2022 03/24
著者に聞く

『モチベーションの心理学』/鹿毛雅治インタビュー

「仕事のやる気が出ない」「子どもの学習意欲が足りない」「部下のモチベーションを上げたい」――わたしたち誰もが、「モチベーション」について毎日悩んでいます。しかし、どうすればよいか、そもそもモチベーションとは何かと考えても、なかなか把握できません。『モチベーションの心理学』を著した鹿毛雅治先生にお話を伺いました。

――本書のタイトルは「モチベーションの心理学」、サブタイトルは「「やる気」と「意欲」のメカニズム」です。そもそも「モチベーション」と「やる気」や「意欲」は同じものなのでしょうか。

鹿毛:日常生活の上では、それらの区別を意識する必要はないのですが、心理学的には異なっています。
やる気や意欲は「ないよりもある方がよい」と一般に思われているように、どちらかというとポジティブな意味を持つ言葉ですが、「モチベーション」という用語はむしろ価値中立的で、いつもプラスの意味あいがあるというわけではありません。

例えば、仕事を怠けようとする気持ちをやる気とは呼びませんが、「仕事を回避するモチベーションがある」と説明できるのです。また、虐待や殺人に対して、やる気や意欲という言葉を使うと違和感がありますが、虐待のモチベーション、殺人のモチベーションという言い方は可能です。
「やる気」と「意欲」にも微妙な違いがあります。意欲に含まれる「意」とは「意志」、つまり「やり遂げるぞ!」という強い思いを意味しているという説があります。やる気には「気」の字があることから、移ろいやすい心理状態だと解釈できます。要するに、やる気よりも意欲の方が、より持続的で安定しているというニュアンスがあるのです。これについては、あまり、心理学的な説明ではないのですが。

――上のご説明で、本書が説明する「モチベーション」というものが、私たちが想像するものよりも、もっと広い、深い概念だということがわかりました。それでは、鹿毛先生はそもそもなぜモチベーションについて研究しようと思われたのでしょうか。そのモチベーションの研究の重要性、またその研究を私たちが知ることの重要性とは、どんなものでしょうか。

鹿毛:大学時代、心理学を専攻していたのですが、自分の心にヒットする研究テーマが見つからない中で、直感的に「これだ!」と思えた唯一の概念が「内発的動機づけ」でした。
今日のモチベーション研究の第一人者であるロチェスター大学のエドワード・ディシ教授が1975年に執筆した『内発的動機づけ』という本の邦訳を、大学4年生の時に、むさぼるように読んだことを思い出します。
「自ら進んで興味を持って学ぶ」という心理現象を支える内発的動機づけという考え方に、当時、教育に関心があった自分に強いこだわりが生じて、卒論、修論、さらには博士論文の一貫した研究テーマになりました。

教師になりたくて大学に進学したということもあり、私の場合は教育に関心を持っていたわけですが、モチベーションは教育だけではなく、われわれの日常生活のすべてに関わる心理学のテーマです。人には思い込みがあって、「人間はこういうものだ」と信じ込んでそれを疑わないことが多いわけですが、心理学という学問はそのような思考停止の状態を揺さぶってくれます。
モチベーションの心理学も同様です。われわれがそれを学ぶことを通して「やる気、意欲ってこういうものだ」という、いわば、われわれが身に着けている「色眼鏡」を相対化し、人間理解を深めてくれます。
私の場合、「内発的動機づけ」以外のモチベーション理論も学ぶことを通して、「教育はこうあるべきだ」という考え方が、学生時代の強固で融通のきかない思い込みから、より柔軟で多角的、多面的な考え方へと変化していきました。自分でいうのはおかしいのですが、教育心理学者としても成長できたのではないかと感じています。

――本書で訴えたいことのうち、もっとも大きなものは何でしょうか。

鹿毛:まず、いまだに「賞罰」や「競争」への信仰が根強いという点でしょうか。
モチベーションの心理学は、その効用とともに弊害をも描いています。モチベーションの問題は単純な「ハウ・ツー」では抜本的な解決には至りません。アメとムチを使って競争をさせるとやる気が高まると思っている人は多いはずです。確かに即効性はあるように見えますが、中長期的には逆効果になることも多いのです。

「承認欲求」という言葉が流行していることも気になっています。
SNSの普及にともなって、例えば「いいね」の数に一喜一憂したり、「いいね」を増やすこと自体をねらって「インスタ映え」する写真をアップロードしたりといった現象が広く見受けられます。この種の行為は「承認欲求」に基づくモチベーションによるものだと思われますが、それが度を過ぎると精神的な不適応が生じるということもわかっています。

