2017 03/30
著者に聞く

『俳句と暮らす』/小川軽舟インタビュー

 俳人にして単身赴任中のサラリーマンでもある小川軽舟さんが、「飯を作る」「会社で働く」「妻に会う」「病気で死ぬ」など日常のさまざまな場面を切り取りつつ、俳句とともに暮らす生活を提案する『俳句と暮らす』。執筆中のエピソードなどをうかがいました。

――本書を執筆した動機をお教えください。

小川:執筆のお誘いがあったのは平成26年(2014)4月。20代の頃から俳句をやっているのですが、「日常」というものの見方が少しずつ変わりはじめていた時期でした。平成23年(2011)3月には東日本大震災がありましたし、単身赴任を始めたのがその1年後です。

 東日本大震災で考えさせられたのは、震災と俳句との関わりとは何なのか、ということでした。日常が一瞬にして奪われる事態を目の当たりにして、震災そのものを詠むというよりも、家族や会社など自分の拠って立つ生活の場にあらためて目が向くようになりました。それまでは、日常とは別の風雅の世界に遊ぶようなイメージを持って俳句を作っていたのですが、やはりもう一度自分の足下を見つめなければと。1年後に単身赴任を始めたことで余計にそのように思うようになりましたね。

 俳句もぼつぼつそういうテーマで作るようになっていました。雑誌『俳句』(2013年2月号)に「単身赴任」という題で50句を発表しました。新書にも引いた「職場ぢゆう関西弁や渡り鳥」「妻来たる一泊二日石蕗の花」といった句が入っています。

――執筆をお願いした2014年当時は、ウェブサイトに「俳句日記」を連載中でした。

小川:ふらんす堂という小さな出版社から依頼されて、毎日書いていました。一日一句、簡単な短い文章を添えて。一年分まとまったところで本になりました(『掌をかざす 俳句日記2014』ふらんす堂、2015年)。これは毎日の生活を俳句にしていくプロセスを人に見せるという、私にとっては一年間の実験でもありました。

 そのさなかにお話をいただいたものですから、やはり「俳句と暮らす」というテーマで書きたい、と。日常生活に立脚して、それを一句一句書き留めることによって、自分自身の生きているあり方を刻むことができるのだ、ということをあらためてまとめて書いてみたいと思ったわけです。ですから、企画案を考えてみてくださいと言われて、最初に決まったのはタイトルと章題でしたね。

――執筆中に苦労したことはありますか。そもそもサラリーマンと俳人を両立させるのが大変ですし、単身赴任、さらに執筆もとなると……。

小川:時間は絶対的に不足気味ですが、会社の仕事も、家で暮らすことも、しっかりスケジューリングして、優先順位をつけて、てきぱきとやる。それを心がけています。

――それでうまく回っていきますか?

小川:うまく回らないと一番感じたのはこの本の執筆でしたね。(笑)

 会社では俳句のことを一切考えないようにしています。会社では会社の仕事を一所懸命にする。その代わり、なるべく残業しないで帰りますけれど。

 その上で、家にいる時間をどう過ごすか。まず俳句雑誌『鷹』の主宰として、会員の俳句の選句をするのが一番大事な仕事です。他にも『毎日新聞』俳壇の選句、雑誌からの依頼原稿、句会での指導……優先順位の上のほうにそういう仕事があって、ようやく自分の俳句を作るという仕事が来る。俳句を作らないと「俳人」と言えませんから。

 それからやっと時間が空いたら本書の執筆というわけで、書き下ろしは本当に大変だと思いました。章ごとに原稿をお送りしていましたが、間隔がずいぶん空いてしまって、あいつは何をやっているんだとお思いになったでしょう?(笑)

――無事に刊行まで漕ぎ着けて本当によかったです(笑)。その他、執筆中のエピソードがあればお聞かせください。

小川:エピソードというほどのことはありませんが、まさに「俳句と暮らす」を実践しながら原稿を書いていましたね。章題にあるように、日曜日だったら三度「飯を作る」、原稿が進まなくなったら気分転換を兼ねて「散歩をする」、晩ご飯を食べたらちびちび「酒を飲む」……。逆に日常の発見がそのまま材料になって、「これは本に書けるなあ」と思うこともありました。

