2019 09/19
私の好きな中公新書3冊

「総合的な冒険」が魅力/木村俊介

田中善信『芭蕉 「かるみ」の境地へ』
岡田暁生『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』
坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』

中公新書の興味深さには多くの側面があるけれど、そのうちの一つは、「専門家が、ずっと追ってきたテーマと隣接する文化や時代にまで考察の範囲を広げる冒険」がなされるところにあるのではないだろうか。様々なジャンルが高度に細分化している現代において、数百年もの時の流れや、研究の領域としてはいくつかの要素をまたぐ文化について、いわば総合的に「大きな絵」を描いてみせることは、難しい。付け焼き刃の認識で、壮大なストーリーを無邪気に語られても、因果を結ぶ根拠の単純さに鼻白む。

細部を検証することの複雑さをよく知るエキスパートが、対象との緊張ある距離感を維持したまま、専門領域の外側にある事象も含めて、時代や文化の大局観を提示する。一般向けに教養を手渡す新書という枠組みの中でこそ挑戦できる執筆になるので、著者にも、ジャンルの総合的な見取り図を描くプロセスに発見が生まれる。中公新書で継続的にヒットしている物語各国史や人物評伝ものは、まさにそうした専門書と一般書の「あわい」に信頼を重ねた賜物だと思う。私は、中公新書のそんなところが好きだ。

例えば、人がものを書くのはどのような営為かに関して考え直させてくれる『芭蕉』『西洋音楽史』などは、何回読んだかわからないほど刺激的だった。前者は、筆跡まで検証した上で「精神修業としての書くこと」の美しさを描く。後者は、西洋芸術音楽が世界的に伝播した要因を、楽譜に「書かれた」ものだからとし、書くことで、音楽に異なる要素どうしの複雑なぶつかり合いが生まれた過程を活写する。どちらも、歌とは何か、音楽とは何かに総合的に触れながら、書くことの魅力まで掘り下げているのだ。

そんな豊かさは、近年の中公新書で話題になっている日本史ものにも息づいている。先に挙げた歌や音楽に絡めれば、『承久の乱』は、歴史のうねりの中で和歌という肉声に近い痕跡をどう捉えるかの手さばきが、面白かった。

木村俊介(きむら・しゅんすけ)

1977年、東京都生まれ。インタビュアー。東京大学在学中、立花隆氏のゼミに参加し、聞き書きを始める。糸井重里事務所を経て独立。著書に『変人 埴谷雄高の肖像』(文春文庫)、『仕事の話』(文藝春秋)、『物語論』(講談社現代新書)、『料理狂』(幻冬舎文庫)、『「調べる」論』(NHK出版新書)、『善き書店員』(ミシマ社)、『仕事の小さな幸福』(日本経済新聞出版社)、『漫画編集者』(フィルムアート社)、『インタビュー』(ミシマ社)、『漫画の仕事』(幻冬舎コミックス)、聞き書きに『調理場という戦場』(斉須政雄/幻冬舎文庫)、『芸術起業論』(村上隆/幻冬舎)、単行本構成に『ピーコ伝』(ピーコ/文春文庫PLUS)、『海馬』(池谷裕二・糸井重里/新潮文庫)、『西尾維新対談集 本題』(講談社)、『イチロー262のメッセージ』シリーズ(ぴあ)などがある。