- 2017 08/08
- 著者に聞く

ヨーロッパの中央に位置する「平原の国」、ポーランド。コペルニクス、ショパン、キュリー夫人ほか、あまたの優れた人材を輩出したことでも知られる、いわば文化大国である。だが、人々がたどってきた道のりは決して平坦なものではなかった――。『物語 ポーランドの歴史』を著した渡辺克義さんに話を聞いた。
――日本人には馴染みが薄いポーランドですが、短く紹介するとどのようになりますか?
渡辺:周辺列強によって幾度となく蹂躙されてきた歴史を持つ国です。18世紀末のポーランド分割では、国家滅亡の悲劇にまで至りました。19世紀には独立を求めて数次にわたり蜂起が繰り返されました。
国家再生は1918年にようやく実現しますが、平和な時代は長くは続きませんでした。第二次世界大戦に巻き込まれたのです。日本でもよく知られるアウシュヴィツの悲劇はこの時に生まれました。
戦後のポーランドはソ連の影響下で社会主義国として再出発しました。1989年に始まるいわゆる「東欧革命」を経て、現在の体制となりました。
――ポーランドに関心を持ったきっかけは?
渡辺:1976年のモントリオール・オリンピックで、女子陸上400メートル走で初めて50秒を切ったイレナ・シェヴィンスカ選手の快走に感動したことです。1970年に長男を出産したあと競技生活にカムバックしていたことにも驚かされました。その後、工藤幸雄著『ワルシャワの七年』(新潮選書、1977年)を読んで、ポーランドへの関心は決定的となり、この国のことをもっと知りたいと強く思うようになりました。
――執筆で苦労した点は?
渡辺:単独で通史を執筆することがこれほど大変だとは思いも寄りませんでした。専門とする現代史では書き足りないと感じる反面、古い時代については必ずしも知識が十分でなく、半ば学習しながらの執筆でした。結果として、自分の専門領域の記述が厚く、現代史の比重が大きくなっています。
――ポーランド国民の尊敬を集めている人物とは?
渡辺:日本でもよく知られたショパン、スクウォドスフスカ=キュリー(キュリー夫人)、ヨハネ・パウロ2世のほか、詩人のミツキェヴィチ、映画監督のアンジェイ・ワイダ、ワルシャワ市長を務めたスタジンスキなどが挙げられるでしょう。ポーランド共和国建国の父と呼ばれるピウスツキも敬愛されていますが、彼については同時に否定的評価もあります。
――ポーランド人は日本をどう見ているでしょう?
渡辺:規律正しく、真面目で勤勉な国民だと思われているようです。ポーランドには数年滞在しましたが、自身が日本人であるという理由だけで不快な思いをしたことはありません。
――現在のポーランドをどう見ますか?
渡辺:ポーランドは人口約4000万人というヨーロッパの「大国」です。しかも、35歳以下の若年人口が過半数を占め、潜在力と将来性に富んでいます。経済的にはうまくいっているようですが、政治的には保守系の勢いが強く、排外的な動きも強まっていることが気になります。
――最後に読者へのメッセージをお願いします。
渡辺:これまでに刊行されたポーランド通史との差別化を図るため、各章の末尾に設けたコラムでは、映画・絵画・言語などを話題として取り上げました。また現代史では、日本で初の紹介となる事件の記述もありますので、読者のみなさんが退屈することはないだろうと思っています。