2024 11/13
著者に聞く

『ジェンダー格差』/牧野百恵インタビュー

バングラデシュ北東部、農村での調査時(2018年9月)

 『ジェンダー格差 実証経済学は何を語るか』 (2023年8月刊)は、近年特に注目を浴びる、歴史・文化・社会的に作られる男女の差異=ジェンダー格差について、実証経済学の研究の成果から問うたものだ。世界での数多くの研究を紹介しつつ、その知見・成果を通して、格差による影響、解消後の可能性について描いている。
刊行後、『朝日新聞』『日経新聞』『東洋経済』などの書評で大きく取り上げられた。また、発売直後に男女間格差を研究するクラウディア・ゴールディン(ハーバード大学教授)がノーベル経済学賞を受賞。本書でもゴールディンの研究を紹介しているが、こうした研究に時代の風が吹いている。
この本は版を重ね、このたび2024年度のサントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞し、学術的にも高く評価された。
今回あらためて著者・牧野百恵さんに、この本について、またこれまで歩んできた道についてうかがった。

――刊行後の反響はいかがでしょうか。

刊行直後はこんなものかな、という感じでした。
私が所属するアジ研(アジア経済研究所)は途上国の研究をしている機関で、よくも悪くも浮世離れしており、あまり直接的な感想が耳に入ってこなかったというのもあります。

が、刊行直後10月、ゴールディンのノーベル経済学賞受賞が決定したことをきっかけに、棚ぼた状態で本書も注目を集めることになりました。私は彼女の労働経済学分野の研究についてはかなり馴染みがあり、本書でも紹介していましたが、経済史分野についてはほとんど素人でした。ですので、労働経済学分野で多く共著のあるラリー・カッツとの共同受賞じゃないんだ……というのが、彼女の単独受賞の報を聞いたときの一番初めの感想だったくらいです。

いずれにしても、多くの方に読んでいただくきっかけとなったことは、本当に運がよかったとしかいいようがありません。経済学を専門としない人びとに広くその実証研究の知見を伝えたいというのがもともとの執筆動機でしたので、多くの方に感想をいただけたことは、大変嬉しく思います。

――刊行から1年ほどを経て、今年度のサントリー学芸賞受賞の一報を聞いて、どのように思われましたか。

一報を聞いたときは、返事の声が震えました。光栄ですとしかお返事できなかったと思いますが。しばらくは本当に浮いているようで、足が地に着かないとはまさにこのことだと実感しました。

――そもそもなぜ「ジェンダー格差」をテーマに選んだのでしょうか。

本書「はじめに」でも書きましたが、私はジェンダーの専門家ではありません。開発ミクロ経済学の実証研究が専門で、ただジェンダー格差にまつわる事象を研究テーマにしているというだけです。

研究では、主に南アジアに赴いて、貧困女性を対象に家計調査やフィールド実験などを実施していますが、同時に数多くの学術論文を読みます。英文の経済学トップジャーナルには、近年、ジェンダー格差にまつわる実証研究が多く発表されています。

いずれもとても面白く、日本の経済学を専門にしない読者の方々にも広くこの最新の知見を知ってもらいたい。ただ、経済学の論文は数学や統計学の知識がないと読めないものが多く、しかも英文なので、経済学者が紹介しなければ世に知ってもらえない、と思ったのが執筆の動機です。

――この本は「ジェンダー格差」について、その問題を声高に主張するのではなく、数学や統計学を利用した最新の実証経済学研究から、格差が生み出す問題を提示しようとしています。その意図は何でしょうか。

ジェンダーの専門家ではないので、詳しいことは分かりませんが、日本のジェンダーにまつわる議論は、「こうするべき」「こうあるべき」という信念のぶつかり合いのようなイメージを持っていました。

信念については、他人からとやかく言われる筋合いはないので、反証もできず、議論がかみ合わないことも多いのではないでしょうか。議論がかみ合わなければ建設的な意見には発展しませんし、問題は解決しないだろうと思っていました。

昨今、ジェンダー平等の理念自体に反対することは難しいので、それに関連していればよいといった、あまり解決に結び付くのかどうかを深く考えられていないような対策も多いと思います。

また、とくに日本のジェンダーにまつわる政策意思決定は、少子化対策を含め思いつきにみえる部分が大きい。よいアイデアにみえるだけで民間企業の企画のように採用されているのではないでしょうか。政策の場合は、多額の税金が投じられているわけなので、本当に効果があるのか、もっと真面目に議論されなければならないのに。思いつきの政策決定は、ジェンダーに限らず政策全般にいえることだと思いますけど。