確かに、われわれは自分自身が価値ある存在であると自分で思えることは大切です。また、人からどう思われるかという点を気にすることも自然なことです。ただ、モチベーション研究は、その欲望が肥大化することへの警鐘も鳴らしているのです。

――終章で記された、コロナ禍にある私たちの生活についての、静かな、しかし熱量のある語りかけが印象的でした。コロナに遭遇して、モチベーションに対する鹿毛先生のお考えは変わりましたか。あるいはコロナ禍での執筆のご苦労がありましたらお教えください。

鹿毛:実は、この本を書き上げることができたのは、皮肉にもコロナ禍のお陰かもしれません。対面の仕事が減って、物事をじっくり考える時間が増えました。
例えば、朝、散歩する習慣ができたのですが、その最中に思いついたことなどをメモしたりして、執筆に活かしました。

コロナ禍は、これまでにわれわれがあまり意識することのなかった多くの大切なことに気づかせてくれたのではないでしょうか。
「終章」は、かならずしも「心理学」とはいえない内容なのですが、「達成」を自明としたモチベーション研究には、これまでもどこか違和感がありました。何気ない日常生活の基盤こそモチベーションに支えられていることに私自身が気づき、「居る意欲」「誠実さ」というキーワードで表現した次第です。恥ずかしながら、「達成」という言葉をめぐって、自分の生き方をも振り返った結果が、終章に込められているといえるかもしれません。終章について、大学の同僚の先輩からは「齢をとったね」といわれました(笑)。

――学校や企業の最前線にいる人たち、あるいはコロナ以後の社会を担う人たちに、なにかメッセージがありましたらお教えください。

鹿毛:「自分がこうだから他者もそうだろう」とわれわれは考えがちです。例えば、親や会社の上司は、自分の成功体験を他人にもあてはめて、その通りにさせることで、わが子や部下をやる気にさせようとします。
でも、自分と他者はそもそも異なる存在です。だからこそ、われわれがともによりよく生きていくために必要なのは「他者に対する想像力」だと思います。「自分はこう思うけど、あの人だったらどう感じるかな?」というようなイマジネーションを働かせるきっかけに、この本がなってくれればうれしいです。

――最後に今後のご関心についてお教えください。

鹿毛:私の専門分野は教育心理学ですので、「ウィズ・コロナ」、さらには「ポスト・コロナ」の教育のあり方に関心があります。これからの時代は、ますます「対面」による直接体験が減って、テクノロジーを媒介とした間接体験の度合いが増していくと思われます。オンライン会議を体験すれば明らかなように、ライブの場をともにしないコミュニケーションでは、情報こそ飛び交っていても、人間が固有に持っている五感を通じた感性が十全に働きません。私の場合、オンライン会議ではお互いの視線が合わないだけで、今やストレスです。
もちろん、最新のテクノロジーには、時空を超えたコミュニケーションの可能性と意義も感じます。教育のあり方も急速に変化するでしょう。教育心理学者として、コロナ禍を通じて一足飛びに出現した新たな環境の教育的な意義と問題点について、「人間を育てる」という営みの不易と流行を踏まえながら、誠実に探究していければと考えています。

鹿毛雅治(かげ・まさはる)

1964年,横浜市生まれ.1986年,横浜国立大学教育学部心理学専攻卒業,91年,慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻博士課程単位取得退学.1992年,同大学教職課程センター助手,95年,専任講師,97年,助教授をへて,2005年,教授.博士(教育学).専攻・教育心理学.
著書『教育心理学の新しいかたち』(編著,誠信書房,2005),『教育心理学(朝倉心理学講座第8巻)』(編著,朝倉書店,2006),『子どもの姿に学ぶ教師――「学ぶ意欲」と「教育的瞬間」』(教育出版,2007),『モティベーションをまなぶ12の理論――ゼロからわかる「やる気の心理学」入門!』(編著,金剛出版,2012),『学習意欲の理論――動機づけの教育心理学』(金子書房,2013),『パフォーマンスがわかる12の理論――「クリエイティヴに生きるための心理学」入門!』(編著,金剛出版,2017),『発達と学習(未来の教育を創る教職教養指針3)』(編著,2018,学文社),『授業という営み――子どもとともに「主体的に学ぶ場」を創る』(教育出版,2019)など.