2020 05/27
著者に聞く

『椿井文書―日本最大級の偽文書』/馬部隆弘インタビュー

著者がツイッター上で発見した「椿井文書」(インタビュー参照)

古今東西、偽文書は作られつづけてきました。偽文書と知らずに受け入れたり、あるいは知っているにもかかわらず利用したりしてきました。偽文書はどうやって作られ、広まり、影響を与えてきたのでしょうか。『椿井文書―日本最大級の偽文書』を刊行した馬部隆弘さんに、偽文書研究について伺いました。

――本書は「椿井文書」ということばがメインタイトルになっていますが、そもそも椿井文書とはなんでしょうか。

馬部:現在の京都府木津川市山城町椿井を出自とする椿井政隆が偽作した古文書類を椿井文書(つばいもんじょ)と呼んでいます。実際には江戸時代後期に作成されているのですが、中世のものという体裁をとっています。巧みにつくられているため、近畿地方一円に正しい古文書として広まっていました。

――はじめて「椿井文書」をご覧になったときは、どんな感じでしたか。

馬部:大阪府の枚方市教育委員会に非常勤職員として勤務しているときにはじめてみたのですが、ずっと本物だと思っていました(笑)。だって、著名な研究者がこぞって本物のように扱っていたのですから。

当初は、活字になったものしかみていなかったのですが、写真をみて何ともいえない雰囲気を感じました。それでいくつか似たものをみて、ようやく偽物だと気付きました。活字になってしまうと、偽物独特の雰囲気が薄れてしまうんですね。

――なぜ「椿井文書」を研究するようになったかは本書で詳しく触れられていますが、その研究過程でのご苦労をお教えください。

馬部:私の説明を聞いて偽物だと納得してくださる方が大多数でしたが、椿井文書に基づく歴史が定着している地域で、かつその歴史を多方面に語ってきた方からは反発が激しかったです。それも覚悟のうえで、誤った歴史を正そうとこの研究を始めましたので、そういう方々にもできるだけ丁寧に説明はしてきました。

でも、だいたいの場合は、理論的に説明しても聞く耳を持ってくれないです。論文を発表した当初はまだ大学院生だったので、著名なあの先生もこう言っているのでこっちのほうが正しいはずだと反論されたり。椿井文書に関する最初の論文は、ちゃんとした査読誌に掲載されているんですが、おまえの勝手な思い込みだとか言われましたね。

――それでも研究を続けてきて、今になってふりかえってみると、「椿井文書」の魅力とはなんでしょうか。

馬部:私が研究を始めた当初は、椿井文書の存在はほとんど知られていませんでした。ですので、私一人で椿井文書の事例をせっせと集めていました。慣れてくると、椿井政隆が好んで偽文書をつくりそうな集落もわかってくるので、私だけのコレクションがどんどん増えていきました。収集癖がある方なら、この面白さはわかりますよね。

また、数多く目にすることで、なぜこのようなものを創ったのかというのも、みたらすぐにわかるようになってきました。こんな感じで、鑑定眼の成長が身をもってわかるのも面白いところです。最終的には、巻物を開ける前から椿井文書とわかるようにもなりました(笑)。

ちなみに、昨年度、私が勤務する大阪大谷大学ではまとまった数の椿井文書を購入しましたが、そのきっかけは古典籍商の方が中世文書としてツイッターにあげていたこの写真です(上掲)。これをみた瞬間、椿井文書だと確信しました。自分でも不思議なんですけど、15年以上も見続けると、こんな写真だけでも判断できるようになるんです。

――今後、どんな研究を進めようとお考えですか。

馬部:椿井文書の研究はいわば寄り道で、本来の関心は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった統一権力が形成されていく過程にあります。

椿井文書の場合もそうですが、できるだけ普通の人がしないような研究をしようと心掛けています。ですので、畿内で統一権力が出てくる過程をみるために、まずは室町幕府管領家の細川家まで遡って研究をしてみました。これは『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年)という著書にまとめました。

今度は、細川家の家臣のなかから三好長慶が一歩抜け出す過程を具体的に描きたいと思っています。その次は長慶から信長への展開。生きているうちに家康まで辿り着くかどうか心もとないですね(笑)。もちろん、偽史を通じて、歴史学の今日的な役割も考え続けるつもりです。

最近では、「アテルイの「首塚」と牧野阪古墳」(『志学台考古』第20号、2020年)という小文で、ツイッターと歴史学の関係について思うところを述べてみました。実は、論文を書く合間合間にも、だらだらとツイッターを眺めることが多いです。それで、椿井文書を発見できちゃうんですから、こういった寄り道も大事です。

――最後に若い人たち、とくに大学でこれから歴史学を学ぼうと考えている人たちに、伝えたいことがありましたらお願いします。

馬部:私が学生の頃と異なって、今の学生にはやるべきことがたくさんあって、目先のことを片付けるのに精一杯という状況になりつつあります。指導する側にいて、かわいそうだなと思うことも多々あります。なぜなら、若いうちこそ、寄り道はすごく大事だと考えているからです。そこで蓄積した知見はあとあと活きてきます。

でも、寄り道しているうちに、本来やるべきことを見失うという恐れもあるかと思います。したがって、寄り道には勇気が必要です。逆説的ですが、寄り道ができる人こそ戦略的な人、信念を持った人ともいえるでしょう。特に歴史学は、多角的な視点でできるだけ客観的に物事をみる必要があるので、寄り道はとても大事です。

昨今はなんでも早急に結果が求められる傾向にありますが、いずれは、寄り道を肯定できるような懐の深い社会になればと思っています。

馬部隆弘(ばべ・たかひろ)

1976年,兵庫県生まれ.1999年,熊本大学文学部卒業.2007年,大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了.博士(文学).枚方市教育委員会,長岡京市教育委員会を経て,現在,大阪大谷大学文学部准教授.専攻は日本中世史・近世史.
著書『楠葉台場跡(史料編)』(財団法人枚方市文化財研究調査会・枚方市教育委員会,2010年),『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館,2018年),『由緒・偽文書と地域社会――北河内を中心に』(勉誠出版,2019年)ほか.