2019 09/17
著者に聞く

『日本の地方政府』/曽我謙悟インタビュー

最も身近にある「公」、それが都道府県市区町村の「地方政府」だ。人口178人の青ヶ島村から1350万人の東京都まで1700を超える政府がある。中央集権の批判から地方政府へ権限委譲が進む中、平成の大合併後、身近な政府はどうなっているのか。『日本の地方政府』は、政治制度、国との関係、地域社会・経済の3つの面から、総合的に描いた作品。研究が細分化、タコツボ化するなか、この意欲作に挑んだ曽我さんに話を聞いた。

――『日本の地方政府』の執筆動機は?

曽我:中公新書は、高校生の頃から自分の知識を形作ってきた一部でしたので、お話をいただいたときは、非常に嬉しかったです。写真で手に持っているのは、大学4年生の時に初めて書いた論文を冊子にしてもらったものです。表紙の色を選べたのですが、中公新書の色と似ていますよね。選んだときは、意識していなかったのですが、表紙の色といえばこれと、すり込まれていたのでしょうね。

 テーマは、編集者から提案いただいたもので、最初は少し躊躇しました。自身の研究関心としては、霞が関の官僚制と並んで二本柱ではあるのですが、そのときは、霞が関の話を書きたいなと、内心では思っていたので。あと、中公新書以外も見渡せば、地方自治に関する新書は数多く出ているので、新たに一冊を付け加えることに意味があるのだろうかとも思いました。

 しかしよく考えてみると、包括的に書かれた本格的な新書というと、辻清明先生の『日本の地方自治』(岩波新書、1976年)以来、出ていないようにも思えてきました。現時点で、地方政府の全体像を概観するものが書かれることに意味があるのではないか。基本的な知識をまとめ、今後を考える基盤となるような本を出せるならば、意義があるのではないか。そう思うようになってきました。

 また、自分自身としても、二本柱というものの、地方についての研究を単著としては書いていないので、ここで一度、まとまったものを書いておきたいといった考えもうまれてきました。少し時間はかかりましたが、書かれるべきだし、書きたいと思えるようになった。当然かもしれませんが、それが執筆動機です。編集者はお見通しで、うまく乗せられたということかもしれませんが(笑)

――日本にある1700以上ある地方政府=自治体について、その歴史から、構造、現在の問題まで網羅的に描いていますが、曽我さんが最も注目して欲しいところはどこですか?

曽我:質問に反するようで申し訳ないのですが、その全体を見てほしいと思っています。二つの意味で、できるだけ広い視点から、日本の地方政府を捉えようとしたのが、本書のチャレンジだと思っています。

 一つには、都道府県や市町村の中の政治と行政、地域社会や経済と地方政府の関係、都道府県や市区町村それぞれの関係、そして国(中央政府)との関係といった具合に、地方政府の中はもちろん、外との関係までを描いています。

 もう一つには、それぞれの側面を、過去・現在・未来にわたって描いています。過去のどのような条件が、現在の仕組みの基盤にあるのか、それが将来への展望をどのように制約しているのか、連続的に捉えてみようとしました。

 裏返しに、具体性や、個別性は、この本では描いていません。一つひとつの都道府県、市町村には興味深い歴史があり、関心を惹かれる事例が数多くあります。与えられている条件も違えば、課題も違う。解決への取り組み方も対応も違ってくる。そうした固有性は、この本では扱えませんでした。もともとの草稿には、事例の紹介も入れてみたのですが、400ページを超えそうでしたし、そこは諦めました。

 まずは、地方政府の全体像を捉えてほしい。そうした考えから、包括的な記述を目指しました。地方政府が、かくも多様な側面から成り立っているのか、これだけ多くの要素が地方政府の姿を形作っているのか、そういったところに注目してもらえればと思っています。全体像を把握することが、地方政府の実態を理解する最も基本的な、しかし一番難しいところだと、私は考えています。

――執筆にあたって苦労は?

