えました。以前からいた難民と合わせて、いまも、約100万人がバングラデシュのコックスバザールにある難民キャンプで暮らしています。

この危機の背景にある、ミャンマーの歴史とラカイン州での宗教紛争、そして危機発生の経緯、さらには、その後のジェノサイド疑惑をめぐる国際政治について、この本では検討しています。

ロヒンギャ問題という課題は難しい挑戦でした。関係者が、皆それぞれ異なる事実と正義を語るテーマだからです。いったいどう書くべきなのか常に迷いながら、手探りで執筆しました。執筆に苦労した分、発売前に手元に届いた見本を眺めたとき、ちゃんと出せてよかったなと安堵しました。たった1ヵ月くらい前のことですが、ずいぶん昔のことのように感じます。

刊行から約2週間後に、アウンサンスーチーの拘束と非常事態宣言の発令です。普段はあまり顧みられないミャンマーの情報に、みなさんの関心が集まりました。拙著を手に取ってくださった読者も多いと聞きます。それ自体はありがたいことなのですが、とはいっても、事態が事態だけに素直に喜べません。

編集担当の吉田亮子さんによると、今回の事件が「校了直後だったら機械を止めてでも加筆修正すべきだったかもしれません」とのこと。

この本は、ロヒンギャ危機を長期的な視点から検討していて、そう簡単には古びないように執筆しています。ですが、第2次アウンサンスーチー政権の成立を前提に書いている部分があり、非常事態宣言後の刊行であれば、その部分の書きぶりはきっと変わっていたでしょう。

いまさら内容を変えるわけにはいきませんが、以下、今回の非常事態宣言がロヒンギャ危機に与える影響について、簡単に補足します。拙著をもう読んだ方はもちろん、まだ読んでいない方にも役に立てば幸いです。

2月1日クーデターとロヒンギャ難民の今後

アウンサンスーチー政権下(2016年〜)での文民政権と国軍との間には、常に緊張関係がありました。それは拙著のなかでも指摘しています。長く敵対関係にあった両者の間でぎりぎり保たれていたバランスが、2月1日、国軍の権力奪取というかたちで崩れてしまいました。

今回の非常事態宣言は、2011年の民政移管(軍事政権から文民政権への移行)の後にこの国が進めてきた、民主化、自由化、経済改革、外交関係の拡大といった流れを逆行させかねない重大事です。下手をすると、かつての軍事政権時代に逆戻りです。

ミンアウンフライン国軍最高司令官は、国家権力の掌握が正当であることを主張しています。しかし、アウンサンスーチーの拘束容疑である輸出入法違反(私設警備隊が所持していた無線機が対象)は、軍の部隊を突入させて身柄を拘束するには、あまりに軽微な罪です。非常事態宣言発令の根拠となった選挙不正疑惑も、十分な証拠があるわけではありません。

今回の国軍の行動は、法的な正当性も、政治的な正統性も、ともに欠けているようにみえます。事実上のクーデターだといってよいでしょう。では、この事実上のクーデターがロヒンギャ問題にどういった影響を与えるのでしょうか。

多くのロヒンギャは、アウンサンスーチー政権を決してよい政権だとはみていなかったと思います。約70万人の難民流出は、彼女の政権下での出来事でした。大規模な人権侵害が起きたとされる国軍の掃討作戦は、当時の大統領(アウンサンスーチーの側近)の承認を受けて実行されています。国際司法裁判所(ICJ)でジェノサイド疑惑を否定したのはアウンサンスーチーです。

そのアウンサンスーチーらが拘束されて、国軍が国家を掌握したことを肯定的に受け止めているロヒンギャたちも一部ではいるようです。ですが、今回の件でロヒンギャ問題の解決が早まることは、まずないと思います。

その理由はなによりも、国軍がナショナリストの集団だからです。ミャンマー国軍には、国防という一般的な軍隊の役割を越えた、国家の守護者という独特のアイデンティティがあります。そのアイデンティティのもとで、ムスリムであるロヒンギャを、仏教国ミャンマーの国家安全保障上の脅威だと国軍はみなしてきました。ロヒンギャも多くは軍政下の故郷に帰ることを希望しないでしょう。

国軍が国家の中心にいる限り、ロヒンギャ問題の解決は遠のきます。なので、5年ごとに選挙を繰り返して、国軍から少しでも距離のある文民政権が続くことが大事でした。国会の議席の4分の1を軍人議員が占めるような不完全なデモクラシーであっても、また、アウンサンスーチーの政権運営にさまざまな問題があったとしても、文民主導の政権とその選挙による制度に従った入れ替えを、だましだまし、、、、、、続けることで、多少なりとも民主的な政治のルールを定着させる必要がありました。

今回の国軍の政治介入で、ただでさえ弱々しかったミャンマーの民主化過程は後退を余儀なくされます。このまま、アウンサンスーチーらの拘束が長引き、反対する市民らに対して国軍が暴力を行使すると、国内外からの批判はさらに広がることが予想されます。仮にアウンサンスーチーが解放されても、2020年選挙の結果を国軍が否定している限り、統治者の正統性をめぐる争いには折り合いがつきません。

選挙で有権者の6割を超える人たちが投票した政党を受け入れられない国軍が、ロヒンギャという、宗教的少数者(ムスリム)で、しかも無国籍の立場に置かれてきた人々を受け入れることを、私は想像できません。

これが、いまのところのラフな見立てです。他にも、日本や中国、国連などとの外交関係が、このクーデターでどう変わって、ロヒンギャ問題にどのような影響を及ぼすのかなど、論点は尽きませんが、長くなってしまいそうなので、別稿に譲ります。

むすびにかえて

最後に告白をひとつ。クーデターの前日、私のコメントがある新聞に掲載されました。数日前から緊張が高まっていたアウンサンスーチーと国軍との関係について取材を受け、クーデターまではないだろうと答えていました。つまり、今回の国軍の動きを私は読みきれていなかったわけです。

いま、ミャンマーでは市民による抵抗が広がっています。街頭デモはもちろん、市民的不服従による公務員や銀行員のサボタージュもみられます。あの国で国軍に抗議することにどれだけ勇気が必要なのかを考えると、胸の詰まる思いがします。

ですが、多くの市民が街頭で抗議活動をしている映像を観ても、ミャンマーのこれからについて、私の頭には悲観的な予想しかまだ浮かんできません。今回ばかりは、私の予想が、言い訳のしようのないくらい、みごとに外れることを願っています。

中西嘉宏(なかにし・よしひろ)

1977年兵庫県生まれ.2001年東北大学法学部卒業.07年京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科より博士(地域研究)取得.日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員などを経て,2013年より京都大学東南アジア研究所准教授,17年同大学東南アジア地域研究研究所(組織統合により改称)准教授.
著書『軍政ビルマの権力構造―ネー・ウィン体制下の国家と軍隊 1962-1988』(京都大学学術出版会,2009年,第26回大平正芳記念賞),『ミャンマー2015年総選挙―アウンサンスーチー新政権はいかに誕生したのか』(共著,アジア経済研究所,2016年)ほか