2018 06/29
著者に聞く

『倭の五王』/河内春人インタビュー

2018年1月に刊行された『倭の五王』。好評を得て版を重ね2万8000部(6月現在)となっている。この本は、「倭の五王」と5世紀の日本について、『日本書紀』など日本の史料だけでなく、中国や朝鮮半島の史料を丹念に読み解くことによって、新しい視点を提示している。
この4月から新しい職場に移った著者に、『倭の五王』のポイントから、古代史の魅力について語ってもらった。

――日本古代史への関心はいつ頃からですか。

河内:小学生の頃、父親の本棚にあった歴史雑誌をよく手に取るようになり、歴史に興味を持ちました。特に印象に残っているのは中国古代史。春秋戦国時代の故事成語のもとになったエピソードのようなものです。さらに『三国志』を読むようになり、歴史への関心が高まりました。きっかけは中国古代史だったんです。

日本史への関心は当初、戦国時代や幕末でしたが、中国古代史との接点として日本の古代はどうだったのかが気になるようになる。小学校6年生の頃、中沢巠夫著『遣唐船物語 平将門』(学習研究社、1982年)を読んで、唐に行ったまま帰ることができなかった人々のことを知り、日本と中国の歴史的な接点に興味を強く持つようになりました。
振り返ると、このあたりが現在の研究の原点だと思います。

――なぜ「倭の五王」をテーマとして考えていたのですか。

河内:これまでの「倭の五王」の研究は日本史がその中心であり、日本の立場で語られてきました。しかし、「中国から見た倭の五王」「朝鮮半島から見た倭の五王」という広い視野から語られることが少なかったのではないか、と強く感じるようになったからです。

――執筆にあたって最も苦労した所はどこですか。

河内:『古事記』『日本書紀』を脇に置いて、中国・朝鮮史料や考古学の成果から論じてみるというコンセプトは早い段階からできていました。ただ、言うは易く行うは難し。実際に取り組んでみるとたいへんでした。私は日本史をフィールドとしているので中国史・朝鮮史、考古学の知識が足りないと認識せざるを得ない。おそらくそれぞれの専門分野の方からみると、足りないところや誤解が多いのではないかと今でも戦々兢々としています。

他方で、編集者から中国史などを詳しく書くと、日本史を期待して読む人には難しいという“教育的指導”が入り、どこまで丁寧に、かつわかりやすく書くべきかについてずっと手探りでした。書き上げた後でも削除した部分について、やはり載せた方がよかったのではないかと思い返しています。

いずれにせよ、「倭の五王」の時代は史料が少ない。たくさんの史料を積み上げて歴史を論じる方法が難しく、どうしても推論に推論を積み重ねざるを得ないところがあります。ただ、それを少しでも補うために、類似した出来事を比較するなど工夫はしました。

――特に注目して読んでもらいたい所はどこですか。

河内:今回の『倭の五王』では、『古事記』『日本書紀』から離れて、五世紀の歴史を考えることに取り組みました。それは、日本史、特に対外関係史を考えるときに日本の史料を中軸に置くことは適切なのかという疑問の表明でもあります。

そもそも史料には国籍があるわけではありません。歴史を考えるときにはいわゆる日本史料も中国史料・朝鮮史料も考古学資料もフラットに扱われなければならない。もちろんそのすべてが同じ重みを持っているわけではない。テーマによってその比重は変わるでしょう。しかし、『古事記』『日本書紀』は日本史、中国正史は中国史が扱うといったレッテルを最初からつけるのは適切ではないでしょう。そこで本書はそうした見えない「分野の壁」を越境して取り組もうとしました。

ですから「倭の五王」という日本史をテーマにしていますが、むしろ日本史という枠にこだわらずに、それを超えた東アジア史として読んでもらえるとうれしいです。

また、今回の『倭の五王』では、『古事記』『日本書紀』は最低限の記述に抑えましたが、『古事記』『日本書紀』を論じなくていいとは考えていません。『古事記』『日本書紀』から歴史を論じる前に、『古事記』『日本書紀』とは何かというテーマを考えその方法について練り上げていく必要があると思います。

この4月に八木書店から『日本書紀の誕生――編纂と受容の歴史』を編著として刊行しました。興味のある方はそちらも手に取って頂けるとうれしく思います。

――反響はいかがですか。

河内:東アジアの動向を理解しようというところは、概ね好意的なようです。それに対して、第4章「倭の五王とは誰か――比定の歴史と記・紀の呪縛」については賛否両論、どちらかというと否の方が強いようにも聞こえます。それだけ通説的な理解が強固なのでしょう。

