2020 06/01
著者に聞く

『中国の行動原理』/益尾知佐子インタビュー

中印国境の村、タワンに入る標高4170メートルの峠で

昨年末に刊行した『中国の行動原理』は、各紙誌の書評で取り上げられ、高く評価された。この本では、世界各国で批判される中国の特異な行動について、毛沢東から習近平にいたる指導者たちの歴史的言動、文化人類学による民族の特質・特性、さらには共産党内で働く力学からと、さまざまな視角から読み解いている。自らの体験も絡めつつ描いたこの本について、また新型コロナの発生からその影響を受けた中国について、延期されていた全国人民代表大会(全人代)開催直後にうかがった。

――そもそもなぜ中国に関心を持ったのですか。

益尾:さあ、いつでしょうねえ。中国はいつも身近にあったので……。うちの父は語学オタクで、いろんな言語を勉強していたんですが、一番熱心にやっていたのが中国語でした。ただ、父は離島の出身でお金に苦労しまして、子供も4人いたので、とにかくドケチで。父にはお金を払って言葉を習うという発想がなかったんです。それで、毎日テレビとラジオで片っ端からいろんな語学講座を聞いていました。すごく小さな時から、家の中で中国語の音が当たり前に流れていたので、意味はわからないんですが、面白がってよく歌まねとかしていました。

それに、うちは家におもちゃがなかった。「外で遊んでこい」って。ドケチですから。でも、雨の日だってあるじゃないですか。そういうときに遊ぶのは、リンリンとタンタンっていうパンダのぬいぐるみでした。父は新聞記者で、記者交流で中国に行ったことがあって、そのときに買ってきたやつです。古くなってほつれてきたら、中から本物の籾殻が出てきてびっくりしました。父はよく私たちを中国物産展にも連れて行ってくれて、動物のガラス細工など買ってくれましたね。手作りで可愛かったから集めていたんですが、きっとお財布に優しい値段だったんでしょう(笑)。

なので、小さい時からいつも中国はそばにあったんですが、中国との関係を意識したのは、たぶん小学校高学年です。父が取材で中国から帰国した残留孤児の一家と知り合い、受験を控えていた子供さんのために、ボランティアで学習支援を始めました。家族でご自宅に招かれ、餃子を包みに行ったことがあります。そこのお姉さんたちは、血統的には半分日本人だけど、日本語はまだほとんどできない。でも今後は日本で生きていかねばならない。なんでその人たちが苦労しているのか考えると、戦争の歴史とか、そのあとも日本と中国が自由に往来できなかった事実とかが出てくるわけです。身近なところで、とても考えさせられました。

――中国を研究対象にしたことによって、得られたことは何ですか。また失ったものがあるとすれば何でしょうか。

益尾:得られたのは、飽きない人生、ですかね。中国人は本当に、次から次に新しいことを考えますから。息をつく暇もない感じです。

失ったものは、心のゆとり。……それに若さと美貌(笑)。中国を追いかけている間に、気がついたらすごい年月が過ぎていて、すっかりがさつで余裕のない人間になってしまいました。この仕事をやっていなかったら、もっと美しい他の人生があった気がする(笑)。

――今回のご本で最も訴えたかったことは何ですか。

益尾:この本は、私の中では目的がはっきりしていました。実は私、この本を書いたら、もう日本語で本を書くのはやめようと思ってんですよ。あはは、すみません。日本では、自分がやっている研究分野は本が出しにくいという印象があったので。日本の出版業界は、どんどん厳しくなっているでしょう? 研究内容の良し悪しにかかわらず、読者が読みたい内容に論調を合わせなければ本が出せない。中国については、日本の読者はいいニュースを読みたがりません。ニーズがあるのはせいぜい、ごく一般的な入門書くらいでしょうか。研究者としては、あまり面白くないんです。

しかも、日本で頑張って出版にこぎつけられても、いま世界中で盛り上がっている、中国をめぐる学術的議論にはまったく関与できない。だったら最初から英語か中国語で、最先端の論文を出す方がいいんじゃないか、と思うようになっていました。それで、この本は日本語での「遺作」にするつもりだったんです(笑)。

