2017 02/10
著者に聞く

『タンパク質とからだ』/平野久インタビュー

大隅良典東京工業大学栄誉教授のノーベル賞受賞に象徴されるように、近年、生体内のタンパク質の種類や機能について、急速に解明されつつあります。中公新書『タンパク質とからだ』著者の平野久さんに、本書について、また今後の課題について伺いました。

――本書ご執筆の理由を教えて下さい。

平野:いくつかの出版社からタンパク質に関する新書が出版されています。それらの本の中では、タンパク質を構成するアミノ酸の性質、タンパク質と遺伝子の関係、タンパク質の合成や分解の機構、様々なタンパク質の性質、タンパク質と病気の関係などが解説されています。しかし、本書のように、からだの中にどれくらいの種類のタンパク質があり、それらがどのようにはたらいているのかについて俯瞰的に解説した本がありませんでした。これまで、そうした観点から研究が行われていませんでしたので、この種の本がなかったのは当然のことだと思います。

 しかし、タンパク質の生産を司る遺伝子の解析(ゲノム解析)研究の発展と、質量分析技術を中心としたタンパク質分析技術の発達によって、2000年代に入った頃から、生体内でどのような種類のタンパク質がいくつはたらいているのかが徐々に明らかになってきました。それと共に、病気と関係するタンパク質の異常を分析できる状況になりました。本書によって、読者のみなさんにまずこの状況を知っていただきたいと思いました。

 また、本書を読まれた方は、からだのはたらきを制御しているタンパク質の種類が極めて多いことにきっと驚かれることと思います。これらの多種類のタンパク質が作用し合ってわたしたちのからだは維持されています。ですから、たとえわずかなタンパク質であってもそのはたらきに異常が起こると、生体の機能が正常でなくなり、それが原因となって病気になってしまうことがあります。技術の発達によって、どれとどのタンパク質が異常なのかをいち早く見いだし、その情報に基づいて診断、治療、あるいは予防を行うことができる時代が、すぐ近くまで到来したことを多くの方々に伝えたいと思いました。

――本書のポイントは何でしょうか。

平野:本書を読んで下さる方の多くは、タンパク質の専門家ではないと思います。そこで、専門家でなくても本書を理解していただけるように、はじめにタンパク質の特徴について基本的なことを記述しました。タンパク質の教科書のようには詳しくありませんが、基本的な特徴を知っていただく上では十分な情報が記載されていると思います。基本的な特徴を知っていただいた上で、からだの中のタンパク質の種類やはたらきについて、最新の研究成果に基づいた解説を読んでいただくことにしました。

 本書を読んでいただいたら、まずタンパク質が生体のはたらきを調節する物質として特に重要であることを再認識して下さるのではないかと思います。これが第一のポイントです。また、本書を読むと、からだの中で、いつ、どこで、どれくらいの量のタンパク質がはたらいているのか、その全体像を、タンパク質の研究者でない方々にも理解していただけると思います。これが第二のポイント。さらに、なぜタンパク質で病気を予防できるのか、タンパク質で病気を診断できるのか、そして、タンパク質の異常を治療できるのかについてできる限り詳しく説明しました。これが三つ目のポイントです。従来出版されたタンパク質の本とはかなり違った観点からからだのタンパク質について解説することができたと思います。

 一方、質量分析装置などの発達によって、極めて多種類のタンパク質の動きを捉えることができるようになってきました。健常なときと病気にかかったときとで、多種類の、できればすべてのタンパク質がどう変化しているかを調べることによって、病気の診断や治療、さらには病気の予防を行うことができる日が着実に近づいています。これも強調したい点です。

 タンパク質(プロテオーム)解析、さらには、ゲノム(SNP)解析、遺伝子(mRNA)の発現解析、代謝物(メタボローム)解析などで得られるビッグデータに基づいた、究極的な医療の実現が夢ではなくなってきていることに気づいていただけたらと思います。

