2020 05/19
著者に聞く

『佐藤栄作』/村井良太インタビュー

ジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館前。旅に学ぶ。

1964年の東京五輪閉会直後に首相に就いた佐藤栄作。米ソ両陣営が激しく角逐するなか、吉田茂の軽武装・経済重視路線を踏襲。アメリカと関係を深め、沖縄返還に漕ぎ着けた。当時、「寡黙な官僚政治家」「政治術に溺れる保守政治家」など批判が強かった佐藤だが、平和裏の領土返還は史上稀な出来事であり、近年、その評価が変わろうとしている。今回、多くの史料から佐藤の見方に変更を迫ったのが『佐藤栄作』の著書・村井良太さんである。本書について、お話をうかがった。

――日本政治史に関心を持ったのはいつから、どういった理由からですか。

村井:父が定期購読していた『プレジデント』という雑誌でよく歴史特集をしていたように思います。それを読んでいましたが、次に強い印象を持ったのは『AERA』の「時代の私」という写真コーナーです。大学紛争の写真もあったと思います。これが高校生ぐらいでしょうか。その後、天安門事件から冷戦終結と世界が大きく動き、心揺さぶられました。

あとは神戸大学での授業や当時接した本が面白かったからです。歴史を通じた政策決定論に強く惹かれましたが、政治学や行政学、政治経済学、政治文化論、思想史、国際関係論など、全て日本政治史への関心をかき立ててくれました。

――メディアでの評価が低かった佐藤栄作ですが、なぜ彼に関心を持ったのですか。

村井:学部ゼミ以来の指導教官だった五百旗頭真先生が佐藤政権で首相秘書官を務めた楠田實氏の日記刊行に関わられ、そのリサーチアシスタントを務めました。日記で触れられている新聞記事を集めるのですが、今と違う社会状況や報道に新鮮な驚きを覚えました。

また、私は1972年5月に生まれましたので、沖縄返還には関心がありました。直接的には就職後に「佐藤内閣期の政策転換」についての共同研究に入れていただいたのですが、そこでの対話や掘り下げてみた社会開発論がとても面白かったからです。

――執筆で苦労された点はどういった所ですか。

村井:三つありました。一つ目は戦後史であることです。私は第一次世界大戦後の政党政治史で博士号をとりましたので、戦後史は一から基本史料・文献を読む必要がありました。その中でいろんな先生方に教えていただきました。もし私の本に良いものを感じてくださるとすれば、それは今の学界が良質ということだと思います。

二つ目の苦労は私にとって初めての評伝であったことです。社会開発も面白いですし、核問題も重要ですし、沖縄返還も政権のメインテーマです。その中で、書き手の偏りではなく、できるだけ佐藤という一人の政治家の全体像を書きたいと思いました。

そして三つ目に、佐藤政権期が研究の先端として優れた研究がいわば日々生まれるような状況がありました。新しい知見も書き込みたいし、詳しすぎてもよくないし。最後には新書とは現時点の先端を俯瞰するものだと割り切り、その中で一つの理解の筋が通せたと思います。

――今回のご本で最も言いたかったことは何でしょうか。どこに注目して欲しかったですか。

村井:注目して欲しいのは、日韓国交正常化や沖縄返還、ノーベル平和賞受賞など成果にあたるもの以上にやはり人間佐藤です。旅を通した学びや、人にもまれながらの成長、時代との対話でしょうか。

沖縄復帰一年後の言葉や、基地を沖縄に移さず本土に残しておいて貰った方が良かったと述べているもの、自身にとっての原爆体験など、いくつかの資料には読んで震えるものがありました。Sオペ〔佐藤オペレーション。楠田實を中心に佐藤政権を政策面から支えたグループ〕や学者たちなど政権を支えた人びととの協働や政権のビジョンも本書の読みどころの一つだと思います。

そのうえで言いたかったことは、一つの時代として意識されがちな「戦後」日本は時期によって多様で、課題も答えも異なる中で誰かが作ってきたものだということです。佐藤政権中の1970年には狭義の戦後、すなわち戦争の影響を強く残し、平常への復帰が果たされていない特別な時間と空間は終わり、次の生き方を模索し始めていたと書きました。

それは大きな戦争の後はこうなるでもなく、吉田茂が偉かったという(だけの)話でもなく、保守政治家の野心を社会がうまく封じ込めてきたという話でも(少なくとも佐藤の場合は)ありません。私たちの生活する日本が、世界が、どうやって形づくられてきたのか、時代の息吹と共に、人びとの群像劇を楽しんでもらえると嬉しいです。

また今回初めて新書を書いて、いろんな読まれ方をすることが新鮮でした。著者は一行一行に心を込めていますので、いろんな引っかかりに注目していただけることに感謝しています。

――佐藤は、東大紛争後に安田講堂を視察した際、沖縄返還協定調印時など、さまざまな場面で涙を流しています。これほどメディアの前で泣く首相はいなかったと思いますが、これについてはどう思いますか。

村井:たしかによく泣いています。年をとるといろんなことが目の前の出来事と重なりますよね。佐藤はヒューマニズムを大切にし、職務に誠実で、人の話を聞く耳もあります。人間尊重という言葉は社会開発と同様、借り物ではないと思いました。

「感情が勝っている人」とは最初で最後の公選主席屋良朝苗の言で、佐藤の個性ではありますが、人間愛や誠実さは苛酷な敗戦体験ととともに当時の社会で共有されていた時代の子でもあったのではないかと感じています。