でもまあ、私は小学校から大学院まで、ずっと日本の学校を卒業した人間なので、日本語の世界にもそれなりに恩がある。だったら最後に、人の役に立つものを書こうと思いました。

日本社会にとって、中国はリアルな問題だと思います。付き合いにくいけど、影響力が大きい。世の中には嫌中モノが溢れています。でも、たとえこちらが上から目線でつきあおうとしても、もはや相手の力の方が大きいわけですよね。じゃあそんな中国と、どうやっていけばいいのか。そういうことを考えて、私、昔はベトナムとかの事例を勉強したりしていたんです。

それで、中国と長期的に共存していくには、中国をよく理解し、中国の力を利用しながら自分の体を守っていく合気道的なやり方しかないな、と思うようになりました。私、大学時代は合気道部だったんです(笑)。合気道は、相手を倒すことが目標じゃない。自分が倒れないことを目指します。また、自分のエネルギーを節約するために、相手の力を利用して相手のバランスを崩すことを考えます。

それをやるには、中国という生き物の考え方、体の使い方をよく理解することが不可欠。だからこの本では日本の読者に、中国人の考え方と動き方を、内側の論理で説明しようと思いました。まず中国人の論理を理解してもらい、その上で中国と組み合う方法を考えていただきたかったんです。相手の行動様式が読めて初めて、それに対する現実的な対策が考えられるので。だからまあ、この本では、中国人の物の見方に、賛成しなくてもいいけど理解は示してください、その上で不一致部分の問題に対処する現実的なやり方を考えましょう、って言いたかったんですよね。

あと、本当は私、『海の中国 陸の中国』って本を書きたかったんです。編集の方に興味をもってもらえなくて、企画としては実現しなかったんですけど。その部分は、勝手に5章、6章に入れちゃいました。ここでは、中国国内のそれぞれのアクターが自己利益を追求した結果、中国外交の全体図が変わっちゃうという話を細かく書けたので、満足しました(笑)。

――ご本の反響はいかがですか。

益尾:考えていたのより大きかったですね。新書という媒体は、他の国にはなかなかないと思うんですけど、日本では独自の地位を築いていて、社会的にも大きな役割を果たしているんだなあと改めて思いました。外交とか防衛の実務の最前線に立ってこられた方や、中国に十何年も駐在されているビジネスマンなど、かなりの玄人の方からメールやお手紙をたくさんいただきました。みなさん普段から、どうすれば自分の利益を守りながら中国とまともな関係を築けるか、ずっと考えていらっしゃったようです。たまたまうまく問題意識を共有できたのでしょうね。

でも、やっぱりテーマが中国ですから。世の中にはとにかく中国が嫌い、って方も少なくないので。アマゾンのレビューには、私、「中国共産党員」って書かれちゃいました(笑)。本当の党員が読んだら、「入党不許可」って言うでしょうけど。

――益尾さんは、アメリカで中国研究の第一人者エズラ・ヴォーゲルの下で学んでいます。日本での中国研究と、アメリカでの中国研究の違いはありますか。

益尾:中国研究も分野によってさまざまなので、私が多少わかるのは、自分の専門に近い政治外交分野ということになります。違いはかなり大きいですよ。アメリカの中国研究は、ポリティカル・サイエンスとか、その派生分野として扱われている国際関係論とかが柱です。彼らは人類社会の普遍的な原理を探り当ててなんぼと思っているので、理論的なアプローチが好きですし、統計処理などの量的アプローチもよく使います。アメリカ人は、中国社会に特殊な事情があることも理解はするけど、基本的には西欧社会の歴史の中で磨き上げられた分析ツールを使って、中国事情を分析しようとします。

対して、日本はやはり、有史以来の漢学の積み上げがありますから、まず物事の背景となる歴史をしっかりと押さえ、内側から中国を理解しようとします。語学ができて、その社会のことならなんでも聞いてくださいというような、地域研究的で質的なアプローチを好みます。これは、政治学を専門にしている研究者の間でも同じ。実際に、私たちは中国人と見た目も変わらないですし、漢字ができるから法律文書や行政文書も難なく読めるわけで、その気があれば白人系、黒人系のアメリカ人よりずっと簡単に中国社会に浸透できます。

