2017 02/09
著者に聞く

『浄土真宗とは何か』/小山聡子インタビュー

『浄土真宗とは何か』を上梓した小山聡子さん。歴史学の立場から、親鸞やその家族、そして浄土真宗の教説や信仰について論じ、新たな親鸞像・浄土真宗像を描き出した本書について、執筆の背景などうかがいました。

――本書を執筆した動機を教えてください。

小山:大学院生時代に授業で『歎異抄』を読んだのが、最初に浄土真宗に関心をもったきっかけだと記憶しています。それまでは、天台宗の研究をしていました。だからこそ、親鸞と密教のつながりに着目できたのかもしれません。

『歎異抄』をていねいに読む中で、親鸞の教えにも、論理的な「ゆれ」があるのではないかと疑問を抱き、調べ始めました。もともと親鸞も天台宗の僧ですから、そんなに簡単に呪術は否定できないのではないかと。呪術によって往生することは否定していますが、呪術の効果そのものは否定していないですよね。

親鸞について調べていくうちに、宗教者としての苦悩が見え、とても魅力を感じました。親鸞は、末法の世に「愚である人間が救われるにはどうしたらよいか」について真摯に向き合った人物であるという視点で、親鸞の人間としての魅力をひき出したいと思って書きました。

本書では、親鸞やその家族、そして継承者らを理想化せずに、史料に即して、等身大の姿を活写し、新たな親鸞像、浄土真宗像を描こうと試みています。

――執筆中に何か苦労したことがありますか。

小山:親鸞や継承者らを理想化せずに、彼らが生きた時代の中に位置づけて書こうとすると、どうしても難しい点が出てきます。
これまで、浄土真宗については、非常に多くの研究がなされ、本なども出版されてきました。しかし、「親鸞や浄土真宗はこうあるべきだ」という考えに基づいて書かれたもの、親鸞やその教えを継承してきた人々のことを理想化して捉えたものがとても多いです。浄土真宗の信仰をもつ方が、そのような捉え方をすることには大きな意味があると思いますが、学問的に考えていく場合には適切ではないと思います。私自身も親鸞や浄土真宗について、これまでの知識から先入観を持っていますので、それをはぎ取りながら調べて執筆していくということに苦労しました。

本書では、結果的に、親鸞自身も少なくとも還暦の頃までは堅固な他力信心を得てはいなかったことや、家族や継承者は、親鸞の説いたのとは異なる信仰を持っていたことなどを書くことになりました。親鸞が、経典を読誦して現世利益を求めてしまったエピソードや、妻・恵信尼(えしんに)が臨終時の衣にこだわったこと、長男・善鸞(ぜんらん)が東国で巫女と行動をともにして病気治療を行っていただろうことなどを論じました。

しかし、彼らを批判する意図はまったくありません。宗教者というのは、真の救済を求めて苦悩し、理論だけではすまされない局面に立つこともあるのだと思うのです。その時代の常識とされていることが影響するのも当然です。

また、工夫した点としては、一般書の執筆は初めてだったのですが、研究者以外の方に読んでいただくために、専門用語にやさしい解説をつけるようにしました。ただし、親鸞らが書いたものについては、なるべく原文も掲載するようにしました。解釈の難しいものも多いからです。なるべく、原文を提示し、現代語訳や要約、そして解釈を付した方がよいと考えました。

――本書では、先生が撮影された親鸞ゆかりの地の写真も複数掲載されています。特に印象深いお寺や史跡などはございますか。

小山:親鸞といえば、本願寺や京都が注目されがちですが、長年住んでいた稲田草庵(茨城県笠間市)のあたりはとても魅力的な土地だと思います。越後へ流されて、その後に京都へ帰らずに、あえて東国で40から60歳過ぎくらいまでの約20年もの間、暮らしていたのですからね。筑波山は大変きれいに見え、稲田の西念寺のあたり、田んぼがあって、白鷺が舞うんです。

それ以外ですと、生誕地の伝承がある日野(京都市伏見区)のあたりでしょうか。日野も静かな地で、山が迫っており、魅力的ですね。
比叡山もおもしろいですよ。若いころに修行した場所で、様々な伝承が残っています。

山の話ばかりしていますね(笑)。親鸞はよく海について語っているのですが。果てしなく大きなものをたとえるときに海がよく出てきます。阿弥陀仏の本願の救いが広大であることをたとえた「本願海(ほんがんかい)」などがこれにあたりますね。

――終章で小説や戯曲の引用があります。紹介されている以外に、おすすめの作品はございますか。

小山:親鸞については、漫画も出ています。本書では、親鸞を理想化せずに書こうとしましたが、漫画には、蓮如が教団を確立して以降の、特に江戸時代につくられた伝承がしばしば取り入れられています。後世につくられた親鸞像を考える上でおもしろいです。たとえば、『まんが 宗祖親鸞聖人―伝承編―』(真宗大谷派難波別院)などがありますね。
本書でも触れたアニメではありますが、「親鸞さま ねがい、そしてひかり。」(浄土真宗本願寺派)もおすすめです。

――親鸞の魅力はなんでしょうか。

小山:「愚」だと思います。愚を自覚しようとしたこと。愚の自覚は、謙虚な心につながっていきます。周囲の人やものへの感謝がうまれます。

親鸞は僧侶ではありますが、峻厳な修行を否定し、結婚しました。煩悩を自覚し、ありのままの姿をよしとしたのです。そして親鸞は、人間はみな「愚」であることを自覚し、自分の努力で極楽往生はかなわないことを知る必要があるとしました。また、極楽往生が確実になったら報謝の念仏(感謝の念仏)を称えなさいと説きました。

現在でも、私たちはつい自分の能力を過信し、ともすれば他への感謝の気持ちも忘れがちです。ところが、親鸞の書いたものを読んでいると、このような自分を内省し、改めようという気持ちになります。現代人にとっても、親鸞の思想から得られることは、とても多いと思います。

――今後の課題、テーマを教えてください。

小山:今後は、東国の門弟の信仰にも注目していきたいですね。史料が少なく、難しいのですが。性信(しょうしん)や真仏(しんぶつ)をはじめとする門弟らの信仰を論じていくことによって、さらに広い視野で浄土真宗を捉えることができると思います。

また、本書を執筆して、親鸞らが生きた時代には呪術に頼ることが当たり前だったということを、改めて痛感しました。私は浄土真宗史のほかに、古代・中世のモノノケ(主に死者の霊魂)についても研究しています。モノノケを退治するには、様々な呪術を用います。このテーマにも積極的に取り組みつつ、その成果を浄土真宗史の研究にも活かすことができればうれしいです。

さらに、今回執筆してみて興味深かったのは、近代文学作品における親鸞の描かれ方です。浄土真宗史を考える上で、これらについて調べていくのも面白いのではないかと思いました。

この三つのすべてに十全に取り組めるとは思えませんが、これからの目標にしたいです。

――最後に読者へのメッセージを一言いただけますか。

小山:歴史学を専門とする立場から、努めて先入観を排し、親鸞や浄土真宗について分析して本書を執筆しました。
人文系の学問は、結局のところ「人間とは何か」を追究するものだといってよいと思います。本書を通して、読者のみなさんにも「人間とは何か」を考えていただければ幸いです。

小山聡子(こやま・さとこ)

1976年、茨城県に生まれる。98年、筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業、2003年同大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。現在、二松学舎大学文学部教授。専門は日本宗教史。著書に『護法童子信仰の研究』(自照社出版、2003年)、『親鸞の信仰と呪術-病気治療と臨終行儀-』(吉川弘文館、2013年)ほか