2024 01/30
著者に聞く

『日本インテリジェンス史』/小谷賢インタビュー

ドイツのエニグマ暗号機(著者撮影)

インテリジェンス(情報分析や防諜活動)への関心が高まり、TBS日曜劇場『VIVANT』でも日本の情報機関「別班」が話題になりました。そのなかで、戦後日本の情報機関の全体像を描いた『日本インテリジェンス史』(2022年8月刊行)が好評を博しています。著者の小谷賢さんに、執筆の背景を伺いました。

――『日本インテリジェンス史』は発売して1年が経ち、版を重ねて広がりを見せています。本書の反響をどのように感じていますか。

小谷:本書はこれまで顧みられることのなかった、戦後日本のインテリジェンスの歴史について綴ったものですが、学術的に手堅く書きましたので、一般の読者層からはあまり受けないんじゃないかと予想していました。ただ光栄にも色々な媒体で取り上げていただき、この分野への関心の高まりも感じています。その結果、何とか5刷までたどり着くことができ、筆者としてはとても嬉しいです。おそらく仰る通り、ドラマの影響も大きかったと思います。

――本書は、終戦直後から現代まで、日本のインテリジェンス機関の変遷を一望した通史です。どのように思索を深め、書き上げられたのでしょうか。

小谷:戦後から現代に連なる日本のインテリジェンス体制については、私が『日本軍のインテリジェンス』を発表した2007年頃から関心を持っておりました。同書の「あとがき」にも記したのですが、現代のことを調べるにも、その前提となる歴史的経緯がわからない、という有様でしたので、まずは資料が比較的残っている戦前の日本のインテリジェンスを調べることから始めたわけです。戦前のことがわかると、戦後はどの程度戦前の体制を受け継いだのかとか、相違点とか、そういったものが見えてきますので、終戦直後については大体理解できました。

21世紀の日本のインテリジェンスについては、実務者や政治家の方々から散々インタビューさせてもらいましたので、そちらも全体像はおぼろげながら見えていました。一番困ったのは冷戦期でして、資料も残っていなければ、実務家からの聞き取りもできない、という有様で、こちらは国会議事録や新聞報道に頼らざるを得なかったです。ですので現在は、冷戦期に残された各省庁のインテリジェンス資料を収集することに注力しています。

――小谷先生がインテリジェンスを研究テーマに選んだ理由をお聞かせください。また、長年お取り組みになる中で、「インテリジェンス研究は面白い!」と感じるところはどこでしょうか。

英国公文書館(著者撮影)

小谷:インテリジェンス研究に目覚めたのは、英国に留学した時です。外交・安全保障政策や戦争における情報が大事、というのは漠然と理解はしていたのですが、実際にロンドン大学院の授業では、インテリジェンスに特化した授業やゼミがあり、このような切り口があるのか、と感心したのを覚えています。もう24年も前のことですね。さらに当時、英国政府が第二次世界大戦中のインテリジェンス資料を一斉に公開したこともあって、それらを使って、太平洋戦争をインテリジェンスの観点から分析できないか、と思ったのが研究の始まりです。

ただ資料が膨大で、読むだけで1年以上を費やしてしまいましたが、それでも資料を読み進めていくと、当時のチャーチル首相がインテリジェンスを根拠に政策を決定していく様子が浮かび上がってきたのです。それまで政治外交史の分野では、推論でしかなかった説が、インテリジェンスという資料の裏付けを持って論じることができるようになったことは、衝撃的な体験でした。

日本ではインテリジェンス研究は低調ですが、逆に言えばその分野は誰も手を付けていない未開拓の分野でもあるということです。私は性格的に、新しい分野に切り込むのが好きですので、誰もやっていないならやってみよう、という発想で今日まで続けてきました。流石に最近では、インテリジェンス研究も市民権を得てきたとは思いますが。

――本書を刊行したあとの社会や国際情勢をどのようにご覧になっていますか。また、日本はインテリジェンス機関をどのように発展させていくべきでしょうか。

英国情報機関のインテリジェンス資料(著者撮影)

