2019 01/30
著者に聞く

『気象予報と防災―予報官の道』/永澤義嗣インタビュー

室蘭市にて(背景は白鳥大橋)

2018年を象徴する漢字が「災」であったように(日本漢字能力検定協会)、異常気象とそれに由来する災害が多発しています。気象予報の最前線で長年活躍し、中公新書『気象予報と防災―予報官の道』を刊行した永澤義嗣さんにお話を伺いました。

――本書のタイトルに「予報官の道」と付いているように、本書は気象庁予報官というあまり私たちが知らない職業について紹介しています。気象庁の予報官とは、全国に何人いて、どんな仕事をしているのでしょうか。また、いわゆる気象予報士とはどうちがうのでしょうか。

永澤:気象庁や全国の気象台で活躍している予報官の数は、全部で800人足らずです。

天気予報だけでなく、気象の解析(いまどうなっているか)・予想(これからどうなるか)や、警報(重大な災害の起こるおそれの警告)などを発表する仕事をしています。「予報官」が職名であるのに対し、「気象予報士」は民間気象会社などで気象予報の仕事をする場合に必要となる国家資格です。

――予報官の仕事のやりがい、あるいは醍醐味とはなんでしょうか。

永澤:まず、仕事の相手である気象そのものが、とても美しく、絶えず姿を変える魅力的な自然現象です。そのありのままの姿に肉迫するとき、とてつもない感動を覚えます。

そして、それを詳しく調べ、今後のふるまいを予測し、人間社会への影響を推し量り、その結論を防災気象情報という形で能動的に社会へインプットすることにより、世の中に貢献しているというやりがいと達成感を、大いに実感することができます。

――本書口絵に著者が手描きで描いた巨大な天気図がありますが、これについてお教えください。

永澤:口絵に載せた天気図の原寸はA1判(594×841ミリメートル)の大きさがあり、中国西部からハワイ諸島までの気象のようすを表しています。私はこれを眺めると、地球表面の約4分の1の気象を俯瞰して見ているような気分になります。

この天気図は、1995年の大みそか、年をまたいでの夜勤の最初の仕事として作成したものです。真冬の天気図ですが、日本海に低気圧が現れ、寒さは緩んでいます。

ただし、それは日本列島に限ってのことです。大陸の高気圧は中国奥地に中心があってあまり強くなく、バイカル湖の北やモンゴルには低気圧が現れています。小笠原近海には台風が見られます。この天気図にはいろいろな現象が混在しており、天気は場所によって異なります。

私がこの天気図を手描きで作成した当時、各地の観測データが記入された図(プロット図という)が予報官の手元に届けられるのは観測時刻の約1時間後でした。そして、予報官がそれを分析して等圧線や前線などを描き、低気圧・高気圧の中心位置と気圧、移動方向と速度を決定し、台風の予報円などを記入するのに与えられた時間が約1時間でした。つまり、口絵の天気図は、観測時刻の約2時間後にできあがった速報解析図ということになります。速報解析を担当する予報官は、必ず観測時刻の約2時間後までに天気図を仕上げなければなりません。

天気図を作成する仕事は、実は周到な準備のうえに成り立っています。すなわち、前日からの気圧配置の経過を頭に入れ、前時刻の地上・高層天気図によって大気の立体構造を理解し、気象衛星画像により直近の変化傾向を把握したうえで、本番の天気図作成に臨みます。つまり、大体のイメージは頭のなかに入っているのです。

しかし、実際の観測データが細部に至るまで想定したイメージに一致することはありえません。しかも、実際の観測データには絶対的な優位性がありますので、事前に想定したイメージを実際の観測データで修正しながら天気図を完成させていきます。

そういうわけで、予報官が天気図を描く作業は、決して機械的な単純作業ではなく、試行錯誤を繰り返しながら何度も線を描き直す根気のいる仕事です。その昔、「消しゴムは使えば使うほど、天気図は真実に近づいてゆく。」と言った人(久米庸孝)がありました。私の場合は、天気図解析当番を3日やると消しゴムが1個なくなりました。コンピュータの画面上で天気図を作成する現在では、マウスやスタイラスペンを酷使しながら線を真実に近づける作業に変わっています。