曽我:苦労がありすぎて、思い出したくないのですが・・・・・・。
 
 大きくまとめれば、何を書くかを決めるところと、どのように書くかという二つで、ずいぶんと悩み、時間を取りました。

 何を書くかという点では、先の質問で述べたような、具体・個別と抽象・一般の軸の上で、どのあたりに位置づけるかに悩みました。「日本の地方政府」というテーマ自体は、具体的な人や出来事ではなく、抽象的なものですが、それを描くには、抽象性を保ちながら描くこともできれば、具体化しながら描くこともできます。具体的なところにこそ、面白さがあるとも思うだけに、思い切ることが難しかった。

 また、全体像を描くとなると、さまざまな論点を取り上げることになり、それぞれについて、どのような研究があるかを確認しなければなりません。すると痛感するのは、この論点については、誰々さんが詳しい、よく知っている。そして自分はそこまでわかっていないということです。自分に書く資格があるのかと、自信がなくなっていきます。

 それでも、少しずつまとめていく中で、一つひとつの論点をよく知る人はたくさんいるが、これらの全体をまとめ上げられるのは自分だけだと思い込めるようになりました。いささかの自負といってもいいかもしれません。それでようやく、書く内容を確定していけた。

 他方、どのように書くかという点では、読みやすい構成、文章にするために、ずいぶんと苦労しました。ここでも、編集者には、本当にお世話になりました。私の場合、文章は道具というか、考えていくためのツールとして使っていることもあり、初稿の文章は粗いのです。ですから、本当は手を入れてから渡すべきだったのですが、何を書くかで四苦八苦したこともあり、そのまま渡してしまいました。渡された編集者は、唖然としたのではないかと思いますが、丁寧に赤を入れて返してくださいました。

 本当は、最大限感謝すべきなのですし、今はそうなのですが、返してもらったときは、結構ショックでした。こんなに直さないといけないのかと。もちろん、粗い文章で出した自分が悪いのですが。しかし、入れてくださった赤を見ながら、手を入れていくと、納得のいく指摘ばかりでした。そこからは心を入れ替えて、文章にも手を入れ続けました。読みやすくするために、何度も繰り返し、修正を加えました。削ったり、加えたり。今までで一番、ボツになった部分が多く、修正を加えたように思います。
 
 結局、最初から最後まで苦労したということですね(苦笑)

――このご本で最も読者に伝えたかったことは何ですか。

曽我:どのような方に読んでいただくとよいのか、この本を通して何が提供できるのか、という点は、書きながらずっと考えていました。答えは、二つあると思っています。

 一つは、都道府県や市町村に関する、具体的な知識や情報です。政令指定都市ってなんだろう。地方交付税ってどのような仕組みなのだろうか。地方議員はどのように選ばれるのだろうか。大阪都構想がなぜ出てきたのだろうか。市町村合併が行われるのに、都道府県の合併がないのはなぜなのだろうか。こういった、地方政府に関する種々の問いに対して、答えを示すようにしました。

 そのために、まずは基本的な知識を盛り込みました。日頃のテレビや新聞などで耳にしたり、目にしたりして、これってなんだろうと疑問に思われそうな事項に説明を与えるよう、工夫しました。たとえば、地方交付税は中学校の「公民」の教科書にも出ており、国から地方に配分し、地方が自由に使えるということは書かれています。しかし、じゃあその元手は何なのか、どのように配分額を決めるのか、自由に使えるというが、実際何に使うのか、この仕組みはいつ頃なぜできたのか、そういったことまで説明を加えていくことで、より深い理解ができるよう努めました。

 つぎに、基本的知識のもう一段階上、いわば、インターネットなどでいくら検索しても、答えが出てこない問いにも、答えを示すようにしました。たとえば、上に掲げた例でいうと、合併をめぐる市町村と都道府県の違いの理由などは、そう簡単には解けない謎だと思います。しかし本書を読んでいただければ、なぜ市町村合併が日本で進むのか、その理由が示されるとともに、なぜ都道府県は安定的だったのかの理由も示されている。これら二つをあわせれば、この謎にも答えを導くことができます。

