2019 01/11
知の現場から

角幡唯介の仕事場

『中央公論』で「冒険の断章」を連載中の探検家・角幡唯介さん。第8回開高健ノンフィクション賞を受賞したデビュー作『空白の五マイル』(2010年)以来、探検と執筆の両輪で活躍している。2011年からは北極圏を探検しており、昨年刊行した『極夜行』にその探検の軌跡をまとめた。第1回ノンフィクション本大賞を受賞した本作には、自身の結婚、妻の妊娠と出産、子育てなど著しく変化する私生活も描かれ、探検家の新たな一面ものぞかせた。

角幡さんは昨秋、都内から鎌倉に居を移した。場所は極楽寺。活躍目覚ましい探検家を古都の一隅に尋ねた。

――昨秋、鎌倉に引っ越されました

ここに越してくるまで2年間、市ヶ谷に住んでいました。市ヶ谷に住んでいる間、だんだん夫婦喧嘩が増えてきて、これは場所が悪いんじゃないか、引っ越すか、という話になったんです。

それで前に住んでいた西武線沿線、落合あたりに戻るかなと考えていたら、妻が「鎌倉にいい物件がある」と言い出して。「なんで半セレブが集まる文化人気取りの町に住まなきゃいけないんだよ」と思ったんですけど、来てみたら、いいな鎌倉、って(笑)。

妻が探し出したのはすごくいい物件でした。ローン審査も通って、いよいよ買うかというところまでいったのですが……まだ「一軒家を買う」という決断ができなかったんですよね。家なんて買ってしまったら人生終わりだ、と思ってしまった。それですこし逡巡しているうちに、あっという間に他の人が契約を決めてしまった。肚が決まらなかったんです。

ところがその後また妻が、鎌倉で見たい家がある、と。見に来てみると、山の近くで雰囲気がいい。ただ、前に買い逃した家よりちょっと高い。でも、いま引っ越さないと東京でまた同じような暮らしに戻ってしまうと思ったんです。どんな生活が待っているか、先がもう見えるわけですよ。変化をつけたい、と思って買うことにしました。それがこの家です。

角幡さんの仕事部屋。探検につかうギア類は押し入れに収納され、それ以外の壁面は本棚に覆われていた

――生活はどう変わりましたか

変わったことといえば、山に行きたいという欲求が減ったこと。東京に住んでいたころは、時間をつくっては南アルプスなんかに行っていました。それが、ここには山もあって海もあって、遊びの環境もある。裏山をちょっと登ればハイキングコースに出られて、トレイルランニングもできる。日々トレーニングする場所としてもいいです。いつのまにか山に行きたいとあまり思わなくなっていました。

家族にとっても変化は大きかったんじゃないかな。妻は近所で友達ができたみたいだし、娘も隣の家の子と毎日遊んでいるし。市ヶ谷にいるときは近所づきあいなんてありませんでしたからね。幼稚園のママ友も、住んでいる場所はバラバラだったから深い付き合いはなかったみたいです。

ただ……ここはちょっと健全すぎるかもしれない。健全すぎるのは、子育て環境としてよくない。酔っぱらっているおやじとかがそのへんにいるような環境のほうが、人間性がはぐくまれる気がするし、たぶん実際そうなんだと思う。その点、ここはみんな健全。みんなパタゴニアのフリース着て犬散歩したりしてさ(笑)。上品すぎる。でもうちは女の子だからいいのかな。

――生活の変化は、探検や執筆に影響を与えましたか

うーん、特にそういうことはないと思う。住む場所が変わったことよりも、年をとってきたことによる影響のほうが大きいですね。

若いころは体の内側から「あそこに行きたい、あそこに行くんだ」という強烈な思いがあふれてきて探検に駆り出されていました。いまはそうじゃない。いろいろ経験を重ね、探検の技術は若いころと比べて格段に上がっているかわりに、そこに絶対行ってやる、という勢いとか気力は昔ほどない。

乖離しているんですよね。経験値が高まり、やりたいことのスケールは大きくなっている一方で、それをやろう、そこに行こうという勢いは落ちてきている。

そのギャップを埋めているのが、「書きたい」という衝動です。これがいま自分を最も強く突き動かしています。どこに行けばどんなことが書けるか、それを書くためにどのように表現するか、みたいなことをずっと考えている。やりたいことがある、そしてそれを書きたい、だから探検に行く。

