2021 01/29
著者に聞く

『板垣退助』/中元崇智インタビュー

岐阜公園の板垣退助銅像、除幕は1918年

「板垣死すとも自由は死せず」の言葉で知られる板垣退助(1837-1919)。戊辰戦争で名を馳せ維新政府に参画した板垣は、その後在野に移り、議会開設を求めて自由民権家の指導者として活躍。議会開設後も自由党を指導、大隈重信とともに内閣を組織し、政治の頂点にも立った。
 幕末から明治期に活躍した人物の評伝は数多い。だが、紆余曲折のエピソードに富みながらも板垣の伝記は、研究者では皆無だった。中元さんの『板垣退助』はその第一歩であり、決定版でもある。板垣への思い、今回の執筆について話をうかがった。

――なぜ板垣退助を研究しようと思ったのですか。

中元:私が高校生の時の1993年、非自民政権の細川護熙内閣が成立しました。政治改革や二大政党制への期待がメディアに取り上げられ、漠然と政党に対する興味を持ちました。それで政党や議会政治を考えるためにも、明治時代の最初の本格的政党・自由党について研究しようと考えたんです。大学での卒業論文は、板垣退助を領袖とする土佐派が第一議会で政府予算案への妥協に応じた「土佐派の裏切り」でした。

 実は当初興味を持ったのは、板垣の側近で政策を立案していた栗原亮一。板垣外遊にも同行し、板垣の意見や政策を数多く執筆していた人物です。栗原による自由党の国家構想や経済政策を調べる中で、栗原に自由に執筆させた板垣に興味や関心が移ってきました。ただ1990年代は板垣への評価が非常に低い時でした(苦笑)。

――板垣の魅力はどういった所でしょうか。

中元:非常に人間的な所です。戊辰戦争の軍事指揮官として板垣は会津戦争で多くの部下を死地に送ります。自由民権運動でも多くの同志を失う。板垣は軍人として、あるいは自由党総理として、部下や同志を死地に送る決断ができる人物でした。

 同時に板垣は彼らを忘れることはなく、例えば自由党激化事件の顕彰運動を晩年まで行うなど、自分の部下や支持者、弱者に対してつねに優しい人物でした。そうした熱心な支持者に板垣は支えられ続け、死後も各地に銅像が造られていったと考えています。

 また、板垣が在野の逆境に耐えた政治家であった点も魅力です。1877年の西南戦争で西郷隆盛が死去後、板垣は藩閥政府に対する抵抗のシンボルとなります。その後、板垣は約20年にわたり、在野の自由民権家・政党政治家として一貫しており、こうした点は大隈重信や幼なじみで盟友であった後藤象二郎と大きく異なります。

 板垣ほど自由民権運動・初期議会期における「民党」の指導者としてふさわしい人物はいなかったでしょう。その在野性が自由民権運動・自由党と支持を集め続けた一因でもありました。

――板垣は、どういった人物だったと思いますか。

中元:残念ながら、政治的な能力はライバルの大久保利通や伊藤博文、大隈重信に遠く及びませんでした。にもかかわらず、板垣が明治維新後、30年以上にわたり、逆境の中でも政治生命を失わなかった。それは片岡健吉、林有造、栗原亮一、植木枝盛や河野広中、星亨ら有為な仲間や部下たちを積極的に登用し、彼らの政治力・人格・知識などを結集して協力を得ることができたからです。こうした人心を集めることができる人物でした。

 ただし、逆境に耐え続ける板垣を支え続けるのも大変です。戊辰戦争以来の配下で土佐派の幹部であった片岡健吉は高知の大獄、三大事件建白運動と二度も投獄されます。私だったら友人にはなっても、部下にはなりたくないかもしれませんね(笑)。

 また、隈板内閣の時のように、自ら政権獲得に執念を見せないで大隈に首相を譲るような板垣は、現代の政党政治では代議士や党員から引きずり下ろされるかもしれません(笑)。

――今回の著書はどういったことを意識して執筆しましたか。

中元:まず大学1年生が辞書なしで読める伝記を目指しました。史料をそのまま引用するのではなく、なるべく現代語訳をするなどの工夫したつもりです。その際に、手軽に読むことができる新書としての性格を考えて、板垣の事績やエピソードについても、取捨選択して、コンパクトにまとめました。

――注目して欲しい所はどこですか。

中元:第一に、板垣の人生を五つの局面に整理し、その変化を中心に叙述した点です。

 第二に、板垣自らが関わった『自由党史』や『板垣退助君伝』などで伝説化されている板垣の事績について当時の史料から再検討し、実像を明らかにした点です。たとえば『自由党史』では、板垣が戊辰戦争から自由民権運動まで首尾一貫していたように描かれている。実際は戊辰戦争、土佐藩の藩政改革、明治6年・明治8年政変、西南戦争と状況の変化を受けて、自由民権運動に至っています。また、広く知られる「板垣死すとも自由は死せず」の名言についてもその真偽から成立過程や政治的背景を明らかにしました。
 
