2018 11/29
著者に聞く

『正義とは何か』/神島裕子インタビュー

「自由に枷はかけられない」南アフリカ共和国ケープタウンのロベン島(世界遺産)にて著者撮影

誰もが共通に理解できる「正義」はあるのか。公正な社会は実現可能か。このたび、アメリカの政治哲学者ロールズにはじまる正義論の系譜をわかりやすく解説する『正義とは何か』が刊行されました。本書について著者の神島さんにお話しをうかがいました。

――哲学、とくに正義論について関心を持ったきっかけを教えてください。

神島:知りたいと思うことに取り組んでいたら、哲学という研究領域の端っこに近づいてきた感じです。子どもの頃によく「なんで」を連発してうるさがられたり、(たぶん)するどい突っ込みを入れて「子どものくせに生意気だ」と怒られたりしていました。他方で漫画やアニメが好きで、ストーリー展開に難癖をつけたり、登場人物に感情移入したりして、空想にふけっていました。振り返ってみれば、そうとは知らずに哲学っぽいことをしていたのだと思いますが、学問としての哲学に関心を持つようになったのは、大人になって他の学問を学んでからです。

正義論について関心を持ったきっかけは、アメリカのオレゴン州ポートランドにあるパウエルズ・シティ・オブ・ブックスという古本を売っている本屋さんに行ったときに、耳にしていたロールズのA Theory of Justiceをレジに持っていったところ、店員さんに「それはいい本だよ」と言われたことです。アメリカには知らない人にも話しかけてしまう人が多いと思いますが、けっこう役に立つことも言ってくれます。オレンジジュースはよく振ってから飲む方がぜったい美味しいとか。ところが、いい本だという触れ込みの本が読みはじめてみればあまりにも難解だったので、なぜこんなに難しい本がいい本なんだろうと、不思議に思ったことがきっかけです。

――本書執筆の動機は何でしょうか。

神島:中公新書の編集部の吉田さんがお手紙をくれたことです。本書のあとがきにも書きましたが、ロールズ以降の正義論について書いた拙書に関心をもってくれて、その分野での本の出版を提案してくれました。私は中高生のころコバルトシリーズを愛読していて、著者にファンレターを書いたことがあるのですが、読者にお手紙をもらうというのはこんな感じなのか、頑張ってきてよかったなあと思いました。すごく嬉しかったので、その期待に応えたいと思いました。

――神島さんはジョン・ロールズ『正義論 改訂版』(紀伊國屋書店、2010年、共訳)を訳されています。読むポイントを教えてくださいますか。

神島:博士論文の口頭試問が終わってすぐ川本隆史先生からお声がけがあり、共訳作業に参加しました。ロールズが述べているように『正義論』は「ページ数が多いだけでなく、たくさんの節に分かれた冗長な代物」なので、翻訳は大変でしたが、読むのも大変です。ロールズは親切にも、ここだけは読んでねという箇所を、序文で具体的に示してくれています。それによると、全体の3分の1とちょっとを読めば、ロールズ理論の本質が掴めるらしいのです。でも神は細部に宿ると言うように、『正義論』のすごいところは細かいところにあります。ときに脱線しているのではないかとさえ思える議論が、全体とつながりをもっているか、もとうと意志しているのです。ですから、目を閉じてどのページを開いても、そこに書いてあるのは「公正としての正義」の理論の一部となっていて、無視できないのです。これは本当にすごいことだと思います。

個人的には、第55節から第59節にかけて展開されている「市民的不服従」と「良心的拒否」の議論が興味深いです。ロールズは市民的不服従を「公共のフォーラム(広場)でなされる呼びかけの様態」としていて、そこでは「現状を再検討せよ、市民的不服従を選んだ私たちの立場に自分たちをおいてみよ、そして他者が私たちに課している諸条項では私たちがいつまでも黙諾することは期待できないことを承認せよ」という訴えかけが、「共同体の正義感覚」(「多数派の正義感覚」「市民生活の道徳的基礎」とも)に対してなされるとしています。これについて、ピーター・シンガーはかつてDemocracy and Disobedienceのなかで、「共同体の正義感覚」に訴えかけるロールズの市民的不服従論に疑義を唱えました。「共同体の正義感覚」がおかしくなってしまっているからこそ、市民的不服従が必要となり、また正当化されるというのがシンガーの見解です。この問題も含めて、『正義論』にはじゅうぶんに取り上げられていないポイントが、ロールズの人間観も含めて、まだまだたくさん残っているように思います。

