2020 04/06
著者に聞く

『日本の品種はすごい』/竹下大学インタビュー

私たちの身近にある美味しい植物は、どのように進化し、普及してきたのでしょうか。『日本の品種はすごい』では、品種改良をなりわいとする育種家の目線を通じて、そのドラマをありありと描いています。あまり類のない本書のテーマに著者の竹下大学さんが挑んだ背景には、育種という営みに対する強い問題意識がありました。その熱い想いについてうかがいます。

――刊行後の反響はいかがですか。

竹下氏:新聞、雑誌、ラジオ、web記事など数多くのメディアに採り上げていただき、驚いています。類書がないことから、ある程度ポジティブな反応があるはずと期待してはいましたが、予想以上の反響でとてもありがたい気持ちです。

――本書の執筆の経緯を教えてください。

竹下氏:ひと言で申し上げれば、くやしさからでしょうか(笑) 植物のブリーダーの存在、そして品種についても日本ではあまりにも知られていないので、その状況を何とかしたいという気持ちが根っこにありました。どちらも魅力的なコンテンツのはずなのに、どうして話題にされないままなのだろう、と。農業にせよ食品産業にせよ、一般消費者の関心を引くネタを求めているはずなのに、なぜ?という疑問が、私の中でどんどん大きく膨らんでいった感じです。

書籍というかたちで情報発信しようと決めるまでには、きっかけとなった出来事が3つありました。まずは2003年、村上龍さんのミリオンセラー『13歳のハローワーク』(幻冬舎)です。この本の中で植物関連の仕事に「プラントハンター」が紹介されていたにもかかわらず、植物のブリーダーは載っていなかったんですよ。私は紹介されて当然だと思い込んでいましたし、どんなふうに説明されているか、とても楽しみにページをめくったのに空振りで。誇りにしている仕事が無視されたようで、とても悲しかったのをよく覚えています。「このままじゃいかん。育種家の存在をアピールせねば」と、最初に目標を定めたのはこのときでした。

次が2004年、The All-America Selectionsのブリーダーズカップを受賞したときです。私自身、これは千載一遇のチャンスが巡ってきたと思いましたし、「日本に帰国したら大騒ぎになるぞ」って現地では大勢の人に言われたのに、まったくメディアに採り上げてもらえずに終わってしまって・・・・・・。記事にしてくださったのは花卉園芸新聞の1社だけでした。
「これでやっと日本の農業発展のためにお役に立てるぞ」とひとりで盛り上がっていたのに、こんな状況で腹が立つというか情けないというか、この扱いの悪さはいったい何が原因なのだろうとこのときは悩みました。これ以上のネタを提供できる機会は、私にはもう巡ってこないだろうとも思いましたしね。それだけに、『日本の品種はすごい』があちこちで採り上げられている今の状況には、うれしさとともに、正直どこか納得がいかない気持ちもあります(笑)

3つ目は2010年、私が勤める会社がアグリバイオ事業から撤退したことです。これによって、育成した品種をふくめて育種プログラムはすべて海外企業のものになってしまい、国内に何も残せなかったばかりか、応援してくださった方々の期待に応えられなかったことに悔いが残りました。育種家としてのキャリアが断たれたことも残念でしたが、サラリーマンの常ですし、一番油が乗った時期に怪我で引退したプロスポーツ選手のようなものだと、気持ちの整理はつけていました。選手として活躍できなくなったときにどうするか。次のステージでは、育種や品種の魅力を伝える側に回ろうと決めたのです。とはいえ、農業にかかわる仕事から完全に離れてしまった会社員に、できることはあまりありません。その後、人材育成専任部署で働いた経験から、これからの農業と食品産業をになう若い世代の役に立ちたいという使命感がいっそう高まって、ようやくこの本の背骨がとおったという感じですね。