経済学の実証研究で示すエビデンスは、○○の結果が△△につながったのかつながらなかったのか、答えはどちらかですし、かなり厳格に検証されたものが多く、さらに反証の余地もある。なので説得力も大きいと思っています。

――この本で特に読んでもらいたい章や事例を教えて下さい。

とくに知ってもらいたい実証研究の事例は2つあります。
一つは、クォータ制(女性枠)導入の効果です。クォータ制導入に反対する主な意見は、実力がない女性を優先的に登用することになり全体のクオリティ低下につながる、や「逆差別」だという批判があります。またクォータ制なしでポストを勝ち取った女性にとっては、制度導入によって自分まで下駄を履かせてもらったように思われるのが我慢ならないかもしれません。

クォータ制導入の効果については、実証的にはっきりしたコンセンサスはありません。しかし、ラボ実験では、クォータ制導入によって、今まで対男性だったときには競争に参加しようと思わなかった、しかし質の高い女性たちが挑戦し出すため、全体的な質の低下にはつながらないという結果が出ています。また現実社会のデータを使った研究でも、政治の分野に限ってみると、女性枠を導入しても、議員全体の質が下がらないどころか、有能でない男性議員の排除につながる、といった結果がみられます。

もう一つは育児休業制度導入の効果です。育児休業制度導入により、女性は実際に育児に専念したが、男性は形だけは育児休暇を取ったものの、実際は自身の業績を上げることに専念した結果、その後のキャリア形成や所得にかえって男女格差が広がってしまったという結果です。

興味深いことに、育児休暇をたまたま取ることのできた男性は、たまたま制度の恩恵に預かれなかった男性と比べても有利な立場に立ったようです。よかれと思って導入した制度が意図しなかった結果をもたらしてしまったことの例です。

翻って制度だけは最高水準である日本の育児休業制度をみると、今年は男性の育児休業がはじめて30%に達したと騒がれました。ところが中身をみると、40%弱の男性は2週間も取っていない。もちろん、まったく取らないよりは取ったほうがいいでしょう。しかし、2週間の育児休業を取ったところで、妻の家事労働の負担や将来のキャリアや所得にプラスの効果はあるでしょうか。たかだか2週間で育児をした気になってドヤ顔をされるよりは、いっそのこと潔く取らない方がマシ、と考える妻がいてもおかしくない気がします。

――この本で最も伝えたかったことは何でしょうか。

思い込みや規範のもたらす影響力の大きさ、しかもそれが定量的に実証されているということです。具体的には、親や教師がもつ思い込みの影響力の大きさです。

例えば、先のクォータ制のところで少し触れましたが、女性は対男性の競争のときには参戦したがらないようです。競争を嫌うというのは生まれつきの性質なのでしょうか。経済学の実証研究では、競争心は生まれつき決まっているわけではなく、周りの環境によってかたち作られることが分かりつつあります。

親や教師が無意識のうちに、男子に競争を強いて、女子にはむしろ避けるように促す、その結果競争心に差が生まれ、将来の所得格差にまでつながっていることが示されています。長い間の生育環境ですでに格差が生まれ、女性が不利な立場に立たされていることに鑑みれば、競争しない女性が悪い、女性枠に対する「逆差別」といった批判は、あまりに視野が狭いことも分かります。

――牧野さんは、実際のご専門は南アジアを対象とした開発ミクロ経済学であり、ふだんの執筆は英語での論文です。さらには、今回初の単著でした。一冊書き上げるまでハードルはとても高かったと思います。執筆するうえで、苦労されたのはどういった所でしょうか。

初稿ドラフトを書くこと自体は、楽しくて時間を忘れるほどでした。多分アドレナリンが相当出ていたのだと思います。中公の担当編集者とのあいだには、フリー編集者の勝康裕さんに入っていただいたのですが、勝さんにそのドラフトをみていただき、担当編集者につないでもらって初稿を提出しました。そこまでは、正直何の苦労もなかったです。苦労ではないですけど、止まってしまったのは、初稿を提出してからです。

――何か参考にしたり、意識した作品はありましたか。

中室牧子さんの『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年)と山口慎太郎さんの『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書、 2019年)のように、経済学を専門としない読者を対象にわかりやすい記述で実証研究を紹介したい、経済学の面白さを伝えたいということは常に意識していました。

――このご本では、ミクロ経済学が導き出した厳密なエビデンス(証明)を提示するために、「因果推論」について熱心に述べている所があります。担当編集者は、特に因果推論について一般読者には難しいと喧々言っていましたが、この点について、どう思われましたか。また、どのように工夫をして、読者に伝えようとしましたか。