――タンパク質への関心はいつ頃から、どういったきっかけでしたか。

平野:私は、大学を出た後、農林省の研究所に入りましたが、そのときから今日までずっとタンパク質について研究してきました。最初は植物、次に酵母、そして、ヒトと、様々な生物のタンパク質を研究の対象にしました。

 1980年代から遺伝子組み換えの技術が発達し、タンパク質を遺伝子レベルで解析できるようになりました。タンパク質を直接分析するよりも、遺伝子を解析した方がより簡単にタンパク質の特徴を捉えられることが多かったため、多くの研究仲間がタンパク質の研究から遺伝子研究にくら替えしました。わたしも、遺伝子解析をはじめた時期がありました。しかし、わたしは、(遺伝子解析技術の急速な発達についていけなかったからかも知れませんが)タンパク質の研究畑に留まりました。幸い、多くの研究者が遺伝子研究をしている間に、いろいろなタンパク質の分析技術を開発、改良する研究を行いながら、様々なタンパク質を分析し、経験がものを言うタンパク質研究の世界で貴重な経験を積み重ねることができました。英国のダラム大学、西ドイツのマックスプランク分子遺伝学研究所、大阪大学たんぱく質研究所などでタンパク質について本格的に勉強したり仕事をしたりする機会にも恵まれました。こうした経験が現在の研究や教育の実践に役立っていると思います。

――今後のお仕事についても教えて下さい。

平野:先ほど、からだの中の多数のタンパク質の分析結果に基づいて、病気の診断、治療や予防を行う時代が近づいていると述べました。しかし、これを可能にするためには、タンパク質の異常と病気との関係をもっと解析しておく必要があります。これからもタンパク質の異常と病気の関係を究明する仕事を続けたいと思っています。

 実は、すぐにでも解明したいことがあります。それは川崎病の原因です。川崎病は、1967年、日本ではじめて報告された、主に乳幼児に見られる疾患です。全身の血管に炎症が起こり、高熱が続き、特徴的な皮膚粘膜症状が現れます。冠動脈の動脈瘤など心臓血管系に重い後遺症が残ることもあります。この川崎病の原因はまだ解明されていません。いま、川崎病に罹ったときに異常になるタンパク質を探す研究を進めています。1年ほど前に質量分析などの技術を使って原因となる可能性があるタンパク質を検出することができましたので、本当にそれらが川崎病の原因となるタンパク質であるのかどうかを検証しています。この病気で苦しんでいる子どもを一日でも早く救えるような研究成果を得ることができたらと思います。

 川崎病だけでなく、他にもいろいろな疾患の原因タンパク質や診断マーカーになるタンパク質、薬の標的になるタンパク質を探す研究を行っていますが、こうした研究を若い人たちと一緒に進め、高度な分析技術や知識を持った、研究遂行能力の高い研究者を一人でも多く育てることができたらと考えています。

――最後に読者へのメッセージをいただけますか。

平野:本書を読んで下さった若い研究者、学生、高校生のみなさんが、生体中のタンパク質とそれに係わる医療や医科学研究に関心を抱き、将来、タンパク質研究や医科学研究の一翼を担って下さるようお願いします。また、本書を読んで下さった一般の方々、研究者の先生がたには、こうした人たちに対する全面的なご支援をお願いすることができたらと考えています。

平野久(ひらの・ひさし)

1949年生。1972年東京農工大学卒業。農林水産省農業生物資源研究所研究室長、横浜市立大学教授、同大学先端医科学研究センターセンター長を経て、現在、同大学学補佐。日本育種学会賞、日本プロテオーム学会賞、日本電気泳動学会賞、科学技術長官賞など受賞。日本プロテオーム学会会長、日本電気泳動学会会長、総合科学技術会議専門委員などを務める。農学博士。専攻・プロテオミクス。著書『遺伝子クローニングのためのタンパク質構造解析』(東京化学同人、1993)、『プロテオミクスの基礎』(講談社、共編著、2001)、『プロテオミクス――方法とその病態解析への応用』(共編、東京化学同人、2002)、『プロテオーム解析――理論と方法』(東京化学同人、2001)、『翻訳後修飾のプロテオミクス』(講談社、共編著、2011)など。