2019 07/25
私の好きな中公新書3冊

幕末維新「側面」史/島田英明

中村豊秀『幕末武士の失業と再就職 紀州藩田辺詰与力騒動一件』
田中彰『吉田松陰 変転する人物像』
小山文雄『明治の異才 福地桜痴 忘れられた大記者』

名だたる英雄や大事件だけが歴史ではない。議論の絶えない大きなテーマの影に隠れがちな暗所に光を当てて、時代の特質を描きだす。そんなこころにくい佳篇をおおく手がけているのも、「歴史に強い」といわれる中公新書の特徴ではないか。今回、幕末維新史に関する三作を選んでみた。

中村豊秀『幕末武士の失業と再就職』は、田辺与力騒動と呼ばれる紀州藩の身分争いに注目して、家格へのこだわりから藩を抜けて流浪の旅にでた武士たちの顛末を追う。作者は小説家だが本作はフィクションではなく、しかし並の小説よりおもしろい。必ずしも内容と合致するわけではないが、刊行年(1993年)の世相を映したタイトルも感慨を誘うだろう。

田中彰『吉田松陰』は、ありふれた英雄伝と見まがう表題だが、「変転する人物像」という副題が示すように、近代日本における松陰像の変奏をたどる文化史の試みである。なかでも目を引くのは、渡海に成功した松陰の「架空の世界旅行」を描く大庭柯公の評論だろうか。北軍の雄将グラントに詩を送り、ロンドンでグラッドストンと交わる珍道中に、著者は大正期の「コスモポリタン」な思潮を読み取っている。

対して、小山文雄『明治の異才 福地桜痴』は、幕臣、文人、ジャーナリストと多様な顔をもった「忘れられた」巨人の生涯を追うすぐれた評伝である。ある時期まで福沢諭吉と盛名を競っていた人物を側面あつかいするのは失礼かもしれないが、今日その事蹟を知る人は少ないと思う。残念なのは、そんな福地の生涯をみごとに描いたこの名作まで、同様に「忘れられた」ことである。歴史の醍醐味が評伝にあることを確認できる一作でもあるので、いつか復刊してほしいものだ。

島田英明(しまだ・ひであき)

1987年生まれ。2011年、首都大学東京都市教養学部法学系卒業。17年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学大学院法学政治学研究科附属ビジネスロー・比較法政研究センター特任講師を経て、19年より九州大学法学部准教授。専攻は日本政治思想史。著書に『歴史と永遠 江戸後期の思想水脈』(岩波書店、2018年、サントリー学芸賞受賞)。