- 2020 07/21
- 著者に聞く

数学者は、どんなことを考えて数学を「する」のでしょうか。この難問に数学者自身が真っ正面から切り結び、数学という豊穣な世界に読者を誘った稀有の書である『数学する精神』の増補版がこのたび刊行されました。
――本書の前身である『数学する精神』は2007年9月に刊行されましたが、本書「増補版のためのあとがき」には、そのときの読者の反応として、「少なからぬ読者の方々に気に入っていただけているようである。しかも(……)単に気に入っているだけでなく、愛してくれてもいるようだ」と記されています。どんなふうに愛されてきたのでしょうか。そして、それはなぜなのでしょうか。
加藤:『数学する精神』についての個人ブログでの書評やSNSでの反応、さらには直接耳にした感想などに触れるたびに、この本の評価はどれも見事に好意的であったことに驚かされました。
単に面白かったというだけでなく、パスカルの三角形からあれほど広大な世界が広がっていることに感動したとか、数学の見方がまるっきり変わったとか、とても嬉しい反響だったと思います。
読者の中には学校の先生も多いと見受けましたが、学生にも勧めているという声も多く聞かれました。
このように、この本について感想をお聞きすると、いかに愛読していらっしゃったかが伝わってきます。
――上記のように愛されてきた本を増補したいと思われたのはどんなことがきっかけですか。
加藤:私もこの本が実は好きでしたが、いろいろ手直ししたいと思っていたところも(多くはありませんが)ありましたし、また、13年経って自分の意見にも若干の変化が出てきた箇所もあります。なかでも「美しさ」と「正しさ」という二大ハードプロブレムの視点は13年前にはなかったように思います。
そういう意味で、増補版という形で改めて「美しさ」と「正しさ」を対比し、それらについてもう一層向こう側の考察を付け加えることができたことは、大変自分としても好都合だったと思います。13年というと、長いようで短いようで、短いようで長いような時間です。その間に、『数学する精神』は本質的な軸足は不変でありながら、そこから見渡す周囲の景色の解像度が増した分、着眼点も少しだけ豊かになったかもしれません。もちろん、まだまだ発展途上ですが。
――それでは、この増補部分を執筆されるにあたって、とくに力を入れたところはなんですか。また、苦労したことがありましたら。
加藤:「正しさ」という初版では真正面から取り上げなかった視点を導入するところが難しかったかもしれません。あれだけ一念発起・恥を忍んで(!)「美しさ」について自論を展開したわけですし、その着眼点やスタンス自体は変えないままに、読者の視点を少しずつ変化させていく作業でした。うまくいったかどうかわかりません。
――これから取り組みたいと思っていらっしゃることは何ですか。
加藤:数学の研究では、リジッド幾何学というのをやっていますが、その枠組みの中で、代数幾何学的ハイブリッド空間概念(と私が勝手に名付けているもの)についての研究を引き続き行っていきたいと思っています。その他、数学論や数学史など、専門家ではないですが引き続き、さまざまな形で考察し発信していけたらと思います。
私が執筆するモティベーションは、より多くの人たちに数学という学問を知ってもらって、興味を持ってもらうこと、もう少し大胆なことを言えば、日本人(に限らない人々)の数学リテラシーの向上に少しでも寄与していくことです。ですから、数学の専門書や、数学についての啓蒙書、数学史の本、学習参考書など、幅広く携わっていきたいです。
――最後に読者、特に若い人たちに、とくにお伝えになりたいことがありましたら、一言お願いいたします。
加藤:数学は一つの学問でありながら、数え切れないくらい多くの学問分野から成り立っている混成領域でもあります。ですから、「数学する」ということは、その行為の種類も、楽しさも、とても豊かで多種多様です。また、人類全体の世界における数学の影響力や存在感は、ますます高まっていくことでしょう。
21世紀は数学の世紀になるでしょう。そういう時代の中で、「数学する精神」を磨き高めていってもらえたらと思います。