――いままでの予報官の人生で、とくに印象深いことがありましたら、お教えください。

永澤:1998年、私が東京地方の天気予報を担当していたときのことです。3月1日午前4時過ぎ、横浜の気象台から、雪が降り始めたという連絡がありました。5時過ぎ、気象庁のある東京都心でも雪が降り始めました。これは全くの想定外でした。なぜ雪が降ってきたのか、いったい何が起きているのかを考えても、そのときはわかりませんでした。その間も、雪がどんどん積もっていきます。やむなく、対症療法的に大雪注意報を発表しましたが、私にとっては完全な「負けいくさ」でした。

このとき、事前の予告なしに大雪となったことから、羽田空港は大混乱となり、多数の欠航便が出てしまいました。
事態を重く見た当時の運輸省航空局は気象庁に対し、大雪を的確に予想してもらわないと困る、とのクレームを突きつけました。私の上司は、そのときの大雪がきわめてまれな現象であり事前予測は困難であったと釈明してくれましたが、私にとっては苦い経験でした。きわめてまれではあっても、可能性のひとつとして、このようなタイプの大雪も想定に入れるべきことを私は肝に銘じました。

そのほか、本書で述べた昭和56年北海道豪雨や、2000年有珠山噴火などの経験も、私の予報官人生のなかでは印象深いものです。
また、予報官人生の終盤に、首長訪問を精力的に実施して地域防災に取り組んだことも、忘れられない貴重な思い出となっています。

――「退職までの数十年の間に、大災害をもたらす現象を一度や二度は経験する。そうした局面でいかに対処できるか、それが重要」であると本文中でお書きです。これは他の職業にも有益だと思いますが、そのような局面に対処することができるようになるためには、日頃どうすればよいでしょうか。

永澤:直面する問題の表面的なことに一喜一憂するのでなく、物事の本質を見抜き、真に対処すべき課題は何なのかを常に考える態度を身に付けることが重要です。これは、人生の危機管理ともいえるでしょう。

予報官の仕事についていえば、多くの情報のなかから重要なサインを見逃さず、これから何が起きようとしているかを国民に正しく知らせるとともに、その後の現象の推移を追跡して続報を国民に確実に届ける必要があります。

予報官は予報作業の最前線におりますが、仕事に忙殺されて「渦中の人」になるのではなく、局面を冷静に判断して先手を打たなければなりません。

――最後に予報官を志す人をはじめ、若い人にとくに伝えたいことがありましたら、一言お願いします。

永澤:「予報官の心掛け」の項で、「予報官は気象とその観測データに謙虚であれ」と私が付け加えましたが、基本に忠実であることはとても大切です。偽装、改ざん、忖度、不正など、現代の世の中を騒がしている事件の多くは、基本的なことをおろそかにするという共通点があり、しかも自分がしていることの重大さに気づいていないという致命的な特徴があります。
予報官の仕事においても、予報に合わせて解析を捻じ曲げるなどの本末転倒がまかり通るようであってはいけません。自分がやっていることの意味を常に考え、おかしいと思うことがあれば、それを正す勇気を持つべきです。そうであってこそ、予報官の道は明るくなります。

永澤義嗣(ながさわ・よしつぐ)

1952年(昭和27年)札幌市生まれ.1975年,気象大学校卒業.網走地方気象台を皮切りに,札幌管区気象台,気象庁予報部,気象研究所などで勤務.気象庁予報第一班長,札幌管区気象台予報課長,気象庁防災気象官,気象庁主任予報官,旭川地方気象台長,高松地方気象台長などを歴任.2012年(平成24年)気象庁を定年退職.気象予報士(登録番号第296号).
著書『天気図の散歩道(改訂版)』(クライム,2008年),『新・教養の気象学』(共著,朝倉書店,1998年),『気象科学事典』(共著,東京書籍,1998年),『気象ハンドブック(第3版)』(共著,朝倉書店,2005年),『気象予報士ハンドブック』(共著,オーム社,2008年),『身近な気象の事典』(共著,東京堂出版,2011年),『気象災害の事典』(共著,朝倉書店,2015年)ほか