2016 12/13
著者に聞く

『英単語の世界』/寺澤盾インタビュー

『英単語の世界』を上梓した寺澤盾さん。辞書や単語帳が教えてくれない英単語の魅力と秘密にせまった本書について、執筆の背景などをうかがいました。

――本書を執筆した動機を教えてください。

寺澤:主な理由は2つあります。

10年近く前に『英語の歴史』(2008年)という中公新書を執筆しました。それは1500年におよぶ英語の歴史のなかで、発音・つづり、語彙、文法がどのように変化してきたかを書いたものです。その際、紙幅の都合もあって、単語の意味変化を取り上げることができませんでした。ですが、単語の意味変化は、僕が大学の学部生の時から関心があったテーマであり、前著に取り組む前から、ずっと書きたいと思っていました。これが理由の1つです。

2つ目は、英語学習に関係することです。英語――にかぎらず、ほかの語学学習もそうですけれど――の難しさの1つに、多義語の存在があります。本書にも多義語の例としてtrunkという単語を取り上げています(第1章、pp. 6~8)。木の幹、(自動車の)トランク、ゾウの鼻…と多くの語義があって、一見つながりが見えない意味も派生していますが、いまの英語教育の現場では、学生は辞書を引いてやみくもに記憶していくしかありません。それでは苦痛になってしまいます。

本書の目的は、ばらばらに見える語義をつなぐ「関連の糸」の存在を知ってもらうことです。ただやみくもに覚えるよりも、そうした関連の糸を見つけ出すほうが英語学習の効率は上がりますし、意外な関連性を発見することは楽しいものです。それを読者に知ってもらいたかったというのが、2つ目の理由です。

――では、本書を書くうえで何か苦労はありましたか?

寺澤:新書は、学者や研究者ではなく、一般の読者に向けて書くものですので、そのことを意識しました。つまり、学術的な内容を平易に書くよう心がけたということです。難しいことを難しく書くのは易しいですが、難しいことを易しく書くのは大変骨の折れる作業です。

しかし、難しいことを易しく書くことは僕自身にとってもメリットがありました。それは、頭のなかで漠然と理解していた知識を整理できたことです。新書のような一般書を書くと、頭を整理してクリアにする訓練になります。そうしたメリットがありますから、「苦労」とはいえないかもしれせんね。

僕の場合、一般書を書くときの方法論、というのはありません。ただ、読者の立場になって何度も自分の書いたものを読み返します。ときには、原稿をしばらく寝かせてから、読者目線で読み直すということもしました。研究者同士なら「AはB」で済むところも、新書ではそういうわけにはいきませんからね。AからBが導かれるまでのいくつもの段階を、しっかり整理して分かりやすく説明するのが、新書の書き方だと思います。

――執筆中のエピソードなどがありましたら教えてください。

寺澤:エピソードとは少し違うかもしれませんが――新書って、わかりやすさと学術性の両立が大切ですよね。僕は研究者なので、やはり学術性にかたむく傾向がありますが、編集者はわかりやすさを求めます。なので、変な言い方ですが、著者vs.編集部のバトルのような構図もあると思います。

たとえば、本のタイトルや章タイトルは、僕がつけたものに対して編集者から「ここはこうしたい、ここはこうしたほうがよい」と言ってきます。前著もそうでしたが、そうしたやりとりの中でタイトルを揉んだほうが、結果的によりよいものができます。学術書のように専門性が高い本の場合は、編集部からなかなか意見を出しにくいと思いますので、これは新書のような一般書ならではだと思いました。

また、校閲をされた方が本当に細かいところまで読んでくださいました。内容にも踏み込んだ的確な指摘には感謝しています。すぐれた校閲者がいることは、中公新書の真の財産ではないでしょうか。本には著者名として僕の名前が載りますが、実際は編集部や校閲者とコラボしながら作った本だと思っています。

――本書にはいくつも映画や書籍が登場しますが、おすすめの関連本などはありますか?