どちらがいいんでしょうね。アメリカ人は、自分たちのアプローチはより学術的で客観的だというし、すごいなと思う部分もあるんですが、そのときそのときの学界や社会の流行に流れすぎるのは明らか。極端ですよね。対して、日本は中国の隣国で、しょっちゅういろいろな影響を受けるので、実業界も政治家も一般人も、中国についてかなり経験値を蓄積している。

日本の中国理解は、欧米と比べてかなりすごいレベルにあると思いますし、学界ももちろん恩恵を受けています。日本の中国研究に対して、中国側からの評価は高いです。ただ、日本の大学の先生は学内業務で忙しくて余裕がないので、外からはよく閉鎖的と言われますね。

――アメリカ人は中国をどのように見ていますか。特にCOVID-19の流行以降、変わったことなどあるでしょうか。

益尾:先ほども申し上げたように、アメリカはかなり流行に左右される国でね。私は2014年にヴォーゲル先生に呼んでもらってハーバード大学に行ったんですが、まだ2012年の尖閣国有化と中国の反日デモの余韻が残っていました。アメリカの研究者は口々に、中国はそう悪い国ではない、日中関係があんな風になったのは日本のやり方が間抜けだったからだ、自分たちは中国とうまくやっていける、と言っていましたよ。同じことは、ヨーロッパ人からもカナダ人からもオーストラリア人からも言われました。

そこにいた日本人は、セミナーなどでは結構頑張って説明していたんだけど、自分たちだけになると、欧米は中国の難しさを全然わかってないね、って愚痴をこぼしていました。日本と同じく中国について警戒していたのは、アメリカでは防衛関係者くらいでしたね。

で、結局私たちが正しかったんじゃないのかなあ。それから5年経ったら2019年。中国の国力がアメリカを脅かすくらいに大きくなって、去年は米中貿易戦争があんなに盛り上がりました。アメリカでトランプを批判する人は多いけど、反中ムードは去年の時点で十分、超党派的な動きになっていました。一般人の印象は、ソ連以上の手強い悪玉が現れた、という感じじゃないですか? 

新型コロナは、すでに燃え上がっていた火に油を注いだわけです。これが、東海岸の都市部に住むエスタブリッシュメントの日常生活を恐怖に突き落とした。彼らにとっては、中国共産党が世界に災いをもたらすという中国脅威論が、ある日突然、本当に現実になったわけです。

いま、中国ではトランプが世界の悪玉みたいに言われているんですけど。でもアメリカの状況を見ていると、トランプは中国とディールをしようとするから、中国にとってはまだマシなんじゃないかと思いますね。アメリカではどちらの党派にも、中国とはディールさえ不要と考える人が急拡大している。米中関係は今後数年間、ものすごい難局に突入するでしょう。

――ご本のなかで益尾さんのもとに学びにきた中国人留学生について触れている箇所があります。長年ご覧になっていて彼らはどのように変わってきましたか。日本について、どのように感情が変わってきたと思いますか。

益尾:1980年代に日本に来ていた中国人留学生は、優秀かつハングリーな最高の人材でしたけどね。いま、留学に来る子たちは一人っ子世代で、そういうハングリーさはないです。また、日本に来る中国人留学生のバックグランドも明らかに変わってきています。中国自身がリッチになって、欧米に私費留学できるようになったためです。

中国の受験戦争は日本と比較にならないくらい激しいので、中国ではお金持ちの子は幼稚園から英才教育を受けています。学業成績と家庭の収入レベルの相関が高い。だから、成績がよくかつお金持ちの子は、まずアメリカを目指し、次にヨーロッパやオーストラリアを目指します。

日本とかシンガポールに来る子は、それができなかった「小金持ち」レベル。日本の大学は世界的に見れば学費はかなり安いですし、外国人から特別料金を徴収したりしません。九州大学で私の身近にいる留学生は、地方幹部とか、学校の先生、大企業の従業員、あるいはビジネスオーナーの子供が多いですね。上の下か、中の上くらいの生活を送っている人が、一度くらい海外に出てみたいなと手軽に目指す存在が日本です。