小谷:本書はロシアによるウクライナ侵攻の年に発刊されました。ウクライナ戦争においては、欧米諸国がロシアに関するインテリジェンスを提供することで、ウクライナ軍は強大なロシア軍に対して互角に戦うことができています。そのような状況を見るとやはりインテリジェンスは重要だという認識を持ちました。

また昨年にはイスラエルとハマスの戦闘が激化し、東アジアにおいては将来、台湾有事が想定されています。つまり我々の住む世界はまだ紛争や戦争の危機に直面しているため、それを未然に防いだり、万が一の危機管理においても、インテリジェンス能力は必要不可欠となります。

戦争までいかなくとも、平時のサイバーセキュリティーや経済安全保障についても、諸外国ではインテリジェンス組織が対応しています。特にサイバーは大切だ、とされているにも関わらず、日本政府の取り組みは遅れており、欧米のみならず、北朝鮮といった国にも追い抜かれている状況です。これは「日本版CIA」のような対外情報機関を創れば解決するといった単純な問題ではありません。日本の国土や国民、さらにはサイバー空間を守り、危機に備えるために、インテリジェンスを強化し、柔軟に対応していくという基本ができていないのです。これは政府だけの問題ではなく、広く国民の間で議論されるべき問題でもあります。

――本書のように、内外のインテリジェンスを考察した書籍や論考として、ほかに興味深いものがありましたら、ぜひ紹介してください。

   映画『ミュンヘン』

小谷:戦後日本のインテリジェンスについては、本書の「あとがき」でも記したように、リチャード・サミュエルズ教授の『特務』があります。こちらは戦前の日本陸海軍から戦後の自衛隊、そして日米同盟の観点からインテリジェンスを描いたものです。TBSドラマ『VIVANT』に登場する「別班」については情報が錯綜しているのですが、一番詳しいのは別班長を務めた平城弘通氏による『日米秘密情報機関』です。ただこの本は2010年の出版にも関わらず、絶版になっていて手に入りにくいのです。

あとは映画、『007』シリーズや『ジェイソン・ボーン』のようなアクション重視のものから、『ミュンヘン』や『裏切りのサーカス』のようなストーリー重視のものもお薦めです。もちろん映画はフィクションですが、勘所を押さえてありますので、どれも全く荒唐無稽な話ではないです。日本では最近『 SPY×FAMILY』や『VIVANT』が人気ですが、こういったものもインテリジェンスの世界観を捉えています。欧米ではスパイ映画や小説はメジャーな分野で、そのような作品に触れることで、インテリジェンスを身近に感じるようになり、「将来仕事にしてみたい」という発想も生まれます。

――最後に、本書をこれから読む読者へのメッセージをお願いします。

小谷:「インテリジェンス」はハードルが高いように思うかもしれませんが、情報を集めて分析し、それを行動につなげるというのは、個人から企業、国家にも共通していることです。また最近の経済安全保障の関係で、民間企業の従業員であっても、街でロシアや中国のスパイから声を掛けられることもあり、また、サイバー攻撃を受けることも珍しくなくなってきましたので、ぜひ関心を持っていただきたいです。本書は最初から通して読まなくとも、時代ごとに章を区切ってありますので、関心のある時代から読み進められるようにもなっています。本書を読んで、インテリジェンスという分野に興味を持っていただければ幸いです。

小谷 賢(こたに・けん)

1973年京都府生まれ.立命館大学卒業、ロンドン大学キングス・カレッジ大学院修士課程修了.京都大学大学院博士課程修了.博士(人間・環境学).英国王立統合軍防衛安保問題研究所(RUSI)客員研究員,防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官,防衛大学校兼任講師などを経て,2016年より日本大学危機管理学部教授.著書『日本軍のインテリジェンス』(講談社選書メチエ,第16回山本七平賞奨励賞),『インテリジェンス』(ちくま学芸文庫),『インテリジェンスの世界史』(岩波現代全書),『日英インテリジェンス戦史』(ハヤカワ文庫NF).訳書『CIAの秘密戦争』(マーク・マゼッティ,監訳,早川書房),『特務』(リチャード・J・サミュエルズ,日本経済新聞出版).