2019 05/17
著者に聞く

『老いと記憶』/増本康平インタビュー

著者によるレクチャーの光景

「加齢で得るもの、失うもの」の副題を持つ、『老いと記憶』は、高齢者心理学の立場から記憶のメカニズムをわかりやすく解説した内容が話題を呼び、版を重ねている。本書の狙いや年齢差別(エイジズム)などについて、著者の増本康平さんにうかがった。

――高齢者心理学という学問に馴染みのない人もいると思います。どのような学問でしょうか。

増本:なかなか一言では答えられない質問ですね。心理学では性格や対人関係、感情、知覚といったさまざま心的過程を研究対象にしています。本著では記憶を中心に加齢にともなう変化について触れていますが、高齢者心理学は、認知機能に限らず心理機能の加齢による変化を明らかにする学問といえます。

高齢者の心理機能に関する研究は、医療や福祉、工学の領域でも行われていますが、加齢に伴うネガティブな変化だけでなく、ポジティブな変化にも焦点をあてているのは高齢者心理学の特徴かもしれませんね。

――この研究分野に進もうと思った理由は何ですか。

増本:私が大学院の進学を決めたのは2000年だったのですが、当時から日本が超高齢社会になることはわかっていました。ですが、心理学の領域で認知機能の加齢に伴う変化について研究を行っている研究者は日本にはほとんどいませんでした。人は誰もが年をとるので高齢者を対象とした研究はニーズがあり、かつ、世の中の役に立つのではないかと思って高齢者を対象とした研究分野に進みました。

――本書にも出てくる年齢差別(エイジズム)について、お考えを教えてください。

増本:差別ということばは何か意識的に悪意を持っているという感じがしますが、意識しなくても偏見を持ってしまうことはあります。加齢について私達が受け取る情報は、記憶力が悪くなる、頭の回転が遅くなる、体の調子が悪い、病気になる、などネガティブなものがどうしても多くなります。そのような情報ばかり受け取ると、「老い」ということに対して無意識にネガティブなイメージを抱いてしまうのも仕方ないことです。

でも実際には、衰えない記憶機能や、知恵や感情のコントロールのように加齢とともにポジティブに変化する機能もあります。ですので「老いと記憶」はそのような高齢期のポジティブな側面も伝えたいと思い執筆しました。

――刊行後の反響などをお聞かせください。

中江有里さんのコメントが寄せられた帯。

増本:自分が伝えたいと思うことを素直に書かせていただいたので、読者の方がどう受け取るかは気にしていましたが、良い反応をいただけることが多くホッとしています。メディアでもたくさん取り上げていただき、驚いています。NHKの番組『ひるまえほっと』で、中江有里さんが紹介してくださったのもうれしかったです。その後、帯に中江さんのコメントを頂戴しました。まったく想像していない展開で、ありがたい限りです。

――今後のお仕事や関心あるテーマなどありますか。

増本:研究のテーマとしては、加齢にともない低下する心理機能よりも、低下しない、あるいは、加齢とともに向上する機能に関心があります。今回は記憶を中心に本をまとめましたが、感情や意思決定に加齢が及ぼす影響についても研究を進めています。身体的・認知的機能が衰え自立的な生活が困難になっても、生活の質を維持するには、自分のことは自分で決めることができる自律が重要になります。

認知機能が低下すると合理的・客観的な判断は困難になると一般的には思われているかもしれませんが、条件によっては若い人たちよりも高齢者の方が合理的な判断ができるという結果があります。現在取り組んでいる研究が最終的には、高齢期の自律的な生活や、生活の質の維持、幸福な高齢期につながるのではないかと考えています。

――最後に読者へメッセージを。

増本:年をとると一部の記憶力は衰えますが、だからといって悲観的になる必要もありません。本書にも書いたようにさまざまな方法で記憶力の低下に対処することができます。そして多くの研究は、記憶が単に情報を記録するためにあるのではなく、感情のコントロールに影響し、幸福感を高め、人生の評価の基になることを実証的に明らかにしています。

私が本の中で伝えたかったメッセージは、記憶のそのような働きが、加齢に伴い低下するのではなく、高齢期でも維持され十分に機能するということです。この本が記憶の意外な側面について知るきっかけになり、加齢に伴う記憶機能の変化についてポジティブなイメージももってもらえたら嬉しいです。

増本康平(ますもと・こうへい)

神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。1977年、大阪府生まれ。2005年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。日本学術振興会特別研究員、大阪大学大学院人間科学研究科助教、島根大学法文学部講師を経て、2011年神戸大学に着任。スタンフォード大学長寿センター客員研究員。専門分野は、高齢者心理学、認知心理学、神経心理学。著書に『エピソード記憶と行為の認知神経心理学』(ナカニシヤ出版)など。