だから、日本に来る留学生は、昔に比べたらよっぽど「普通の人」ですね。まあ、語学なんかは日本人学生より圧倒的にできるんですけど。しかもいまの留学生は、中国が豊かになってからの生活しか知らない世代。小さな時から日本のアニメを見て、日本の日常生活に憧れて、日本を選んで留学してきてくれたわけです。日本の若い子たちとの差はどんどん薄れています。社会に出て行く時の悩みとか、日本人との共通項がとても増えている。私の周辺では、友情も愛情もたくさん生まれていますよ(笑)。

でも、それって多分、重要なんです。「日本に留学した人は、帰国してからも日本の悪口を言わない」って中国の人に言われたことが何度かあります。日本に行ってみたら、軍国主義なんて見当たらなかった、っていうのは初歩的な発見。加えて、中国は経済レベルでは日本にもう引けを取らないはずなのに、なぜか日本社会の方がずっと潤いがある、普通の人が安心して暮らせているって、彼らは身をもって実感しています。そういう認識は、彼らを通して他の中国人にもかなり広がっている。

じゃあ、なんでこの差が生まれるのか。若い世代は自分で考えていますよ。将来、彼らが社会の決定権を握る時がくれば、この認識が活きてくると思います。日本はだまって隣に存在しているだけで、中国人にとても大きな刺激を与えられるんです。

――武漢からCOVID-19が発生し世界に広まっていますが、これに対する中国の行動は、『中国の行動原理』に示したことを“実証”することになりましたか。あるいは何か新しい変化があるように思われますか。

益尾:残念ながら、きれいに“実証”していると思います。案の定、いろいろなレベルの関係者がそれぞれ自分の利益を優先した結果、中国では新型コロナへの対応が遅れました。これは、まさに“中国あるある”です。ただ、問題が抑えきれないくらい大きくなって、トップ指導者が自分で対処すると決めた途端に、中国の動きは毅然たるものになりました。習近平は自分を、困難な問題に果敢に立ち向かう国家的英雄と位置づけ、全国にコロナ防衛の動員体制を張り巡らせることで、自分への権力集中をさらに進めました。

でも、それって無理がありますからね。やっぱり内部では、政権へのいろんな不満とか、世界的な経済危機による将来への不安とかがくすぶっている。だから習近平は、いま国内の火消しにやっきになっています。むしろ国内基盤を盤石にしたいがために、海外からの中国批判を敵視して敏感に反応する。対外的には強硬と見られる言動を積み重ねてしまう。

5月22日に全人代が始まりましたが、その政府活動報告を見ても、中国の対外政策がいま、完全に方向性を見失っているのがわかります。内政の動揺を恐れるあまり、それと対外関係とをどうバランスしたらいいのかわからず、思考が停止している。習近平政権には、世界が中国をどう見ているかを冷静に判断する余裕がないということです。

中国政治の潮目は、コロナ禍で大きく変化したと言えます。習近平はこれまで、内政と外交のバランスをなんとかまともに保とうと努力していたんですよ。しかし、それはもはや不可能になりました。中国は昨年5月から、米中貿易紛争を「ふっかけてきた」米国を名指しで批判するようになっていましたが、今年5月からはそのトーンを上げ、人民ネットがアメリカ批判の論文を、各国語への翻訳付きで大々的に連載したりしています。

中国は1963年からソ連を批判する9本の論文を発表して、“兄弟国”だったソ連との喧嘩を世界に公開したんですけど、習近平をめぐる内外の雰囲気がその時代にすごくよく似てきてます。最近のオーストラリアいびりも、昔、中国が、ソ連に味方したユーゴスラビアを徹底的に叩いたことを思い出させます。

中国の国内政治がこういう潮流に突入してしまうと、世界にとっても辛いんですが、国内の人たちにはもっと厳しい状況が訪れます。1963年以降、中国では毛沢東の独裁が強まり、国内政治の雰囲気が左傾化して、66年には文化大革命に突入しました。今後、中国国内では、習近平思想への同調圧力がどんどん高まっていくことになるでしょう。また、中国自身が自分の一部とみなしていて、でも政権に従順ではない香港や台湾には、これまでにない圧力をかけていくはずです。