――村井さんの研究は主に戦前が対象でした。今回、戦後史を主に記すに当たって大きな違いはありますか。

村井:戦後史といっても占領期研究と1960年代研究はまた違うと思いますが、この本を書いてつくづく感じたのは歴史の奥行きの深さです。

佐藤卓己先生の本に『八月十五日の神話』(ちくま学芸文庫)という名著がありますが、戦前史は研究の蓄積が大きいので「神話」が少ないように思うのに対して、戦後史はいろんな出来事それぞれがまだ意識されていない奥行きを持っている気がします。常識を疑う余地は大きく、あれっと思って調べると思いがけない文脈が表れたり、作られた歴史像を感じたりもします。

――執筆にあたって、特に秘書官であった楠田實の史料を重視しましたが、それはなぜですか。

村井:それが、外交史料などとはまた異なる形で、佐藤政権が時代とどう対峙したのか、そして佐藤が何を語ったのかを最も詳細に伝える信頼できる資料群だからです。

4000点を超える一大コレクションで、晩年の楠田氏と仕事を共にされていた和田純先生が整理され、その分析をする集まりに入れていただいて長い時間をかけて読んできました。資料の中に当たりを探すという姿勢ではなく、ボリュームのある資料をボリュームのままに読むことで多くのことが明らかにできたと思います。

――反響はいかがですか。

村井:佐藤政権は私が生まれた頃に終局を迎えた政権で、もちろん私には記憶はありません。しかし、年配の方にとってはとても近い過去で、左右対立が厳しかった時代について、真正面から客観的に書いていると褒めていただいた時は嬉しかったです。後の世代だからこそ書ける歴史もあるということでした。また、同時代を生きていて知らなかったことが結構あると思ったと言っていただいたのも歴史家冥利でしょうか。

駒澤大学のゼミでも読んでもらいました。「はしがき」の副題に「佐藤栄作はお嫌いですか」と入れたことは考える手がかりとなったようでした。これは「あとがき」で謝辞を書いた楠田資料研究会で草稿を議論いただいたときに、山県有朋の再評価論と同じで、批判されるだけの政治家ではないという本の基本姿勢を分かりやすく出してはと求められたためでした。

また、この本から学ぶ以上に、この本を通して、現在のことも含めていろいろ議論できたのは、政治的生涯が長い政治家の全体像を描く評伝ならではと思いました。いくつか取材をいただいたり、書評で取り上げていただいて嬉しかったです。研究書としての本書に対する研究者からの反響ももっと聞いてみたいです。

――安倍晋三が登場するまで佐藤栄作は戦後最長の政権でした。安倍晋三の祖父・岸信介の弟、つまり大叔父にあたります。安倍晋三と佐藤栄作は似ている部分がありますか。また似ていないでしょうか。

村井:まだ佐藤が史上最長政権です(笑)。というのは連続在職日数のことです。首相在職日数は桂太郎もそうですがその人物の首相としての資質や成長を物語りますが、連続在職日数は社会や時代との調和を意味します。安倍首相が佐藤を抜くとしたら今年(2020年)8月ではないでしょうか。

民主社会の議院内閣制下で長期政権は偶然や小手先ではできません。女性活躍や積極的な外交など、安倍首相には佐藤にも感じる実際的な対応、その時々の必要に応じる態勢があると思います。政権を支える人びとも優秀なのでしょう。その意味で似ている部分を感じますが、それが血筋なのかお国柄なのか自民党の底力なのか、理由は分かりません。

そのうえで、冷戦下でも敗戦後の国民の共同体性を疑っていなかった佐藤に対して、冷戦後にもかかわらず、安倍首相にはどれだけ批判者も含めた国民全体のリーダーとしての意識があり、行動に表れているかは疑問です。もちろん歴史研究が同時代には分からなかったことを明らかにしてくれることを期待しますし、結果として同時代の印象通りかも知れません。

ただ現下の厳しい状況は、一層高いハードルを安倍首相に課しているように思います。佐藤は、冷戦下の左右対立の中で野党や社会からの理解の調達に苦労し、同時代的評価よりも必要と考える施策の断行に尽力することになりました。今は、結果とともに、政策の必要性を政党間で共有し、国民の理解と創意を引き出す応答性が特に期待されると思います。

――今後はどういった研究を行っていきますか。執筆してみたいものはありますか。

村井:次は市川房枝の評伝をまとめたいと考えています。戦前の女性参政権獲得運動、戦時の主婦強化への訴え、戦後の参議院議員としての女性問題への取り組みとその手段である政党政治の健全化努力。彼女もとても興味深い政治指導者です。佐藤とは違った視点から、第一次世界大戦後からの流れの中での戦後日本を明らかにできると考えています。

長期的には、本書で書いた1970年の「雄大な実験」のその後、佐藤後の日本と世界の歩みを知りたいと思うようになりました。現代史は未完であり、まだまだ政治外交史によって明らかにできる、社会が共有すべき知見があると考えるからです。

村井良太(むらい・りょうた)

駒澤大学法学部政治学科教授.専攻・日本政治外交史.1972(昭和47)年香川県生まれ.神戸大学大学院法学研究科博士課程修了.日本学術振興会特別研究員を経て,2003年に駒澤大学法学部講師,同准教授などを経て,13年より現職。
著書に『政党内閣制の成立 1918-27年』(有斐閣,2005年.第27回サントリー学芸賞受賞),『政党内閣制の展開と崩壊 1927-36年』(有斐閣,2014年)
共著に五百旗頭真編『日米関係史』(有斐閣,2008年),サントリー文化財団「震災後の日本に関する研究会」編(御厨貴・飯尾潤責任編集)『「災後」の文明』(阪急コミュニケーションズ,2014年),福永文夫編『第二の「戦後」の形成過程』(有斐閣,2015年)など他多数