担当編集者には、初稿を本当に丁寧に読んでいただき、「因果推論」に関するマニアックな説明は要らない、といった指摘をいただきました。おそらく世間一般でいう「エビデンス」は単に客観的データを示すことだと思われているようですが、実証経済学でいうエビデンスとは、そうではなく、統計学を使って因果関係を厳密に示すことである。それを読者に伝えたい、そのために本書を書きました、ということを何度か担当編集者に伝えました。

ここはどうしても削れない、いや削ってほしい、といったやり取りを何回かしているうちに、何だか進んでいない気がしてきたので、アジ研のOBであり、同年3月に中公新書『入門開発経済学』を刊行された立命館アジア太平洋大学の山形辰史さんに相談しました。山形さんの一言「本は出版社のものだから」ということが妙に腑に落ちました。中公の場合は、初版部数を決めたらその全リスクは出版社が負うわけですし。自分のこだわりがどうでもよくなってきて、それ以降は基本的に担当編集者の要請に応え、あまり抵抗はしなかったように思います。といっても私が抵抗しなかったと思っているだけで、担当編集者はそうは思っていないかもしれません。

いずれにしても私の主観では抵抗止めでしたので、エビデンスとは、単に客観的データを示すことではない、統計学を使って因果関係を厳密に示すことだという私の主張をわかっていただいたのかどうか、ということはうやむやになってしまいました。その気持ち=「編集者とわかり合えたかどうかが分からない」が後日、PIVOTの竹下隆一郎さんと大阪大学の安田洋祐さんと「Extreme Economics」という番組でご一緒したときについ出てしまいました。

ところで、その後幸運にも注目を浴びることになり、経済学を専門としない読者にも広く読んでいただけたのは、私ではなく、可能な限り平易な表現に近づけたいという担当編集者の強い思いと工夫のおかげです。本当に感謝しかありません。

――そもそもなぜ研究者を目指したのでしょうか。

もともとは研究者になるつもりはありませんでした。タフツ大学フレッチャースクールで最初の修士号をとっていますが、卒業後は国際機関に就職する人が多いです。自分もそのつもりで、修士1年と2年の間の夏休みに、ラオスに3ヵ月住んで国連食糧農業機関(FAO)でインターンをしたことが、転機の最初のきっかけです。

ラオスでは、畜産、園芸や経済の専門家にくっついてフィールドに出張に行く機会があり、それは本当に楽しかったです。彼らは、FAOの常勤職員ではなく、短期専門家、多くは大学を退職された研究者でした。

その一方で、首都ビエンチャンのFAOオフィスでの仕事は正直本当につまらなく、行政職、いわゆるゼネラリストという仕事が好きでなく、向いていないなと実感しました。心から楽しんでやりたいことをやるためには、フィールドに行く専門家のようにスペシャリストになるしかない、それが研究者になろうと思ったきっかけです。

――大学は法学部ですが、なぜ研究は経済学に移行したのですか。

移行というのはおそらく正しくなく、最初から法学を学んでいない気がします。日本では、早くも高校3年生の時点で何学部を受験するというのを決めますよね。そんなに早い時点で将来やりたいことが明確に見えている子は少ないと思いますし、その制度自体どうかと今になっては思いますけど。その時点では将来弁護士になりたいと思っていましたので、何の疑問もなく文科一類を受験し進学しました。

中高生の頃の私は、女性でも将来経済的に自立したい、そのためには資格を取ることが必要不可欠という思い込みが強く、弁護士資格をとるという程度の理由で法学部を選びました。

東大では、最初の2年は駒場で教養学部に所属し、専攻にそれほど関わらず好きな科目を学べます。教養科目は楽しかったのですが、いざ専門が始まると、選んだ動機が上述のように安直だったこともあり、法律科目がつまらなくて仕方がない。そこで初めて自分の人生これでいいのかと本気で悩みました。

悩みすぎて1年休学し、知り合いを頼って渡仏して働いていたほどです。海外で働いたことで、自分一人だったら何をやっても生きていける、別に資格を取る必要はないということにやっと気づいたんですね。復学後は、卒業できるぎりぎりの専門科目は法学部で履修しましたが、あとはめいっぱい他学部で学びました。復学の時点で、すでに卒業後に国際機関への就職が強い大学院への進学を目指していましたので、法学部は単に卒業しただけ、というのが正しいです。

最終的に開発経済学を専門としたのは、先に述べましたラオスでのインターンがきっかけです。当時(23年前)のラオスは最も高い建物が6階建てと大変な後進国で、首都から離れた農村に行けば圧倒的な貧困を目の当たりにしました。ゲストハウスも一泊2ドル、お湯は出ない、食堂らしきところに寄っても出す食べ物がなく、こちらが農家からもらったばかりのパイナップルを提供して切って出してもらったこともありました。