「倭の五王」はどの天皇に比定されるのかを知りたくて読んだ方は肩透かしにあう内容かもしれません。ただ、選択肢のなかから答えを選ぶのではなく、問題そのものの是非を問うのが歴史学です。そこを感じてもらえるとうれしいです。

帯で「1600年前の日本国家とは」というコピーをつけて頂き、著者ながらだいぶ日本史を強調しているなと感じました。ところが、amazonでは中国史のジャンルに振り分けられているんですね(笑)。そこは、日本史にこだわらないという狙いが通じたと意を強くしています。

――日本古代史は、おおよそ3世紀から12世紀までと対象が広いですが、その魅力はなんですか。

河内:古代史は現代からはいちばん遠い時代です。近現代史は一般の人にも重要性が認知されやすいですが、古代史はなかなかそうはいきません。戦前ですが、著名な歴史学者内藤湖南は日本史で大切なのは応仁の乱以降であり、それ以前は必要ないといった話をしています。それが正しいとは思いませんが、一般的な感覚は今でもそれに近いものがあるのでしょう。

ただ、古代とは始まりの時代です。物事の本質はその始まりに集約され、時代が下るにつれて様々なものが付け加わり本質が見えにくくなるとするならば、シンプルな古代が最も本質に迫りやすいことになる。

また、古代に生きた人々の考えや行動論理は現代人とはまったく違います。それを現代的な感覚に当てはめて解釈するのではなく、当時の論理を探り当てて出来事を説明しなければなりません。少しでもそこに肉薄することが、史料を介した古代人との腹の探り合いで楽しいところです。

――この4月から大学の准教授に就任しましたが、驚いたことなどはありますか。

河内:4月から関東学院大学経済学部に着任しました。海が近く、穏やかな雰囲気の大学です。まだ数ヵ月しか経っていませんが、これまで文学部という世界で過ごしてきたので、違う分野の学問にふれることは大きな刺激になるので楽しみです。

大学では日本史の概説の授業を担当しており、古代史だけではなく中世・近世まで教えなければなりません。準備はたいへんですが、研究の幅を広げるいい機会ですね。

いずれにせよ、本学に限らず、大学を取り巻く状況の厳しさは思っていた以上でした。それは社会的な面もあれば、国の政策的な面もあります。その厳しさとどう向き合うのかがこれからの責務だと感じています。

――今後の関心やテーマについてお聞かせ下さい。

河内:自分は日本史の立場で歴史を研究していますが、そのベクトルは、深く掘り下げていくことと同様に、広く見渡すという方向性もあると考えています。

日本史が日本というフィールドを明らかにするために、より広い世界とどのようにつながっていたのか、どこが似ており、あるいは違うのかという比較史的な視点が重要性を増していると感じています。

現在の研究で東部ユーラシアという概念が注目されています。これまでの東アジア世界論を相対化し乗り越えようというムーブメントです。そのためにはユーラシア規模での歴史について学ぶ必要があり、やりたいことが山積しています。

具体的には、あとがきにも少し書きましたが、遣隋使は取り組んでみたいテーマです。単なる「聖徳太子の政治」の一つとして位置づけるのではなく、世界史的動向と倭国の対外政策や文明化がどのように切り結ぶのかという視点で捉えなければならないと考えています。それは日本における国家形成を考える上で重要な問題なのです。

――読者にメッセージがあれば是非に。

河内:歴史を考えるときに大切なのは、想像力だと思います。それは仮定の出来事を想定するのではなく、史料と史料の間の記されていないことに思いをめぐらせ、今と過去の共通性と差異を見つけ出す思考の作業だと思っています。

そんな視点で歴史を楽しんでもらえると、歴史学は活発でより面白くなっていくのではないでしょうか。

河内春人(こうち・はるひと)

1970(昭和45)年東京都生れ。93年明治大学文学部卒業、2000年明治大学大学院中退。日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て、18年4月より関東学院大学経済学部准教授。 専攻・日本古代史、東アジア国際交流史。著書に『東アジア交流史のなかの遣唐使』(汲古書院、2013年)、『日本古代君主号の研究――倭国王・天子・天皇』(八木書店、2015年、駿台史学会選奨受賞)。編著に『日本書紀の誕生――編纂と受容の歴史』(八木書店、2018年)。共著に関周一編『日朝関係史』(吉川弘文館、2017年)。翻訳書にシャルロッテ・フォン・ヴェアシュア『モノが語る日本対外交易史――7‐16世紀』(藤原書店、2011年)