この本の終章は、実際にはそういうことを懸念しながら書いていたんですけど、まさかこんなに早く、友人たちの状況を心配しないといけない日が来るとは思いませんでした。

――いま中国の人たちはCOVID-19についてどのように思っているでしょうか。COVID-19の流行について罪責感みたいなものはあるのでしょうか。

益尾:それは、ほぼないと思います。彼らの認識からすれば、自分たちだって引きこもり生活を強要されて、経済的な不安を抱えている被害者なので。たしかに、中国人の間にも政府の初動に対する不満はありました。でも、多くの罹患者が無症状のまま終わる奇妙な病気ですからね、政府に対して最初から全て適切に対処しろというのも無理かも、と多くの人は思うわけです。

中国政府は自国のコロナ対策を、国家が一丸となって見えない敵と戦う、愛国主義的な物語としてうまく書き換えました。これはそれなりの効果を出していると言えます。去年、米中貿易戦争であれだけやり合っていましたから、多くの国民はむしろ、アメリカのわがままな一国主義のせいで適切な国際協力が達成できない、と愛国的に国際情勢を見ていると思います。国家と社会は、決して同じではないけど、きれいに分割もできないです。

――今後、研究していきたいテーマ、執筆してみたいテーマがあれば教えて下さい。

益尾:当面は、中国の北極政策を事例にして、中国でどのように学際的な政策が検討され、立案され、具現化されているのか研究しようと思っています。中国にとって北極政策は、科学技術とか経済とか安全保障とか国際法とか海洋問題とか、いろんな要素がてんこ盛りの面白い分野なんですよ。

でも将来的には、引退間際くらいに『中国の興亡』みたいな歴史書が書きたいですね。モデルはツキジデスの『戦史』です(アテネとスパルタの間の三十年戦争の様子を描いた、国際関係論の古典)。すごい野望でしょう? 研究者も社会的な生き物なので、どんな研究がどの程度できるかって、自分が生まれた時代に拘束されるじゃないですか。運の要素は否定できない。でも、じゃあ逆に、自分の研究者生命を考えたら、何をするのがいいのかなと思って。

私は1996年に交換留学生として初めて中国に行きました。これは中国では、ちょうど反日愛国主義が盛り上がった年で、「お前は歴史をどう思う?」って中国人に毎日聞かれて、下手な中国語でたくさんケンカしました。ずっと戦闘モードだったんで、疲れたけど面白かった。強烈ないい経験ができましたが、そのあとに大学院に進んだので、博士号が取れた頃には主な大学の中国関連のポストはもう埋まっていた。だから、就職的には氷河期世代です。自分たちはこのまま、世界を浮き草のように漂って行くのかな、って思っていました。きつかったですね。

でも、じゃあこの年代に生まれて、何かいい面はないのか、ってあるとき考えたんです。中国について言えば、たぶん私たちは、中国人がまだビンボーでガツガツしていた時代から、豊かになって余裕ができて少子高齢化して、だんだん戦闘意欲を失っていくところまで全部リアルに見られる。当然、その間に中国の国際的なステータスも激しく変化するはず。これは、私の上の世代にも下の世代にもない利点です。

おお、これしかない、きっと私はこの過程を歴史に残すために研究者になったんだ、と思ったら、その時から歳をとるのが楽しみになりました。だから、今後は健康に気をつけて、多少は遊んで、元気に気長に研究活動を続けていこうと思っています。ありがとうございました。

益尾知佐子(ますお・ちさこ)

1974(昭和49)年佐賀県生まれ.東京大学教養学部教養学科第三類(国際関係論)卒業.東京大学大学院総合文化国際社会科学専攻博士課程修了.日本学術振興会特別研究員,日本国際問題研究所研究員,エズラ・F・ヴォーゲル研究助手などを経て,2008年より九州大学大学院比較社会文化研究院准教授.専攻・国際関係論,中国の対外政策.著書に『中国政治外交の転換点』(東京大学出版会,2010年).共著に『日中関係史1972~2012』(東京大学出版会,2012年),『チャイナ・リスク』(岩波書店,2015年),『中国外交史』(東京大学出版会,2017年)他多数.訳書にエズラ・F・ヴォーゲル著『日中関係史』(日本経済新聞出版社,2019年).共訳書にエズラ・F・ヴォーゲル著『現代中国の父 鄧小平』上下(日本経済新聞出版社,2013年)