また、北部山岳地帯、ケシ(アヘン原料)の栽培地域にも行きました。栽培地域では、識字率も低いので、子どもが高熱を出して苦しい思いをしているときに、親が鎮静効果を期待して先のことを理解できないままアヘンを与える、その子どもが成人になる頃にはすでに中毒状態、といった悲惨な現状を目の当たりにしました。

そのような現状を何とか改善するための専門的な力をつけたい、貧しいフィールドでそう思いましたので、開発経済学を志したことは自然であったように思います。そこまでに紆余曲折はありましたが、その興味が今でも続いている、そんな感じです。

――幼い頃から、牧野さんが女性であることによって、実際に不利益を被ったと感じる体験はありましたか。

私自身は周りの方々に恵まれ、直接にそれほどの不利益を被ったことはありません。が、ただ運がよかっただけで、自分が見聞きする不条理には本当に腹立たしく思うことがたくさんあります。

私自身は今現在中学生の娘が生まれてからずっと二人暮らしで、私が家事や子育てをするしかないのでそこに不条理はありません。しかし、例えば私の弟(共働き)が子どものおむつを替えているのをみて、父が「えらいな~」と本気で感心しているのをみると、「親なんだから当たり前、むしろなぜ母親だけが子どもの世話するのが当然と思われているのか」とイラっとします。

そういった身近なことでいちいちイラっとしているので、たとえば日本のシングルマザーは、先進国のなかでもっとも働いているのにもっとも貧しいといったことを示唆するデータをみると本当に腹が立ちます。日本では、妻が夫に経済的に依存するしかないという仕組みが制度上も温存されていることの裏返しですから。

とはいえ、私の世代の地方出身の女子は、そもそも18歳で東京で一人暮らしといったことを許してもらえないことも珍しくなかったので、私の両親が、私の進みたい道、さらに子どもが生まれてからも、遠方から全面的にサポートしてくれたことは、本当に恵まれていたと思います。地方出身の女子というだけで、現在でも、すでに不利な競争環境に置かれていることはよく知られていますよね。

日本にいたのは学部時代だけで、不利益な扱いが顕在化しそうな修士以降の学生経験はすべてアメリカです。なので日本と比べることはできませんが、特に男性、女性を意識しなかったというのが正しい気がします。

アジ研に就職してからは、おそらくアジ研は日本でもっとも女性の立場が強い組織の一つだと自負していますので、イヤな経験はしていないです。ただそれも、アジ研が最初から当たり前にそうだったわけではなく、先輩の女性研究者が一つ一つ問題視し、声を上げて改善してきた結果です。
以前は、女性研究者と男性研究者では、椅子のグレードが違うといった差別もあったと聞きました。その後客員研究員として滞在したポピュレーション・カウンシルでは、ニューヨークという土地柄か、男性女性だけでなく、LGBTQを含めた様々な性のあり方やこれまでの私自身の思い込みを再考させられる機会に恵まれました。

私自身がフィールド調査で赴く南アジアには、日本の女性が直面しているのとはレベルの違う不条理なジェンダー格差が存在しています。ただ、研究者としてフィールドに入る私がイヤな目に遭ったことはありません。南アジアは確かにジェンダー格差が大きいですが、それ以上にカーストなど身分の格差も大きい。外国からの客人である私は、ものすごい歓待を受けますので、イヤな思いをすることはまずありません。
むしろ、自身の研究のためには、女性への聞き取り調査といったことも不可欠ですので、私が女性であることでかえって有利であったことの方が多いような気がします。もちろんこれは、女性であるからこそ遭うかもしれない被害を防ぐ手立てをとってからの話で、何も準備をせずに行ってもイヤな目に遭わないという意味ではありません。

ただ、研究者として直接イヤな扱いを受けた覚えはないとはいえ、女性というだけですでに平等な競争環境にいないことは実感してきました。たとえば、私のために毎日の食事の世話やら子育てをしてくれる人はいないので、その無償の世話を自分でしている時間は研究活動ができないわけですよね。

今の若い研究者たちは、男性もずいぶんと家庭責任を負っているようですが、私の世代以上では、家に帰れば食事の用意やら代わりの子育てをしてくれる誰かがいる、その心配すらしなくていいという男性研究者も多いのではないかと思います。要するに同じ競争環境にいない。できることなら、私も上げ膳据え膳でお世話してもらいたいですよ。

そもそも平等な競争環境にいないのに、たとえばクォータ制を「逆差別」だなどと批判するのは、視野が狭すぎる。その背景にある差別的な現状、たとえば家事労働時間の男女格差が先進国のうち最大といったことはデータをみるだけでも明らかですが、そういったことを認識できていない気がします。