――本書には存命の哲学者も多く登場しますが、いま特に注目すべき政治哲学者を教えてください。

神島:本書では取り上げませんでしたが、2006年に他界したアメリカの政治哲学者、アイリス・マリオン・ヤングがいます。初期のヤングには ”Throwing Like a Girl: A Phenomenology of Feminine Body Comportment Motility and Spatiality”という論文があります。女性がボールを投げるとき、手足を大きく広げずに、身体をすくめがちであるということに着目したものです。女性は「自分にはできない」という思い込みによって、自らの身体的な能力、ひいてはリーダーシップを執るといった政治的な能力をも、過小評価してしまっているというのです。『名探偵コナン』でも、犯人は男装をしていた女性であることが判明した理由が、女性に特有の身体的な動きがあったことにおかれた話がありましたね。なぜ女性は「自分にはできない」と思い込むようになるのか。この考察はいまなお重要だと思います。

ありのままの身体が社会生活上の枷になることの理不尽さを示してくれたヤングは、後期には『正義への責任』(岩波書店)という遺作にあるように、「構造的不正義」という切り口で正義を論じました。人口の約半分は女性なのに、家庭の外のさまざまな場――とくに地位と特権が付帯する場――において女性が過少であるという問題には、いま話題の医学部入試における女子受験生の一律減点という問題も含めて、この構造的不正義というヤングのアプローチで取り組むのがよいのではないかと思っています。

正義論から離れてより広く政治哲学を見るならば、世界のさまざまな国でのポピュリズムの台頭や専制政治の強化といった潮流のなかで、民主主義の様態もさまざまであってよいのではないかという議論が、再び浮上してきています。新しい著作がどんどん発表されていますが、たとえば『デモクラシーの生と死』(みすず書房)を著したオーストラリアの政治理論家ジョン・キーンは昨年、中国の民主主義を描き出した著作を刊行しました(When Trees Fall, Monkeys Scatter)。1990年代にシンガポールの元首相リー・クワンユーが「アジア的民主主義」を唱えたときには、そのような権威主義的な政治体制をわざわざ民主主義と呼ぶ必要はないという見解もありましたが、今回はどういう展開になるのか。「正義とは何か」という本書の問いにも深く関わっているので、目が離せません。

――執筆にあたって苦労した点はありましたか?

神島:本書のあとがきにも書いたことですが、叙述の簡潔さと内容の正確さとのバランスをとることに苦労しました。本書の目的はロールズ以降の6つの思想を一冊でまとめることでしたが、たとえばリベラリズムについてだけでも一冊の新書を書くことができます。なので6冊分の内容を凝縮しなおかつ具体的に論じるというのは、なかなかの苦業で、途中で何度か挫折しかけました。あとは、どうやったら読者が飽きずに読み進めてくれるだろうかという点にも気を使いました。叙述が単調にならないようにするのは難しいですね。

――執筆にまつわるエピソードがあれば。

神島:夜中にパソコンに向かうことが多かったのですが、ちょっと書いてはすぐに逃避していました。夜中なのでできることは限られていて、歌詞に疑問が残っている歌をハミングして、それについて考えたりしていました。考えても答えが出てこないので、仕方なく執筆に戻ることができました。あとはコーヒーをがぶがぶ飲んでいました。

――今後のテーマや関心について教えてください。

神島:本書では、戦争の正義と人間以外の動物の正義について触れませんでした。両テーマに関してもすでに優れた研究の蓄積がありますが、いつか自分なりの回答をだしてみたいと思っています。

――読者へのメッセージをお願いします。

神島:正義というと(勧善)懲悪がイメージされることが多いようですが、本書で取り上げているロールズ以降の正義論は、正義の反対に悪ではなく、不正義をおくものとなっています。そして正義は公正(フェア)の意味合いで用いられています。家庭や学校や職場や社会でアンフェアを感じている人は多いと思いますが、それを自分の我慢が足りないせいだとか、自分はフェアな扱いに値しないから仕方ないのだとか思わないでください。それは、ほんらい享受できるはずの平等な自由に枷がかけられた状態なのであって、その状態におかれた個人のせいではないのです。制度の側の取り組みが必要で、公正な社会は、ロールズの正義原理が要求するような取り組みを通じて、人々を自由にし、できれば多くの人が自己肯定感をもって生きていくことができるように、さまざまな場の仕組みを整えようとするものです。どんな仕組みが正義にかなっているのか。自分と他者の自由のために、考えることを止めないで欲しいと思います。

――ありがとうございました。

神島裕子(かみしま・ゆうこ)

1971年生まれ.東京大学大学院総合文化研究科博士課程(国際社会学専攻)修了.中央大学商学部准教授などを経て,現在,立命館大学総合心理学部教授.博士(学術).著書に『マーサ・ヌスバウム』(中央公論新社,2013年),『ポスト・ロールズの正義論』(ミネルヴァ書房,2015年),訳書に『正義論 改訂版』(ジョン・ロールズ著,紀伊國屋書店,2010年,共訳)などがある