寺澤:我田引水になって恐縮ですが、前著『英語の歴史』も併せて読んでもらえると、英語の歴史の全貌がわかるのではないかと思います。また、巻末には文献案内もつけています。

それに、いまは本だけでなく、web上にもたくさんの有益な情報がありますね。YouTubeなどにも、英語がいかに文化的、社会的な影響をうけて変化してきたかがわかる動画がたくさんあります。‘history of English’で検索してみてください。

本書のテーマに関連したものといえば、第4章(pp. 80, 81)に取り上げたダスティン・ホフマン主演の『卒業』(1967年)の例ですよね。若い読者は知らない古い映画なのかもしれませんが。ホテルマンが「祝宴」のつもりで使ったaffairという単語を、ダスティン・ホフマンが「情事」と解釈して戸惑うシーン。翻訳する際、単純に「祝宴」と訳してしまうと、なぜダスティン・ホフマンが動揺しているのかわからなくなります。

これが翻訳の難しい点です。すぐれた翻訳者であれば両義性をうまくカバーした訳ができることもあるでしょうが、うまくいかない場合も多いかと思います。何事も原典にあたらないといけない、と僕がいつも言っているのはそのためです。

――今後取り組みたいテーマを教えてください。

寺澤:英語の歴史、というと、古い英語を扱うものと思われがちですが、現代英語だって歴史の一部です。本書『英単語の世界』の第6章や終章でも現代英語における変化に少し触れましたが、「変わりゆく現代英語」を今後も追い続けていくつもりです。

若者言葉やマスメディアの中から単語の新しい使われ方や造語が生まれますが、僕が追っているのはもっとも長期的で気づかれにくい変化、たとえば文法上の微妙な変化です。若者言葉の流行はせいぜい3年から5年ですたれますが、文法上の変化はもっとゆっくりじわじわ起こります。

僕が英語を習ったときは、Somebody left his umbrella.(だれかが傘を忘れた)のような文で、somebodyをhisで受けるように教えられました。しかし現在では、性別が特定されていないsomebodyのような語を男性代名詞で受けるのは性差別になりうるので、代わりにhis or herやtheirを用いることが多くなっています。とりわけ、こうした状況で複数代名詞を使用することが近年急速に増えています。いまはコーパス(書き言葉や話し言葉を収集してデータベース化した資料)がたくさん作られているので、コーパスからそのような潮流を読み取ることができます。

少し話は変わりますが、つい先日、新聞社からインタビューを受けました。前著『英語の歴史』では終章で英語の未来の姿を予測しましたが、「これから先の10年間で英語はどう変化していくのか」ということを聞きにこられたわけです。ちょうど2016年は大きな事件が起こりました。Brexit、イギリスのEU脱退の問題です。イギリスが脱退すれば、やがてEUの言語から英語が退場することになります。すぐに使われなくなるわけではないと思いますが、少なくとも記録媒体としての英語は見られなくなると思います。実際、イギリス加入以前は、EU(当時はEC)の議事録などで英語は使われていませんでした。なので、10年20年というスパンで考えると、共通語としての英語の地位もけっして安泰ではないわけです。

アメリカも他人事ではありません。アメリカ国内ではヒスパニック系住民が急激に増えており、2060年ごろには人口の3割にもなると予想されています。彼らの特徴は、ほかの移民と違い、家庭でもスペイン語を使い続けることです。僕がアメリカに住んでいた2008年ごろのことですが、ハーヴァード大学の清掃スタッフの多くはヒスパニック系で、彼らはお互いにスペイン語で話していました。そうした人たちが増えてくると、英語の牙城であるアメリカで、今後も英語が共通語として存続するかわかりません。トランプ次期大統領はそれを食い止めようとしているのかもしれませんが、移民の方たちも生きるのに必死ですから、この潮流を覆すことは難しいでしょう。

――最後に読者に一言お願いいたします。

寺澤:日本の英語学習者の多くにとって英語学習の目的は主に、うまく話せるようになりたい、聞き取れるようになりたい、というものだと思います。

ですが、学習対象である英語自体にも興味をもってほしいところです。言語としての英語の魅力を知れば、学習にももっと身が入るのではないでしょうか。前著『英語の歴史』を刊行した後、中高の英語の先生方からさまざまなコメントをいただきました。本に書かれていた英語史関連の面白い話を授業で話してみたところ、生徒がとても興味をもってくれたということでした。

英語の勉強を、単にスキルアップのためにするのではなく、英語そのものにももっと目を向けてもらえると嬉しいです。

寺澤盾(てらさわ・じゅん)

1959年東京都生まれ。82年東京大学文学部英語英米文学科卒業。84年同大学院人文科学研究科英語英文学修士課程修了。85~89年、ブラウン大学大学院言語学科留学。89年に同Ph.D.一橋大学法学部専任講師を経て、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授。著書に『英語の歴史』(中公新書)、『聖書でたどる英語の歴史』(大修館書店)、Nominal Compounds in Old English (Rosenkilde and Bagger)、Old English Metre (University of Toronto Press)、『英語の意味』(共著、大修館書店)、『英語の軌跡をたどる旅』(共著、放送大学教育振興会)など。