2020 03/16
著者に聞く

『太閤検地』/中野等インタビュー

『太閤検地 秀吉が目指した国のかたち』は、豊臣(羽柴)秀吉が各地を征服するたび奉行を派遣して断行した検地の実態や狙いを描き出す話題作。統治権力を天下人に集約し、中央集権を成り立たせようとしたこの政策は、のちに江戸幕府の支配基盤ともなりました。この気宇壮大な政策や秀吉について、本書の著者・中野等さんにうかがっています。

――中野先生のご専門とする領域についてお教えください。

中野:日本列島の近世史です。とくにその成立期に興味があります。

――1996年刊行の最初の本(『豊臣政権の対外侵略と太閤検地』)でも、太閤検地を論じています。その当時から研究の進展としては、どのような点があるでしょうか。

中野:最初の本では九州の大名領国で実施された太閤検地を論じました。畿内やその近国を対象にして議論されていた土地制度に関わる論点ではなく、むしろ政治史的な視点からの研究でした。その意味で、本書の伏線のような意味合いを持っていると思います。

――秀吉の出自と太閤検地という政策は、関係があるように思われますか?

中野:秀吉の出自自体が明確ではないので、なんとも言えないところがありますが、既成の価値観などからはかなり自由であったようには思います。商業活動も含めた生産力を数値化するという発想は、近代的とすら評価できます。

――太閤検地がその後にもたらした影響で、特に気になっている点をお教えください。

中野:「加賀百万石」に代表されるように、地域のスケール感を石高で表すきっかけになったこと、「鉢植え」に例えられるように、石高によって大名が全国各地に所替えされるようになったことなどです。後者は日本の封建制を非常に特異なものにしたと思います。

――本書を読むと、秀吉のもとにいる奉行たちの活躍も浮かび上がってきます。たとえば、中野先生は『石田三成伝』(吉川弘文館)の著書もありますが、検地での三成の役割をどう御覧になりますか。

中野:一般的に、検地というと土地の面積を測る作業のようなイメージがあると思います。もちろんそれも一つの側面ですが、それだけではありません。大名領国の中に入り込んで、その経済力を把握しようとする訳なので、対立や軋轢も生じます。石田三成は政治的な対応力はもちろん、そうした困難な状況に対しても粘り強く事をすすめる胆力を備えた人物だと考えています。

――また、増田長盛の活動も目立つように思えます。彼についての評価もお聞かせください。

中野:関ヶ原の首謀者にされてしまったことで、石田三成の存在感が大きくなってしまいますが、同時代の史料などをみると、増田長盛も上杉領に実際に出向いて検地を担当するなど、非常に重要な役回りを担当しています。年齢も三成よりかなり年長のようであり、今後の実態究明がまたれる人物です。「秀吉を支えた奉行たち」のようなかたちで事績をまとめたいと思っています。

――今後の取り組みたいテーマについてもお聞かせください。

中野:申し上げた奉行論の関わりで外交政策や宗教・文化政策などを含め、豊臣政権期のさまざまな問題を取り上げようと思っています。その上で、豊臣政権論なり豊臣時代論なりの集大成を考えています。 

中野等(なかの・ひとし)

1958年、福岡県生まれ。1985年、九州大学大学院文学研究科博士後期課程中退。柳川古文書館学芸員、九州大学大学院比較社会文化研究院教授などを歴任。著書に『豊臣政権の海外侵略と太閤検地』(校倉書房、1996年)、『立花宗茂』(吉川弘文館〔人物叢書〕、2001年)、『秀吉の軍令と大陸侵攻』(吉川弘文館、2006年)、『筑後国主 田中吉政・忠政』(柳川市〔柳川の歴史〕、2007年)、『文禄・慶長の役』(吉川弘文館〔戦争の日本史〕、2008年)、『石田三成伝』(吉川弘文館、2017年)など。