――牧野さんは米国で修士・博士と学位を取り、米国での留学も長かった。ジェンダー問題についての認識は、日米で大きな「格差」があると考える人が多いと思います。この点については、体験からどのように認識していますか。

本書でも述べましたが、アメリカは先進国のなかではジェンダー平等が進んでいるわけでも遅れているわけでもない、北欧諸国と日本の中間くらいにある国だと思います。アメリカですらそれほど現状を誇れるわけでもないなかで、とくに日米で大きな格差があるのは、男女家事労働時間の差でしょう。

アメリカの格差(男性に対する女性の家事労働時間)1.5倍に対し、日本は5倍、男性同士で比べても、アメリカ男性が、家事や育児に費やす時間は日本男性より3倍長く、積極的に関わっている男性も多い。またそれが、現在では高所得の女性ほど子どもを産む現象につながっていると示されています。

――ジェンダー格差をなくすためには、何が最も重要だと思われますか。

本書でいちばん伝えたかったメッセージ(=思い込みや規範がジェンダー格差にもたらす影響力の大きさ)のとおり、ジェンダー格差は生まれつきの生物学的な性差ではなく、社会や文化がかたち作ってきた格差です。究極的には「男性はこうあるべき、女性はこうあるべき」という人びとの思い込みや社会規範が変わることが重要ですが、それは一朝一夕にはいきません。が、こういった思いを共有する人が増えれば、社会は確実に変わっていきます。本書が、その変化のスピードが少しでも速くなる助けとなれば嬉しいです。

――影響を受けた研究者や作家、映画や書籍があればお聞かせ下さい。

博士課程のときの指導教官であり、カリフォルニア大学サンタバーバラ校のシェリー・ランドバーグは、私のロールモデルです。研究はもとより、人格が優れ、メンタルも強靭な彼女のような研究者になりたいとずっと思っています。また、開発経済学者としてフィールドに向き合う姿勢について、アジ研OBである一橋大学の黒崎卓さんを、アジ研に入ったころからお手本にしてきました。

――次回作にはどういったことを考えていますか

自分の専門である開発ミクロ経済学の実証研究、テーマについては、南アジアの結婚市場にまつわる慣習(ダウリーなど)、南アジアや中東・北アフリカ諸国の女性の労働参加率の低さ、児童婚(18歳未満の結婚)や若年妊娠、性選択的中絶、それによる歪んだ性比などについて書いてみたいと思いますが、マニアックすぎて書籍の需要はないかもしれません。

現在は、もう少し日本の社会に貢献できるよう、アジ研OBでGRIPSの高橋和志さん、上智大学の樋口裕城さんたちと開発経済学の教科書(有斐閣から2026年刊行予定)を書いているところです。

――これから追っていきたいテーマについて聞かせて下さい。

社会規範は、南アジアの女性たちが置かれている不条理な現状や抱える諸問題にも大きく関わっています。経済学の実証研究では、最近、社会規範がいかにして変わっていくかを扱ったものが出てきています。

たとえば、イギリスをルーツにもつ人びとの間で、従来タブー視されていた家族計画や避妊というコンセプトが、何をきっかけに大きく変わったかを実証した研究があります。規範の変化にはそれなりの時間がかかります。これから規範が実際に変わるところを見てみたい、たとえばバングラデシュの児童婚の規範がなくなるところを、自分が死ぬまでに見てみたいと思います。

牧野百恵(まきの・ももえ)

1975年愛知県生まれ.99年東京大学法学部卒業,2002年タフツ大学フレッチャースクール国際関係修士課程修了,同年アジア経済研究所入所.11年ワシントン大学経済学部博士課程修了,Ph.D.(経済学).在ニューヨーク,ポピュレーション・カウンシル客員研究員を経て現在、アジア経済研究所開発研究センター主任研究員.専攻/開発ミクロ経済学,人口経済学,家族の経済学.
共著に『コロナ禍の途上国と世界の変容』(日経BP / 日本経済新聞出版,2021年).
主要論文に“Dowry in the Absence of the Legal Protection of Women’s Inheritance Rights,” Review of Economics of the Household 17, issue 1(2019): 287-321. “Marriage, Dowry, and Women’s Status in Rural Punjab, Pakistan,” Journal of Population Economics 32, issue 3(2019): 769-797. “Labor Market Information and Parental Attitudes toward Women Working Outside the Home: Experimental Evidence from Rural Pakistan,” Economic Development and Cultural Change 72, issue 3 (2024): 1041-1067.