2020 03/13
私の好きな中公新書3冊

まことに勝手な「中公新書らしさ」から/佐藤信

深井雅海『江戸城―本丸御殿と幕府政治』
村井良太『佐藤栄作 戦後日本の政治指導者』
林芳正・津村啓介『国会議員の仕事 職業としての政治』

筆者が大学時代を過ごした十数年前、第4次新書ブームが花盛りだった。当時は食事の値札を新書(と文庫)で換算して、食事を抜いては新書(と文庫)を購ったものだった。大学生協では飯尾潤『日本の統治構造』が売り上げ第1位で、筆者と同世代の政治学者や公務員など、これを前提に議論をする人は少なくないと思う。

そんなわけで、気が付けば新書はいつも傍にあり、中公新書に限っても推したい本は限りない。そこで、すでに挙げられている本はそりゃあよい本に決まってるので除外して、まことに勝手な「中公新書らしさ」に沿って3冊挙げることにしたい。

伝統の中公新書。新書は時事的なネタを扱うこともあるが、シリーズをつくったり、また同じ問題圏を重点的に追求したりして、伝統をかたちづくっていくことがある。中公新書と聞いてまず想起するのはリアリスト国際政治の伝統だろう。63年に『中央公論』本誌でデビューしてから中公文化人の代表格となった高坂正堯の『国際政治』以降、高坂を敬愛する北岡伸一、中西寛、細谷雄一らが執筆者に名を連ね、遂には評伝もレーベルに加わっている。

ただ、ここではあまり知られていない伝統として村井益の名著『江戸城』(1964年、現在は講談社学術文庫に入っている)を引き継いだ深井雅海『江戸城―本丸御殿と幕府政治』(2008年)を挙げたい。両書はいずれも、建築としての江戸城にとどまらず、江戸城がいかに「生きられたか」を描いている。

村井の『江戸城』が江戸館から明治宮殿に至るまで、また建設から大奥の事情に至るまで江戸城に関する多様な側面を紹介したのに対して、深井の『江戸城』は幕末の本丸御殿に焦点を絞り込んで、空間を通して繰り広げられる幕末政治の実相を描いてみせる。理解を助ける豊富な図版の処理は、さすが中公と唸らせる(やはり豊富な図版で政治と空間との交錯を描くものとして近年の竹内正浩による東京歴史散歩シリーズも)。

評伝の中公新書。近現代日本の新書評伝の金字塔といえば岡義武『山県有朋』(1958年)であり、レーベルでいえば岩波新書であった。ところが近現代史に限れば、いまや新書評伝といえば中公だ(その意味で、筆者は岩波書店が岡の『山県有朋』を岩波文庫へと移したことに怒る者の一人である)。

岩波の新書評伝が引用の少ない簡なものを得意とするのに対して、中公の新書評伝は学術的で重厚である。とりわけ近年の中公新書の評伝は、第一線の研究者が最先端の研究の集大成を著すものが多く、どれも一般の読者が突然に最先端の研究へのアクセスを得る、手ごろな機会を提供している。

新刊の『佐藤栄作』が扱う沖縄返還やSオペなどの佐藤政権期は、現在の政治外交史研究のホットスポットだ。ぶすっとした印象の強い佐藤の饒舌な声を丹念に拾い上げる。中公新書らしく情報量には圧倒されるが、評伝を通して最新の研究成果にアクセスできるのは、まさに中公新書さまさまという他ない(他にも、たとえば千葉功『桂太郎』や佐々木雄一『陸奥宗光』は桂太郎研究や日清戦争研究といったホットスポットに直結している)。

ときどきジャーナリスティックな中公新書。新書は伝統的で学問的な側面を持つと同時に、しばしば時事的である。そしてまた、中公らしさの一側面はアンチ岩波であろう。その二つの側面を兼ね備えた一冊が、民主党政権期に書かれた林芳正・津村啓介『国会議員の仕事』である。自民党で大臣まで務めた大物・林と、当時民主党に所属しながら政務官として苦闘する年若の津村という珍しい取り合わせは、二人のテレビでの出会いや取材を前提にしたものだと言うから、いかにも時事的な新書だ。

それでいて、本書は国会議員のみならず、両者の大臣や政務官としての職務の実態についても実感を込めて書かれていて、大臣の執務の実態を描いた新古典としてよく挙げられる(そして本書でも挙げられている)岩波新書の菅直人『大臣』をアップデートするものでもある。両者は刊行直前の2010年、林が「三年後」、津村が「十七年後」に総理を目指すと言っていたという。二人の現在地と照らし合わせながら読むのも、政界の実相を理解するにはよい。

ところで冒頭、大学時代に、食事を抜いては新書を買ったと書いた。それを思い出すと最近の新書価格は気になる。当時の新書は税抜き600円台もざらにあった。だからちょっと高価な一食と交換できた。ところが今では1000円以上の新書も珍しくない。文庫価格の高騰はさらに酷い。お財布事情が年々厳しくなっている現時の学生にとって、これは、さすがに、高い。

平均すれば100円玉一枚ほどの変化かもしれない。そしてまた、新書の主たる講読層にとっては微々たる差かもしれない。出版界の苦境はよくよく知っている。けれど、一食抜けば豊穣な知識と知的悦楽が得られた往時を振り返ると、懐かしさとともに、やはり残念な気分がひたっと離れない。

佐藤 信(さとう・しん)

1988年奈良県生まれ。東京大学先端科学技術研究センター助教。東京大学大学院法学政治学研究科中退。博士(学術)。専攻は現代日本政治、日本政治外交史。著書に『鈴木茂三郎』(藤原書店、2011年)、『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房、2011年)、『日本婚活思想史序説』(東洋経済新報社、2019年)、『近代日本の統治と空間』(東京大学出版会、近刊予定)など。