2019 05/08
私の好きな中公新書3冊

視野を広げ深く生きるための3冊/小池昌代

五十嵐泰正『原発事故と「食」 市場・コミュニケーション・差別』
木村敏『時間と自己』
栩木伸明『アイルランド紀行 ジョイスからU2まで』

原発事故と「食」をめぐるモヤモヤが、ようやく言語化された。子供がいるので家族の間でも意見が分かれ、いまだに揉める。8年もたつというのに。『原発事故と「食」』において、著者は安易に正解を出さず、様々な見地からの意見をすくい上げ、その間に丁寧に柔らかく、橋を渡すかのような仕事をしている。

とりわけ、リスクコミュニケーションという考え方は新鮮だった。私は「食べて応援」というキャッチフレーズがとても無責任に聞こえ好きになれなかったが、当時も今も、嫌だとすら言えない空気のなかにいた。今、こうして書けるのは、本書を読んで自ら冷静に、圧力をふりほどくことができたせいかもしれない。

私自身、情報の得方についての反省はある。知らないことも多すぎた。福島のカツオ漁については、魚の生態や捕獲方法まで知ることができ視野が広がった。「メルトダウンはしていない」発言以降、政治の場で発せられる言説がいよいよ信じられなくなったが、他者への信頼度と寛容度が高いノルウェーのような社会が紹介されている。「食べて応援」への違和感の根っこが見えた。

『時間と自己』は時間論だが、詩論として読める。本書から多くの影響を受けたが、ここに書かれてある様々な精神病者の時間感覚に、思い当たる感覚と救いもあった。私は若く、生きにくさを抱えていた。もの=存在のなかから浮かび上がる「こと」の豊かさ。読んでいると、自分を取り巻く時間がゆがみ、変容していくような興奮を覚えた。

『アイルランド紀行』は、風土と文学の言葉とが手を組み、宙空に夢を描き出す。土地に生えている草木や石、土すべてが、呼びかけに応じてしゃべりだすのではないかと錯覚する。本書を持ってアイルランドを旅してみたい。

小池昌代(こいけ・まさよ)

1959年、東京都生まれ。津田塾大学国際関係学科卒業。詩集『もっとも官能的な部屋』で高見順賞、詩集『ババ、バサラ、サラバ』で小野十三郎賞、詩集『コルカタ』で萩原朔太郎賞を受賞。また、初のエッセイ集『屋上への誘惑』で講談社エッセイ賞、短編小説「タタド」で川端康成文学賞、小説『たまもの』で泉鏡花文学賞を受賞した。他の著書に『通勤電車でよむ詩集』『文字の導火線』『黒蜜』『自虐蒲団』『幼年 水の町』『影を歩く』など。