- 2024 09/30
- 特別企画
はじめに
「果物が日本を動かしてきたなんて、そんなわけない!」と思うのは自然な感覚だ。
食べ物は一国の運命をも左右する存在である。たとえば、「主食」にあたる作物はその国の歴史にいとも簡単に影響を及ぼす。小麦が穫れる穀倉地帯をめぐっては、いつの世も争いが生まれてきた。古く栄えた四大文明でさえ、大河近くに発展した理由は、そこに「食べ物」を豊富に育てることができる土壌があったからといえる。日本においては米が不足するたびに打ちこわしや百姓一揆、米騒動が起こり、誇張でもなんでもなく政治が傾いた。
このように「食べ物」に少し注目してみるだけで、「食と歴史」というのは切っても切れない関係にあることがわかる。理由は「食と政治」も密接に結び付いているからだ。TPPによる輸入自由化や関税撤廃等に関する熾烈な議論が、今なお行われているのもそうだし、持続可能な農業の実現がSDGsの各目標に直結しているのも一例だ。
それこそ金融やエネルギーなんかよりも、よっぽど「食」の問題が政治に影響を及ぼしている。にもかかわらず、ふだん私たちは「食」についてあまり意識しないで過ごしている。
「食」の歴史や地域、作物の品種について知るということは、単に食べ物に詳しくなるだけではない。私たちがこれまで「常識」として教わってきた歴史や政治を、まったく別の角度から見ることにまでつながるのだ。これがたまらなく刺激的で興味深い。
私の専門は農作物や食品である。だからこそ、品種をとりまく問題や安全性の問題、また食料自給率など日本が抱える課題について論じたい気持ちもある。ただそれ以上に、これらの専門性から外れた領域にも知る価値のあるエピソードがたくさんあり、これを伝えたいのだ。
さて、肝心の「果物」ではどうだろうか。嗜好品の立ち位置では、さすがに主食のように国の歴史や運命に影響を与えるようなことはないと思う人がほとんどだろう。
ところがまったくそうではない。むしろ「果物」のほうが、歴史との関わりという点では知れば知るほどおもしろい世界に誘ってくれる。
というのも、果物は私たちの主食ではない分、「贈答品」としての価値が非常に高いからだ。 来賓をもてなす食事の最後には、必ずといっていいほど果物が提供される。まして果物は主要作物と比べて品種の特徴や地域の特色を打ち出しやすい。つまりその地域や国の印象を大きく左右する力を持っているのだ。
事実、明治の人は果物を富国の源泉と評した。
「山形県の特産物は?」と聞かれれば、多くの人がサクランボや「ラ・フランス」を挙げるのではないだろうか。しかし山形には日本五大和牛に数えられる米沢牛があり、米でいえば「つや姫」という人気品種がある。でもこのとおり、実際には果物のほうが強く印象に残っている。
甘いものを誰かと一緒に食べるとき、私たちはなぜか気を許しあう。これは、国賓や世界的なVIPを招くような重要な会議や行事においても変わらない。最高の果物が振る舞われ、そのおいしさに魅了されれば話も弾むばかりか距離も縮まり、また暗に国力を誇示する役割も担う。つまり、果物というのは「重要な場面」で活躍するという極めて特徴的な性質を持った食べ物なのである。
特に日本の果物はおいしいことで知られている。四季があり南北に長い日本列島の形状のおかげだ。しかし残念ながら、近年の経済不況も手伝って、果物が私たちの食卓に並ぶ機会は減少の一途をたどっている。と同時に、果物についてよく知る人まで少なくなってしまった。
世界で類を見ないほど品種数が豊富で高品質な日本の果物。それゆえ日本の歴史にも影響を及ぼしてきた。なかには明らかに「果物が日本の歴史を変えた」と言える場面すら存在する。
本書では、柑橘類、柿、ブドウ、イチゴ、メロン、モモの6つの果物について取り上げ、これらが日本でどのような背景のもとで生産されるようになり、人と社会に影響を与えてきたのかを紹介する。
これまで果物というと、「どれがおいしい」「これは安全でこれは危険」などという話ばかりが先行してきたが、歴史との関わりは、食に関心のある人にとっても新鮮に映るだろう。逆に歴史好きの人ならば、「果物」という切り口で歴史を眺め直す楽しさを発見できるはずだ。その感覚を存分に味わってほしい。逆に、果物にそこまで関心がないという人には、まさに「私たちの生活に根づいた話」として、本書の気になったところだけでも覗いてみてほしい。
何であれ、新たな魅力に気づいてしまうと一気に親近感が増す。食べ物の場合には、そんな歴史があったのかと知るだけで急においしく感じられるようになるから不思議だ。
食生活が豊かになれば人生まで豊かになるもの。
果物を心でも味わい、あなたの食の時間がより鮮やかに彩られますように。