2017 01/20
著者に聞く

『シベリア抑留』/富田武インタビュー

ソ連政治や日ソ関係の研究をリードし続ける富田武さんが、シベリア抑留の全貌を描き出す書籍を刊行しました。『シベリア抑留』は、ドイツや日本など400万人以上の将兵、数十万人の民間人が、ソ連領内や北朝鮮などに抑留され、「賠償」を名目に労働を強制された実態に光をあてています。その執筆の背景などについて話をうかがいました。

――ご執筆の理由を教えてください。

富田:抑留に関する学術的な論文や書籍は書いてきましたが、体験者や遺家族と接して、一般向けの本が必要だと痛感したからです。

――今回のご本のポイントは何ですか。

富田:第一は、シベリア抑留というと日本人将兵のソ連抑留しか思い浮かべない一般的な見方を改めるべく、朝鮮人将兵や、南樺太・北朝鮮の日本人居留民の抑留もとりあげたこと。第二は、抑留者の飢え、酷寒、重労働の「三重苦」ばかりが強調されていたのに対し、彼らがいかに生き抜いたかに焦点を当てたこと、第三に、日本人の捕虜・抑留には、ソ連国民の矯正労働収容所送り、ドイツ及び同盟国軍将兵の虜囚生活という前史があったことを示し、世界史的視野から考えるように構成、叙述したこと、以上です。

――ソ連・ロシアへの関心はいつ頃から、どういったきっかけからですか。

富田: 私が学生だった1960年代半ば、社会主義への関心がまだ高く、しかしソ連のような官僚国家は社会主義ではないと思われ、どうしてソ連は社会主義の道から逸脱したのだろうと考え始めた頃、大学2年の時に菊地昌典さんの『歴史としてのスターリン時代』に出会いました。

――なぜソ連政治史・日ソ関係史研究者の道に進んだのですか。

富田:大学3年の時、溪内謙さんの『ソビエト政治史』を読み、スターリン主義はマルクス・レーニンの教典の解釈では説明できない、歴史研究こそが解明の道だと教えられ、4年の時、名古屋大学から東京大学に移られた先生とお目にかかって、それを確信したからです。その後、大学闘争と社会運動の10年は研究を一時断念しましたが、その間にも在野の研究者、石堂清倫さんと接し、日本共産党、ゾルゲ、満鉄への関心を強めました。そして大学に職を得た頃にペレストロイカに伴う歴史見直しをフォローし、ソ連崩壊直後からモスクワの公文書館に通い始め、まずは1930年代のソ連政治史の著作(1996年)、ついで戦前の日ソ関係史の著作(2010年)を出しました。

――今後のお仕事についても教えてください。

富田:第一に、今回手がけたがドイツ語文献をあまり利用できなかった点を反省し、独ソ戦争の、捕虜問題だけではない全体像に、ソ連時代以来の「大祖国戦争」史観を打破しつつ迫ろうと思います。第二に、前の著作『シベリア抑留者たちの戦後』を受けて、彼らの運動だけではなく生活の全体像の解明という困難な課題にも取り組みたく思います。第三は、まだ極めて少ない抑留研究の後進を育てることです。

――最後に読者へのメッセージをいただけますか。

富田:抑留が約60万の軍人・軍属、60万超の民間人にかかわる国民的経験だったこと、親族や友人を辿れば必らず抑留体験者やお子さん、お孫さんに当たることを踏まえ、抑留体験を記録し、伝承する事業に加わっていただきたい。具体的には、抑留体験者の遺品の保存、体験者にかかわる資料の厚生労働省に対する請求、体験者の日記や回想記の発掘と平和祈念資料館等への寄贈、舞鶴引揚記念館の訪問、千鳥ヶ淵での抑留犠牲者追悼式典(毎年8月23日)への参加、教育関係者は平和教育に抑留問題を取り入れることなどが挙げられます。

富田武(とみた・たけし)

1945年福島県生まれ。71年東京大学法学部卒業、81年同大学院社会学研究科博士課程満期退学。88年成蹊大学法学部助教授、91年より同教授。2014年より成蹊大学名誉教授。専攻はソ連政治史、日ソ関係史。著書に『スターリニズムの統治構造』『戦間期の日ソ関係 1917-1937』(ともに岩波書店)などがある。