 制度や、地方政府に関わる人々や、地方で生じるさまざま事象についての、基本的な知識の上に、そういった仕組みや出来事がなぜ生じるのか、それが何をもたらすのかといった、原因や効果についての議論を加えること、それによって、日本の地方政府の全体像が理解できるはずです。ですから、地方の政治や行政はよくわからない、あるいは、一体なぜこういうことになるのだろう、と何か少しでも疑問を持たれた方に読んでいただきたいと思っています。

 もう一つ、この本を通して伝えようとしたことは、政治学的なものの見方です。これは直接的には一言も述べていませんが、日本の地方政府を題材とした、政治制度と人の関係が、隠れたテーマといえると思います。制度がいかに政治家や行政職員の行動を制約しているか、その制約の下で、政治家や行政職員達は何を求めて行動するのかを描くとともに、そうした制度がどのような条件の下に成立し、なぜ維持されているのかを描くようにしました。制度がいかに人々の行動や考えを規定するか、しかし同時に、制度もまた人々の選択の産物であり、それがどのような条件で変わるのか。これらを理解することは、現状を理解し、将来に向けての変革を構想する大前提だと考えています。

 本書は、日本の地方政府は今後こうあるべきだという提言を含むものではありません。しかし、政治や行政を動かすものは何かという理解を通じ、今後を見通す上での前提となる理解を与えるものです。ですから、地方の政治や行政はおかしいのではないかとか、こういうところが間違っているのではないか、もっとよいものにできるのではないかといった、問題意識や改革への要求を持たれている方にも、是非読んでみていただきたいと思っています。

――反響はいかがですか。

曽我:身近な同業者や、学生からは、概ね好評ながらも、いろいろと指摘をもらいました。これは大事なことで、今後の研究や教育に取り入れます。本書の内容の一部は、京大の学部講義で話していることですが、早速、少し付け足して説明をしようと講義ノートを改訂したところです。
 
 加えて、やはり新書ということで、これまで出してきた研究書や教科書とは、異なる形の反応があると実感しています。

 一つは、いろいろな都道府県や市町村、また中央省庁も含め、行政実務の方からの接触です。もちろん、行政学という実務と距離の近い学問を専門としているので、これまでも皆無ではなかったのですが、格段に数が増えました。そうした接触を通じ、行政職員の皆さんの中には、本当によく勉強されており、優秀な方がいることを知るのは、心強く思うところです。

 もう一つは、シンクタンクや経済団体のように、民間部門において、広く社会のあり方を考えていらっしゃるところとのつながりですね。こちらは、これまであまりなかったことなので、新書ならではの効果と思っているところです。地方政府の問題を広く考えていただき、よりよい今後のあり方に結びつけていくために、行政の外との関係も大事だと思っていますので、これも嬉しい反応の一つです。

 また、新聞や雑誌からは、いくつか取材などをいただいています。学生さんや地方政府に関心を持ってくださる方々に、少しずつ手に取ってもらえればと思っており、実際に、届くべきところに届いていると感じているので、満足しています。

――曽我さんのご専攻は政治学、とりわけ行政学、現代日本政治ですが、なぜこの道に進もうと思ったのですか?

