2018 03/07
編集部だより

トカゲの行進のすみっこで

「リンドバークたちの飛行」 於 島薗家住宅 リンドバーク役の河原舞さん 撮影:野村渉

O God, I could be bounded in a nutshell and count myself a king of infinite space, were it not that I have bad dreams.

なにを言う、このおれはたとえクルミの殻に閉じこめられようと、無限の宇宙を支配する王者と思いこめる男だ、悪い夢さえ見なければ。

シェイクスピア『ハムレット』2幕2場より、小田島雄志・訳

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ある日、ツイッターをぼーっと眺めていた。 佐々木敦(@sasakiatsushi)さんが、あるお芝居をほめていた。

「ハムレット」である。シェイクスピアによって400年以上前に書かれ、世界でもっとも上演され、世界でもっとも有名・・・・・・といって過言でないかもしれない演目。

劇団の名前はゲッコーパレード。2015年結成の、若い劇団だ。

「ハムレット」を民家でやっているというので興味がわいた。しかもキャストは3人。 当日の昼に電話したら、千秋楽の席が空いているという。仕事もそこそこに会場へ駆けつけた。

開演すると、暗闇からハムレットが登場する。深夜に、家族が寝静まった頃を見計らって、こっそりと冷蔵庫を漁りに来る引きこもりという風情で(まさに台所でお芝居は展開する)。

そう、ハムレットはクルミの殻の王国の王だった。 彼を悩ませているのは、王位などではない、父の謎の死でもない、国民や国家のことでもない。正義や忠義心でもなさそうだ。大仰なものではなく、ごくごく個人的なことに悩んでいる。自分のつくる影に勝手におびえている。そんな様子だった。

一瞬で引き込まれた。これはすごいハムレットに出会ってしまったと。 以来、ゲッコーパレードのお芝居に通うようになった。

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(ゲッコーパレードの)名前の由来は「目的ではなく人の集まりこそがパレードのように活動や表現を形成していく」という信条から。ゲッコーはヤモリの英名。(劇団ホームページより)だそう。

観るたび、このトカゲさんの行進に潜り込んでいるような気がする。それは決してわたしの思い込みではなく、演出家の黒田瑞仁さんのたくらみなのだと感じている。

島薗家の書斎でいよいよ飛行がはじまる 撮影:野村渉

彼らは、ブレヒトの「リンドバークたちの飛行」を、2017年の10月に島薗家住宅(東京都・文京区)で、2018年の2月には、旧里見弴邸(神奈川県・鎌倉市)で上演した。
リンドバークの大西洋横断の物語が、住宅にひろがっていく。観客は、リンドバークと部屋を移動し、冒険をともにするのだ。

住宅はもちろん、演劇を上演するために作られた場所ではない。
照明や音響の設計も暮らすためのものであり、演劇のためのものではない。しかも、寒い。雨が降れば雨だれが、車が通れば走行音が聞こえる。それが非常におもしろい。今まで、大きな劇場からテントまでいろんな場所で観劇してきたが、演劇との関係の取り結び方を改めさせられるような体験だ。

居間に吹き荒れる嵐 撮影:野村渉

ストーリーも演出もしっかりしていて、役者の力量も確かだ。物語へていねいに誘ってくれる。だから気軽に楽しめる。

だが、庭園でも観ているかのような心持ちになるときもあるのだ。環境はときどきで変化するし、鑑賞者の自由があり、参画が促されている。舞台で演劇を観るときは、ダブルキャストや役者のアドリブ、観る座席の位置の差こそあれ、公演ごとに大きく変わるということは良くも悪くもあまりない。

2階から 撮影:野村渉

このリンドバークとの冒険は、違う。
昼と夜とでは光の差し方が違う。晴れと雨とでも違う。観る場所も自分で決められる。観客は自身で、キャストとの、物語の出来事との距離をはかり、ほかのお客さんとの緊張関係をも保たねばならない。
ちょっと色づいた葉やそっと咲いている花、偶然聞こえた鳥のさえずりを愛でるように、作品と住宅の織りなす世界に自分で楽しみを発見する余地があるのだ。


これからも、彼らの行進は続くのだろう。こんなにもわくわくする演劇的営みのすみっこに加われたことを嬉しく感じ、またどこか別の場所でご一緒したいと思うのだった。(亮)