――本書と関連するおすすめの本や映画があればお教えください。

小川:私自身の本ということであれば、先ほどお話しした『掌をかざす 俳句日記2014』ですね。新書は俳句と暮らす生き方を総論として書いたものですが、それを私が一年間実践したのが『俳句日記』、いわば姉妹篇です。

 新書と無関係に挙げてよいのでしたら、『君の名は。』が大ヒットした新海誠さんのアニメーション映画。特に『秒速5センチメートル』(2007年)と『言の葉の庭』(2013年)です。新海さんは前から好きなんですが、風景の切り取り方が俳句にとても近いと感じます。

『君の名は。』と同じく、これらの作品でも風景を細密に描写しているのですが、その風景は写真や映像を単にコピーしたものではありません。本当は目に見えないかもしれない瞬間――例えば、池に落ちた水滴がぽちゃんと跳ね上がる瞬間とか――を映像にしている。そこには作者の切り取り方、作為があります。だからこそ、例えば新宿駅の雑踏がなぜか美しく見えるわけです。普段見ている何でもない風景のはずなのに、詩情(ポエジー)が宿る瞬間がある。それは作者自身の感情が込められているということなんですね。俳句として学びたいところです。

――今後取り組みたいテーマは何でしょうか。

小川:ここ数年、自分の生きている日常を詠んできました。自分がどういう時代を生きてきたのか、ここから先どういう時代を生きるのかを、俳句を通して綴っていきたいと思います。それも、私の世代のあり方を確認しながら見ていきたいという気持ちがあります。

 それは別に大上段に構えるのではなくて、自分の足下を見て、これを記憶に残していきたいということを一句一句俳句にしていけば、自ずと浮かび上がるのではないかと思っています。

――あとがきに引いている「かつてラララ科学の子たり青写真」も……。

小川:あれが私の世代の原体験ですね。

――本書の読者へのメッセージをお願いします。

小川:この本をお読みになった方は、「俳句って意外と簡単そうだ」と思うのではないでしょうか。実はそれが狙いです。もしそう思ったら、ぜひ俳句を作っていただきたいですね。俳句はハードルの低い趣味です。とりあえず『歳時記』と紙と鉛筆があれば何も要りません。

 ただ、一つだけ言っておきたいのは、自分の句をノートに書き留めるだけでは、それは俳句ではありません。必ず人に読んでもらって、どういうイメージが目に浮かんだかを聞く。句会に出てはじめて、俳句とは何かがわかるのです。多くの方が「もう少し勉強して自分なりに納得のいく句ができてからにしたい」と言いますが、それは絶対に成功しません(笑)。私も俳句を始めた当初はノートに書くだけでしたが、今から読むとよい句は一つもありません。当たり前で、陳腐で、頭で考えて作っていて……。俳句仲間や、かつてであれば師匠の藤田湘子など、読んでくれる人がいて、いろいろ言われて、だんだんわかってくるものだと思います。

 繰り返しになりますが、まず俳句を作っていただきたい、そしてぜひ句会に出ていただきたい。そうすると、たちまち俳句と暮らす生活が目の前に広々とあらわれるはずです。

小川軽舟(おがわ・けいしゅう)

1961年(昭和36年)、千葉市に生まれる。東京大学法学部卒業。俳句雑誌「鷹」にて藤田湘子に師事。1999年「鷹」編集長、2005年湘子逝去にともない「鷹」主宰を引き継ぐ。毎日新聞俳壇選者、毎日俳句大賞選者、田中裕明賞選考委員。句集に『近所』(第25回俳人協会新人賞)、『手帖』『呼鈴』『掌をかざす 俳句日記2014』、著書に『魅了する詩型 現代俳句私論』(第19回俳人協会評論新人賞)、『現代俳句の海図』『シリーズ自句自解Ⅰ ベスト100 小川軽舟』『藤田湘子の百句』『ここが知りたい! 俳句入門』などがある。