2016 10/20
著者に聞く

『応仁の乱』/呉座勇一インタビュー

応仁の乱なんて聞いたことがない、という日本人はまずいないだろう。室町幕府の衰退を決定づけ、戦国時代の扉を開いたとされるこの大乱をめぐって近年、新説が登場し、学界でも議論が高まっているという。『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』を著した呉座勇一さんに話を聞いた。

──8代将軍の足利義政には息子がなく、弟の義視(よしみ)を後継者にしたところ、義政の妻である日野富子が男児(のちの9代将軍義尚)を出産。富子は我が子を将軍にしようと画策して乱を引き起こした、などとも言われます。

呉座:かつては日野富子悪女説が有力でしたが、最近は富子の関与はかなり限定的だったと考えられています。足利義政が無能だったからという見方も単純すぎます。銀閣造営など文化事業にしか興味がなかった人と見られがちですが、義政の実際の行動を見ていくと、将軍としての自覚を持って政治に取り組んでいたことがわかります。応仁の乱に関しても、戦争を終わらせようと努力をしている。でも、そうした努力は実を結びませんでした。やることなすことタイミングが悪いんです。

――歴史上の人物で義政と似たタイプはいますか。幕末の将軍、徳川慶喜あたりでしょうか。

呉座:そうかもしれませんね。毛並みがよくて、頭もいいのに、優柔不断な上にムラ気がある。すぐ決断したり、もっと粘ったりしていればうまくいったはずなのに、と思える場面が少なくない。そういう意味では、戦前昭和に3度も首相になった近衛文麿は、足利義政と似通っている気がします。

――今回の執筆で苦労した点は。

呉座:まず、乱の背景として、当時の社会がどうだったかをわかりやすく書こうと考えました。他方で、あまり図式的でなく、なるべく正確に解説したいとも思うわけです。実際の歴史的事実は複雑なので、どうすれば読者に理解してもらえるか悩みました。登場人物もだいぶ減らしたつもりなんですが……。

――巻末の人名索引を数えてみると、登場人物は約300人です。

呉座:え、そんなに。100人ぐらいかと思ってました。今回、おもな舞台を大和国(現在の奈良県)に限定して叙述したのですが、全国のあちこちで東軍方と西軍方に分かれて戦っているのを数え上げたら、1000人ぐらいまで膨らんでしまうかもしれません。

――数多い登場人物の中でとりわけ印象深い人物はいますか。

呉座:武将なら畠山義就(よしひろ)でしょうか。畠山家(将軍補佐の管領を出す三家の一つ)の家督をめぐって従弟の政長と熾烈な争いを繰り広げ、応仁の乱の発端をつくったと言っていいと思います。東軍の総大将の細川勝元はごく真面目な人です。それに比べて西軍の総大将の山名宗全は、個性的で型破りと言われることが多い。でもそれにしたって、幕府を牛耳って権力を行使しようという発想なんです。ところが畠山義就は幕府なんかどうでもよくて、実力主義で自分の独立王国をつくってしまおうと考えた。戦国大名の先駆けと言っていい人物かもしれません。

――ところで、今回の執筆に関して印象に残っていることはありますか。

呉座:これまでずっと東京暮らしだったのですが、本が発売になる10月から日文研(国際日本文化研究センター)の専任ポストにつき、京都に住むことが決まりました。もし数年前から京都に住んでいれば、応仁の乱ゆかりの史跡をもっと見て回れたかもしれません。

――今後取り組みたいテーマがありましたら。

呉座:職場環境も変わりますし、まだ具体的な構想はないのですが……。今回応仁の乱を書き、中世をかなり下ってきてしまった感じがしていて、時代としてはもっと前に戻ることになると思います。

――ご活躍に期待しています。今日はありがとうございました。

呉座勇一(ござ・ゆういち)

国際日本文化研究センター助教。1980年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は日本中世史。『戦争の日本中世史』で角川財団学芸賞を受賞。他の著書に『一揆の原理』『日本中世の領主一揆』など。