2018 04/03
著者に聞く

『原発事故と「食」』/五十嵐泰正インタビュー

東日本大震災から7年が経過したことを踏まえ、社会学者の五十嵐泰正さんが、流通や市場の課題、消費者とのコミュニケーション、差別の問題などについて「食」を通して論じた『原発事故と「食」』を上梓しました。そこからは、社会における「信頼」がいかに重要なのかといった多様な論点も見えてきます。本書の狙い試みなどについて、うかがいました。

※なお、本書に関連して、2018年4月25日(水)に東京・五反田のゲンロンカフェで「7年後のいまをどう伝えるか──『原発事故と「食」』(中公新書)刊行記念」というイベントが予定されています。『日本ノンフィクション史』の武田徹さんや、アクティビストの小松理虔さんと著者が登壇します。

――本書の執筆動機をお教えください。

五十嵐:福島第一原発事故からかなりの時間が経っているのに、福島県産やその周囲の食品を食べる/食べない、といった問題をめぐって、今なお人々の判断は大きく分かれ、ネット上にはいがみ合うような状況があります。噛み合わない議論の風通しを良くすることで、この状況を少しでも解消できないものだろうかと考えたからです。

事故後の放射線についての科学的な知見は積み上がっていき、多くの有益な情報が共有されました。他方、社会的な側面については情緒的な議論がまかり通っています。自然科学の蓄積も重要ですが、社会科学者は社会科学の言葉を通して、この問題に向き合う必要があると感じています。それは、錯綜する問題の論点を明らかにして、対立する人たちの間に相互理解の道を探ることにもなりますし、科学的なリスク判断には開きがあったとしても、ここまでは社会的な合意を作ろうという原則を確立することにも繋がってきます。

――震災から7年を経た今、「風評」被害をどう捉えていますか?

五十嵐:「風評」という言葉は、そもそもその言葉を使うかどうかが政治的な立ち位置を伴ってしまいがちな、扱いにくいものです。ひとまず言えることを整理しますね。

まず、事故直後と違って、検査体制が確立して安全性が確認され、放射性物質の低減対策が普及するようになって以降は、汚染の事実ではなく単なるイメージで特定の産地を避けているという意味で、「風評」と断言できる 領域は確かに広がっています 。ただ、「風評」の固定化と長期化は、単純に無知な消費者の問題とは言えない側面が大きく、対象となる品目ごとの生産・流通上の特性を見る必要もあります。そして、もっとも重要なのは、何となく原発事故以来の悪いイメージが固定化したまま、問題自体の風化が同時進行している点です。

――各章ごとにアプローチをかなり変えてテーマと向き合っている本ですが、その狙いは何でしょうか。

五十嵐:この問題を総合的に見るには、さまざまな消費者層や震災からの時期によって異なってくる局面を捉えて、それぞれの状況が抱えている課題を読み解き、対策を検討しなければいけません。

それぞれの局面に応じて考えるべきことは多岐にわたるので、本書では、私の専門である社会学はもとより、農業経済学、社会心理学、マーケティング、リスクコミュニケーションなど多くの領域にまたがるかたちで執筆しました。チャレンジといいますか、蛮勇をふるったというのが正直な実感です。その試みがどの程度うまくいったのかは、読者の判断を仰ぐしかないですね。

――台湾やノルウェーなど、実際に足を運んで得た知見も活用されていますね。

五十嵐:はい、海外で知ったことは、日本の状況を客観視する意味でも有益でした。

たとえば、5県産(福島、茨城、栃木、千葉、群馬)の食品の停止が長く続く台湾では、この問題は高度に政治問題化しています。しかし、その背景には、被災地の食品の現在の検査状況や、放射線知識をアップデートする必要がないという事情があることがわかりました。この点を踏まえないと、なぜ台湾がそのような対応をしているのかは理解できないですし、そうした構造が台湾ではっきり見えたことによって、福島から距離が離れている西日本の消費者意識を逆照射することにもなりました。

また、ノルウェーでは超合理的な放射線防護政策を、トナカイ肉などについて行っていることが知られています。そこで社会科学者が考えるべきことは、ノルウェーではどうしてこのような仕組みが社会的に可能になったのか、日本とどんな社会背景の違いがあるのか、です。放射線防護のような論争的なテーマにこそ、それぞれの社会のありようが強く反映されていると実感できたことは、日本の対立状況をどう克服していくか考えるうえで、大きなヒントになりました。

――原発事故をめぐっての議論は、これからも国内外でさまざまなかたちでなされていくと思います。どのような議論のあり方を期待しますか。

五十嵐:やはり大事なのは、科学的に検証されてきた情報が共有されること。ただ、その前提として、さまざまな判断や感じ方が尊重されているという安心感が人々にあり、オープンな議論が可能になっていることが重要です。議論する相手の態度や間違いを厳しく批判して、それで話が閉じてしまっては、かえって対立が長引く危険性を本書では指摘しています。問題の核心は、科学的なファクトと同等以上に、少なからぬ人たちの中で一旦失われた、政府や主流派科学者への信頼の再構築なのです。

そして、国内で情報共有がある程度進んだとしても、その先には海外もあります。複雑さを増す福島の現状や経緯を詳細に把握していなくても、世界中から気楽に福島に来て、食べて楽しみ、帰ったらその経験を幅広く伝えていけるような状況を願っています。

――本書は「食」という身近なところが切り口となっています。ちなみに先生の「食」へのこだわりなどあれば、ぜひ。

五十嵐:「食」は誰しもが関わることですから、それゆえに社会化・政治化しやすいテーマだと思います。なので、極端な議論も飛び交いやすい。でも、本来はそこに自由な選択と多様性があるべきでしょう。

私は農業や漁業の生産現場に関心もありますし、土地に根付いた自慢の一品や郷土料理をめぐる物語も大好きです。料理を作るのも好きですし、食にこだわる方だとは思います。でも、他方で毎回の食事のたびに「頭を使って」選ぶほど、時間にも財布にも心にも余裕はありません。それにファミレスもラーメン屋も牛丼屋も大好きですし(笑)。当たり前ですけど、場面に応じてさまざまな食のあり方を使い分けられるのが、真に豊かな社会だと思っています。

五十嵐泰正(いがらし・やすまさ)

1974年千葉県柏市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程単位取得退学。筑波大学大学院人文社会系准教授。専門は都市社会学・国際移動論。千葉県柏市で、音楽や手づくり市などのイベントを行う組織「ストリート・ブレイカーズ」の代表として、実践的にまちづくりに関わっている。編著に『みんなで決めた「安心」のかたち』(亜紀書房、2012年)、共編著に『よくわかる都市社会学』(ミネルヴァ書房、2013年)、『常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)』(河出書房新社、2015年)などがある。