――本書で取り上げた7つの植物(ジャガイモ、ナシ、リンゴ、ダイズ、カブ、ダイコン、ワサビ)は、どういう理由でお選びになったのでしょうか。

竹下氏:冒頭では、どうしてもルーサー・バーバンクについて語りたかったんです。なので、ジャガイモを第1章にもってくることだけは決めていました。残りの6つの作物は、ジャガイモをふくめて相互に絡み合ったエピソードを紹介できるという観点で選んでいます。くわえて、第1章から順に読み進めるのではなく、気になる作物から読みはじめる読者がいることも想定して、どの章から読んでも話がつながることも意図しました。結果として、この7つの組み合わせになりました。

ワサビについては品種も少なく、違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんけれども、担当編集者からの強いリクエストもありまして、他の作物と同列に扱うことにしました。わさびが鮨だねとシャリのあいだを取り持つ香辛料であるように、本書の中のワサビには、作物と山菜のあいだをつなぐ存在として、品種改良の語り部役をつとめてもらいました。順番としては、ワサビを最後に持ってきたことで1冊の本としてピリッと引き締まったのかなと(笑)

著者として一番興味があったのは、いったいどの章に読者の関心が集まるかでした。均等にばらついたら成功だと考えていましたが、面白かったと言われる章は本当に人それぞれで、ほぼ狙い通りになっています。私の耳に届いている範囲では、とりわけジャガイモ、リンゴ、ナシ、ワサビの章に人気が集まっているようです。これまで意識してはいなかったけれども、じつはその作物が身近な存在だったと気づいたり、抱いていた疑問が解消したり、品種のおいたちを知る喜びを感じられた章が、特に読者のお気に入りになっているのではないかと想像しています。

――本書のように、育種家という仕事に迫った新書は多くありません。執筆にはどのような苦労がありましたか。

竹下氏:苦労という言葉とはすこし異なりますけれども、1冊の本を商品化するうえでの責任を果たすという意味では、品種改良のときと同じように細かいところまでこだわりました。ただ「商品化しました」で終わるのではなく、本を読むのに費やす時間以上の価値を読者に感じてもらう、そして収益性の面で一定以上のセールスをあげるという、質と量の両面で高い水準のものを目指しました。

読者の期待も出版社の期待も裏切らない、むしろ超えてやるという気持ちを最後まで持ち続けなければならず、あらためて本づくりはとても難しい仕事だなぁと思いました。自分なりの細かなこだわりというか、工夫についてはベストセラーになったらどこかで披露したいですね。今の段階では、何を言っても独りよがりに過ぎませんので。

――これまでの育種家としてのお仕事で印象的だったエピソードがあれば教えてください。

竹下氏:会社にやめろと命じられたプロジェクトが、産業構造を変える大きなイノベーションを起こしたことですね。開発中止の理由は、めしべにおしべをくっつけてタネを採ってというやり方は時代遅れ、今さら老舗の育種会社に勝てるわけがない、種子で増やす品種で儲けられるはずはない、というものでした。もっとも会社うんぬんの前に、最初に与えられたペチュニアの品種改良自体、自分でもやりたくなかったんです(笑) ペチュニアはどちらかというと嫌いな草花でしたから。

しかし、自分が好きな花の育種ができるようにペチュニアでは成功の目などないことをさっさと証明しようとしていたら、勝ち筋が見えてきてしまった。それで私が俄然やる気になってきたときに、反対に会社はやる気をなくしてしまっていたわけです。まあ、それまでネガティブな発言をしていた私にも問題はあるわけですが(苦笑) 結果的には、その後20年にわたって収益を出し続けるプロジェクトになりました。素人集団が厳しい予算の下でゼロから立ち上げたものでしたから、ともに力を出し切ってくれた仲間たちには感謝してしきれません。植物に助けられたと感じたことも何度もありました。