曽我:本書の「あとがき」にも少し書きましたが、父親が地方公務員だったので、政治や行政には漠然と関心がありました。ただ、今でもそうなのですが、政治や行政に、深くのめり込むこともないのです。同業者には、選挙区ごとの候補者の顔ぶれやその当落を本当によく知っているとか、霞が関の○○局長のポストは誰々で、その前は誰々だったとか、細かい知識を自然と蓄えている人が多くいて、感心するのですが、私はそうではありません(それゆえ少し、劣等感を感じます)。

 その代わり、広く社会や経済に関心がありました。子どもの頃の愛読書は親戚に譲ってもらった児童向け百科辞典でしたが、社会に関するところばかり読んでいた記憶があります。あと、何につけても、自分が何かをやるより、人がやっていることを見て、考える方が好きでしたので、高校生の頃から、大学の教員になれればと、漠然と考えてはいました。
 
 大学に入っても、進路という点では迷わなかったのですが、専攻はなかなか決まりませんでした。面白そうなことが多く、目移りしてしまうのです。ゼミも半年ごとの所属だったので、なかなかこれというのを決められませんでした。

 4年前期に所属していた行政学のゼミで、西尾勝先生に研究者志望であることを伝えました。すると、夏休みに課題をこなせば助手にとると言われ、私の関心を聞かれた上で、英語の本を4冊ほど渡してくださいました(冒頭で述べた写真の冊子はこのときまとめたものです)。行政学は、学部の講義を聞いて、確かに興味はあったのですが、学問として専門にするつもりになったのは、その夏休みの課題をこなしていく過程を経てでした。

 これが行政学を専門として選んだ経緯ですが、あくまで経緯であって、理由とは少し違うかもしれません。助手になってからも、何度か挫折しかけましたし、助手を終えたあとも、研究を続けていけるのか、不安は残っていました。なんとかやっていけるかと思うようになったのは、その後数本論文を書いてからでした。

 今から振り返ると、父親の間接的な影響に加え、自分の関心の持ち方に行政学という学問はぴったりだったこと、そして西尾先生が最初に与えてくださった課題が自分の関心にぴったりだったこと。これらが、この道を選んだ理由と言ってもいいのかもしれません。ですが、自分の実感としては、それは後付けの説明に過ぎなくて、悩んだり、流されたりしながら、そのときそのときの選択をしてきました。時には道から外れかけながら、それでも結果として、この道を歩んでいるというのが、正直なところです。

――政治学の魅力、学ぶ意味とは何ですか。

曽我:二つあると思っています。一つは、他人との関わりの中で生きる自分というものを、少しでもよく理解できるようになること。もう一つは、学問として、さまざまな方法を駆使して、知識を積み重ねていくところです。

 まず、第一の点について、具体的にお話をしましょう。先日、実家に帰ったら、自治会の加入率が下がって、存続が危ういといった話を聞きました。全国のあちらこちらである話だと思います。もともと、地域に住んでいる人の全員からなる地域コミュニティと、個人個人の判断で参加を決める組織の間で、自治会という存在は危うい均衡の上にあるものだと思いますが、それは置いておきましょう。

 ともあれ、自治会が活動できなくなると、たとえば、防犯灯をどうするのかという問題が出てきます。電柱などについて街路を照らす防犯灯は、自治会が設置しているケースが都市部では大半です。市町村は補助を出す形ですね。海外に行くと、夜が暗いと感じますが、日本の夜道の明るさは自治会とセットになっているところが大きいわけです。自治会の活動は自分には関係がない、面倒だと思う方も多いでしょうが、自分たちの暮らしの安心にやはり関わっているのですね。もちろん、これは自治会ではなく、市町村が提供すべきだという考えもあるでしょう。ただし、その場合、その負担をどこから出すのか、津々浦々にある防犯灯の管理を役所の職員ができるのか、民間に委託するとして、どこがそれを引き受けるのか。考えるべきことは、次から次に出てきます。

 さらに、もう一つ日本の夜道の明るさは、電柱が数多くあり、電力会社が防犯灯の設置に協力し、その電気代の割引なども行っているといったことにも支えられています。街路の電柱・電線は美観を損ねていると思いますし、地中化すべきという考えには賛成なのですが、そうすると防犯灯は行き場を失うかもしれません。いろいろなものが思いもかけない形でつながっているのですね。
 あるいは発想を逆転させて、防犯灯がなくても、それぞれの家が屋外灯を設置し、必ず点灯するようにするという解決策もあるかもしれません。しかし、では、点灯の呼びかけを誰がするのだろうか。設置を渋る人にどう説得すればよいのだろうか。

