2017 05/10
編集部だより

『応仁の乱』狂騒曲

 2016年10月に『応仁の乱』が発売されて6か月余り。この間、本当にいろいろなことがあったが、最大のイベントといえば今年3月にニュース番組で応仁の乱ブームが取り上げられたことだろう。その顛末を備忘録として書き留めておこうと思う。

 NHKのA記者から初めて連絡があったのは2月7日のこと。「担当された『応仁の乱』という本が売れているそうですが......」と編集部に電話がかかってきた。こうした場合、編集者はこの上なく丁重に取材に応じなければならない。メディアで紹介してもらえれば販売促進になるし、それをきっかけに本がブレイクする可能性だってある。しかも相手はテレビ。なんとか興味を持ってもらおうと、こんなネタもあります、あんなネタもありますよ、と懸命にアピールした覚えがある。

 その後も何度か電話でのやりとりがあり、2月24日に会社を取材してもらうことになった。カメラ撮影もあり、たぶんテレビに映ることになる。テレビの取材など初めての経験で、うまくやれるだろうかと考えると嫌でも緊張が高まった。

 ところが前日にアクシデント発生。夕方になってもA記者からは何の音沙汰もないのだ。どうしたことかと思っていると、A記者から電話があり、インフルエンザにかかったので取材はキャンセルしてほしいとのこと。にわかには信じられず、「このタイミングで病気って本当なのか?」との疑念が湧く。「ひょっとして局内でストップがかかった?」などと最悪の事態も想像した。放送が立ち消えになったら社内に顔向けできないと思って焦るものの、インフルエンザと言われればどうしようもない。順調に快復すれば来週取材するという言葉を信じるしかなかった。

 直後、そんな事情はご存じない会社の某幹部から「おい、当日はちゃんとスーツ着ろよ」と言われた。ふだんスーツなど滅多に着ないのは事実だが、タイミングがタイミングでもあり、思わず「じゃあスーツ代を支給してくれるんですか?」と言い返してしまった。相手は「そんなことはできない」という至極当然の答え。まあそうですよね。失礼しました。

 実際の話、取材当日に何を着るかは迷った。スーツを着ない編集者は多いし、そもそも編集者らしくない気もする。たまたま見たドキュメンタリー番組「又吉直樹 第二作への苦闘」でも、S社の文芸誌のY編集長は黒ずくめの私服だった。迷った末、「中公新書の編集者にしゃれっ気は無用」との結論に達し、いつもは着ないスーツを着ることにした。

 信じる者は救われる。A記者は仮病などではなかった。3月1日の午前10時から始まった取材は、まるまる2時間に及んだ。A記者が繰り出す質問に答えるかたちでトータル30分ぐらい喋らされた気がするが、実際はどうだったのだろう。どのコメントが使われるかわからないまま喋り続けるのは本当にしんどかった。A記者からは「落ち着いた受け答えでしたね。初めてだと、なかなかあんなふうに話せないものですよ」と言われ、お世辞と思いながらも嬉しくなった。ただ実際は無我夢中で、うまく言えた覚えなどない。

 翌2日の夜、NHK「ニュースウオッチ9」で応仁の乱ブームのニュースが流れた。8分以上という大きな扱いだ(翌日そう教えられた)。
 本当なら早めに帰宅してビールでも飲みながらニュースを見たかったのだが、あいにくリアルタイムで見ることは叶わなかった。放送2日前に著者の先生(京都在住の某大学教授)から「上京するので2日の夜に会いましょう」とピンポイントで指定され、断ることができなかったのだ。「なんでこのタイミングで!」と思ったが、人生こんなものかもしれない。

 録画でチェックした放送内容は期待した以上に充実ぶりで、A記者に対して心から感謝した。放送の翌日以降、『応仁の乱』の売上は急上昇。テレビの威力はすさまじいと改めて思い知った次第である。
 ただ結局、あんなに必死に喋ったにもかかわらず、自分のコメントは5秒ぐらいしか使われなかった。(波)