一番印象に残っているのは、初めてのアメリカ出張の際に、どの会社を訪問しても最敬礼されたり、拝まれたりして、ちょっとしたスター気分を味わったことです。ちょうど野茂英雄選手がメジャーリーグで大活躍しはじめた時期だったので、なかば追われるようなかたちでアメリカに渡った野茂選手に自分の姿を重ねたりしましたね。どんな仕事でもそうだと思いますが、よほどの天才でもないかぎり、自分ひとりでできることなんてたかが知れています。「手がけた品種たちが世界中で頑張ってくれたおかげで、私はいい思いができたんだ」という想いは今も変わりません。The All-America Selectionsのブリーダーズカップにしても、北米全土ですごいパフォーマンスを示したのは品種であって、私じゃありませんから。

そうそう、動機ということであればもうひとつありました。育種家としてイノベーションを起こした経験は、きっと何か他のことでも活かせるはず。この仮説を本づくりで検証してみたいという気持ちも強かったです。

――竹下さんは、なぜ「品種改良」や「植物」に強い関心を持つようになったのですか。

竹下氏:植物に惹かれたほうが先でしたね。振り返ってみると、人間相手の仕事は面倒くさそうで、したくなかった。植物は文句を言わないから気楽です。植物に囲まれて、人間との接点が最小限の仕事に就きたいと考えていました。かといって、当時は今と違って都会に住むサラリーマンの子どもが農作物の生産をはじめるなんて不可能だと考えられていましたから、農業関係の会社に勤めるのかなと漠然と考えていました。できれば、好きな花を扱う会社がいいなと。

具体的な就職先については、大学2年になったころ、会社員として植物の品種改良をする仕事があることを知り、「これだ! この仕事しかない!」って思ったんです。もともと何かをつくることが好きでしたし、生き物を変化させて新品種をつくるなんてものすごく面白そうだなって感じました。それで、運よく育種家になれたわけです。好きな仕事に就けたんですから、できるだけ長く続けたい。そのためには早く利益を生み出さなければならない。植物と向き合っているうちに、さらに興味が増していったという感じです。ただ、正直に申し上げれば、キャリアを通じて一番の原動力だったのは、「好き」という気持ちよりも、好きな仕事を失うかもしれないという「恐怖感」でした。

――最後に、読者へのメッセージをお願いします。

竹下氏:品種の知識を教養としてとらえる必要はないと私は考えています。どんなことでも楽しみ方は人それぞれですし、この本をきっかけに品種を知ることを楽しみのひとつにくわえてもらえたら、これほど嬉しいことはありません。アイドルグループやスポーツチームの応援でも、メンバーや選手一人ひとりのことを知れば、さらに一段と面白くなるじゃありませんか。

これと同じように、農作物の品種について知ることでも、見える世界は変わると思うんです。白黒の映像がカラーに変わったぐらいの新鮮な出来事が、日々の暮らしの中で次々と起こるかもしれません。食べた品種の話題をみんながシェアして、さらに食事が盛り上がる。私はこんな光景を妄想しているんです。だって私の最終目標は、海外からのお客様に日本の食文化や園芸文化をもっと楽しんでもらえるようにすることですから。『日本の品種はすごい』というタイトルも、訪日客目線でつけたんです。そういう意味では、国際線の機内誌などに連載する機会があれば、ぜひチャレンジしてみたいですね(笑)
 
最後にひとつだけ宣伝をさせてください。「2度読んでも面白い。新たな発見がいくつもある」。これこそ、この本の基本コンセプトなんです。騙されたと思って、もう1回最初から読んでみてもらえたら嬉しいです。

竹下大学(たけした・だいがく)

1965(昭和40)年、東京都生まれ。千葉大学園芸学部卒業後、キリンビールに入社。同社の育種プログラムを立ち上げる(花部門)。The All-America Selections主催「ブリーダーズカップ」初代受賞者(2004年)。技術士(農業部門)。NPO法人テクノ未来塾会員。著書『どこでも楽しく収穫! パパの楽ちん菜園』(講談社、2010)、『植物はヒトを操る』(毎日新聞社、いとうせいこう氏共著、2010)、『東京ディズニーリゾート植物ガイド』(講談社、2011)ほか