ノンフィクションが多いが、テーマは多彩だ。下段は、タイトルが手書きされた洋書の探検記。「積ん読本もけっこうありますよ」

――体力は落ちてきていないんですか

体力はそれほど落ちたと思わないし、トレーニングすればある程度は維持できます。一方で、年齢的なリミットが近づいてきているという焦りはある。

いまやりたいのは、犬ぞりで昔のエスキモーみたいに雄大な旅をすること。そのための実力を蓄えたい。狩りの技術や、土地の知識を身につけて、獲物のいる場所を自分で見つけて、活動エリアを広げる。そして、グリーンランド北部からカナダ北部一帯を自由に旅できる「極地旅行者」になりたい。でもそのためには50歳くらいまでは毎年現地に行かないといけない。

そうすると、やっぱりリミットを意識するんですよね。20代のころとは違って、10年もこんなことをやるとなると疲れるわけですよ。書きたいこともあるから、1年くらい休んで書くのに専念したいけど、体がいつまで続くかという焦りがあるから北極圏に行っちゃう。

自分の場合、書く原動力となるのは「行動」ですから。いつまで行動できるのか。そして、行動できなくなった時に、自分のなかに書くことがあるのか。

ただ、書きたいことはめまぐるしく変化します。たとえば、しばらく前までは「脱システム」というテーマがあった。探検という行為を、人間社会というシステムの外側に出ることだと位置づけていたんです。GPSや通信機器を持たずに極夜の北極圏を旅しているのもその一環です。でもいまは「探検とは、脱システムだ」という切実な思いは前よりうすくなっている。今は脱システムより別のテーマが切実になってきているので、脱システムで何かを書くのは難しくなってきています。

――今は別にテーマがあるということですか

『中央公論』で連載中の「冒険の断章」には、「関わる」という裏テーマがあります。

昔から「関係すること」の意味を漠然と考えていましたが、それが最近ふくらんできて、書きたいと思うようになった。妻との結婚についても書いています。3、4年前だったらこんなことを書くようになるとは想像できなかったはずです。

家を買ったこともそうですが、たとえば結婚していなければいま書いているようなことは書いていない。関係することは、自分を思わぬところに連れていってくれる。考えていなかったことや見えていなかったことも発見できる。そうするとまた書きたいことが出てくる。

仕事机のわきに並ぶのは、サルトル、ニーチェ、ハイデガー。「北極圏では哲学書に読みふけりました。けっこう俺と同じことを考えてるんですよ、ハイデガー。あぁ、わかるわかる、って(笑)」

――書きたいことがいつかなくなる、という不安はないですか

50歳になって書くことがなければ……どうするのかな。「書きたい」という気持ちが消えてしまったときが、探検の終わりなのかも。行動して書く、そうした自分の生き方がいつまで続けられるか。もしできなくなったら、それはもう事実上「俺の人生は終わりだ」ってことですよ。あとは釣りでもして悠々自適な余生かもしれませんが、いまは余生が怖いですね。

ただ、将来の不安はないんです。結婚して妻がいるし住む家もある。これまで俺が働いて稼いできたんだから、あとは妻が生活費を稼いでくればいい、なんて(笑)。本当にそうするかは別として、そういう最終手段としての逃げ道がある。だから結婚して心が楽になりましたよ。家を買ったのもそうかな。

とにかく書きたい気持ちがあるうちに、そして体が動くうちに、いろいろなところに行って、自分が追い求めている「表現」を突き詰めていきたい。

――それがいまは北極圏?

そう。脱システムは終わったし、もう探検家という肩書もやめようかな。探検とか冒険とかじゃなくて、北極の土地に根ざした旅をするという意味で「極地旅行者」のほうが実情に即しているんじゃないか、って。そっちのほうが何か深いことがわかりそう。いまはそう思っています。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道生まれ。極地旅行者。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学では探検部に所属。著書に『空白の五マイル』(開高健ノンフィクション賞受賞)、『雪男は向こうからやって来た』(新田次郎文学賞受賞)、『探検家、36歳の憂鬱』、『アグルーカの行方』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『漂流』、『極夜行』(本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞受賞)など多数。

twitterアカウント:https://twitter.com/kakuhatayusuke