 安心や安全といったものは、お金で完全には買えませんし、自分一人で得ることもできません。ここに話したような一つひとつのことに気づいていくこと、自分が生きていくことが、どのような形で支えられているのかを知ること、それが政治学を学ぶということなのだと考えています。

 スマホを見ながら歩いたり、自転車に乗ったりしている人が増えています。そういう人は、他人に安全を委ね、さらに負担を押しつけているのですよね。しかし、政治学というのは、そのことを嘆いたり、お説教したりすることとは違うと思うのです。なぜ、そういう行動をとるのかを考える。危険性を理解していないのか、わかった上で行動しているのかを考える。何がそうした行動を支えているのかを考える。また、私たちも別のところでは、スマホを見ながら歩く人になっていないかを考える。それが政治学というものだと私は思っています。

 さて、もう一つは、学問としての面白さです。わからないことを解き明かしていくために、さまざまな分析ツールが開発されていく。考え方が整理されていき、研究の方法が革新されていく。そういった面白さがあります。理論の面でも、実証の面でも、次から次に新しいやり方が試される。それはきっと、政治という現象が多様で、つかみにくいものだからなのだと思います。

 若い人には是非、政治学が知的にスリリングなものだということを知ってもらいたいです。分析方法などの変化が激しいだけに、若い人の方が研究成果を出す上で有利で、チャンスが大きいと思います。でも、私のような年寄り(実年齢はともかく、研究の世界ではそう思わされます)でも、新しいものの面白さはわかりますし、同時に積み重ねて初めて見えてくるところもあると感じています。

――これから描いていきたいテーマ、分野があれば教えて下さい。

曽我:日本の中央省庁について、比較をしたり、通史的に描いたり、といった作業を続け、どこかでまとめたいと思っています。霞が関の官僚制というものが、この国にとって持っていた意味というのは何なのか、それがどのように変化したのかを、できるだけ大きな視点から捉えたいと思っています。

 他方で、これまでやってこなかったようなテーマに挑戦したいという気持ちもあります。政策を絞って見ていく、たとえば、交通関係、水道、図書館、警察とか。あるいは、行政の中の一つの活動、たとえば文書管理、統計収集とか。そういった絞った領域で、先行研究とは違う分析方法や視点を持ち込めないかといったことも考えています。

 逆に、理論的な原理原論を詰めて考えてみたいという気持ちもあります。教科書のような概説とはまた違った意味で、政治や行政の基本となる部分を、一度、抽象度の高い形で整理したいという思いもあります。

 あとは、さらに自由に、広げたテーマや手法を扱いたいとも思っています。江戸時代の行政の分析なども行ってみたいですし、テキストの量的処理の手法を用いて行政文書を分析するなどの試みにも興味があります。

 欲張りだとは自分でも思います。自身の研究に回す時間が極めて限られている状況では、なかなか難しいとも思います。それでも、この歳になると「上がり」という感じもあることに対し、できるだけ抗いたいと思っています。

曽我謙悟(そが・けんご)

1971(昭和46)年兵庫県生まれ.94年東京大学法学部卒業.同年東京大学大学院法学政治学研究科助手. 97年大阪大学大学院法学研究科助教授,神戸大学大学院法学研究科教授を経て,2015年より京都大学大学院法学研究科教授 専攻・行政学,現代日本政治.
著書に『ゲームとしての官僚制』(東京大学出版会,2005年),『行政学』(有斐閣,2013年),『現代日本の官僚制』(東京大学出版会,2016年),共著に『日本の地方政治――二元代表制政府の政策選択』(名古屋大学出版会,2007年),『比較政治制度論』 (有斐閣,2008年) 他多数