 第三に、板垣の政治活動について、その個性や周囲の人物に力点を置いて迫ったことです。この本では、板垣の個性に関わるエピソードを図版や風刺画も取り入れて織り込みました。板垣の好物やルイ・ヴィトンの鞄の話、外遊から帰国した板垣がヒゲを生やしていたため、党員に本人と気づかれなかったといったエピソードなども載せています。

 また、板垣と西郷隆盛・江藤新平らの関係や板垣を支えて活躍した土佐派の片岡、林、栗原や河野、あるいは星といった人々についても、その個性も含めて執筆しました。

――執筆に最も苦労されたのは、どういった所ですか。

中元:板垣が83年の長命だったことです。板垣の人生すべてを稠密に描くには新書の紙幅では収まりません。そのため、板垣の人生で捨てざるを得なかったエピソードや事績もありました。

 また、板垣が自ら書き残した書簡は非常に少なく、本人自身も政治的な危機の際に焼き捨てたと回想しています。特に、幕末維新期の事績に不明な点が多く、史料も限られていました。さらに、板垣自らが関わった『自由党史』や『板垣退助君伝』などは板垣を伝説化して描いているため、その記述が真実か否か史料批判をしなくてはなりませんでした。そのため、板垣の伝記を書くことは非常に難しく、約半世紀にわたって板垣の伝記が刊行されなかったのも、よくわかります。

――『板垣退助』を通じて読者に伝えたいことはありますか。

中元:日本最初の政党を結成し、議会政治に大きな役割を果たした板垣の実像を知ることは、現代の政党や議会政治を考える材料になると思います。板垣は政党の創立者であり、自由党を通じて議会政治に深く関与しました。例えば、自由党における板垣の党改革とその挫折は政党におけるリーダーシップのあり方と課題を示しています。

――中元さんは、そもそもなぜ歴史、なかでも日本近代史に関心を持ったのですか。

中元:中学・高校生の時から歴史自体は好きでした。ただし、高校時代は東洋史も好きで、日本史では鎌倉時代や戦国時代の本も読んでいました。網野善彦さんの『蒙古襲来』は繰り返し読みました。立命館大学に入学したのですが、実は最初は産業社会学部でした。その後、文学部の山崎有恒先生が顧問をされていた自主ゼミに入って日本近代史の研究書を輪読し、文学部に転部して山崎ゼミに入ったのです。そこから、日本近代史を本格的に勉強することになりました。

――研究者にはいつ頃から、なりたいと思ったのでしょうか。

中元:そこまで研究者一筋の人生ではなかったと思います。4年生の時には少しばかり就職活動をしましたし、教員採用試験も受けた後、大学院入試を受けました。
 山崎先生がサバティカルで国外に留学された後、4年生後期の半年間、私は皇學館大学の田浦雅徳先生から卒業論文を指導して頂きました。当時、山崎先生はサバティカルで国外におられましたし、大学院を担当されていませんでした。そこで、幕末土佐藩にも造詣が深く、著名な羽賀祥二先生がおられた名古屋大学大学院文学研究科博士前期課程に進学しました。研究者の道を意識するようになったのは博士後期課程に進んでからです。その意味で私は様々な先生とのご縁で、研究を続けることができたと思っています。

――コロナ禍による研究の苦労は、どうですか。

中元:今回のコロナ禍は私の勤務校である中京大学でも色々と影響が出ました。私はオンライン授業の準備に追われましたし、ゼミ生も春学期はGooglemeetでの発表となり、随分と苦労しながら、卒論を書き上げました。

 また、本書執筆の最終段階では、愛知県内でも図書館が閉館し、東京や高知など各地への出張も困難となったため、現地で史料を確認できないなど、本当に苦労しました。

――これからはどういった研究を行っていきたいですか。

中元:『板垣退助』の執筆を契機に、もう一度自由民権運動と帝国議会開会後の自由党について、両者を架橋する形で研究を進めていきたいと思っています。板垣を軸に自由党の運動や組織・選挙などについても研究を進め、当時の政党の特質にさらに迫っていきたいと考えています。

 長期的には、立憲改進党系の幹部であった尾崎行雄について検討してみたいです。「憲政の神様」と称され、伝説化された尾崎は三重県、伊勢神宮のある現在の伊勢市など南勢が地盤でした。尾崎は25回連続当選を果たし、明治・大正・昭和の政治史を生き抜いたわけです。そこで、伝説化された尾崎の実像に迫り、戦前における政党政治を長いスパンで検討するのも興味深いのではないかと考えています。ただし、尾崎は板垣以上に長命のため、随分先のことになるかもしれませんが。

中元崇智(なかもと・たかとし)

中京大学文学部歴史文化学科教授.1978(昭和53)年兵庫県生まれ.2000年立命館大学文学部日本史学科卒.07年名古屋大学文学研究科博士後期課程修了.博士(歴史学).高千穂大学商学部准教授などを経て現職.専攻・日本近代史.著書に『明治期の立憲政治と政党―自由党系の国家構想と党史編纂』(吉川弘文館,2018年).共著に『自由民権〈激化〉の時代』(日本経済評論社,2014年),『近代日本の歴史意識』(吉川弘文館, 2018年),『明治史講義 テーマ篇』(ちくま新書,2018年)他多数