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 さて、ここで話は変わるが、90年代後半から00年代初頭を思い出して頂きたい。

 当時のインターネット回線は、ADSLや光回線などではなく、あくまでダイヤルアップ(電話回線など)が主体。非常に頼りなく、また不安定な時代だった。

 そんな貧弱な環境だった時代。インターネット上での表現は、動画や画像ではなく、あくまでテキストがキモだった。そして当時は、あくまでテキスト表現だけで、どれだけ笑いを取れるかを競う、いわゆる「テキストサイト」が大流行した時代でもあった。おそらく「先行者」「侍魂」「ちゆ12歳」などと聞いて、懐かしさを感じる方もいるだろう。

 テキストサイトの管理人達の目的は、今で言うアフェリエイトなどの金銭ではなく、単純に自らの承認欲求を満たすこと。「アクセス=賞賛」とみなし、アクセスを稼ぐべく、日々更新に励んでいた。その存在はラジオにおける「ハガキ職人」などにたとえると分かりやすいかもしれない。

 回線がリッチになるのとともに、インターネットを眺める側の興味も分散され、テキストサイトのブームは幕を閉じることになるのだが、そこで確かに生まれた「笑い」の火。それを今も絶やさぬように奮闘している人物がいる。

 その人物こそ目前にいる、このシモダ氏だ。

 彼はブームの最中にインターネットと出会い、「ゴブリンと僕。」というシュールなサイトで一世を風靡した。

*そのサイトをきっかけに、家入一真氏と出会い、株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ株式会社)に入社、という人生を歩むのだが、この話はまた後日。

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 そして、そこで生まれた「火」を絶やさないための手段として、「会社」を起こすことを選んだ。その火に注ぐ燃料を絶やさないために、お笑いサイトのような存在と対極にありそうな、「会社」という基盤を作ったのだ。

 実際、彼は起業してからこれまで、自らのテキストサイト運営の中で交流し、心を通わせたメンバーの多くを、社員として引き入れている。

「気の合う仲間と、一生好きなことだけして暮らしたい」

 まるで子供のように無邪気で、しかし崇高な夢。それを叶えるべく選んだ手段が「起業」だったのだ。

 すでにその会社も設立5年目を迎え、「イケてるしヤバい男 長島」「インド人完全無視カレー」「仙台SELVA春の弁慶フェア」など、多くの「振り切れた」企画が生み出され、そして今日も生まれている。そのいくつか、もしかするとみなさんもすでに目にしているのかもしれない。

 仲間たちと奮闘したこの数年間。それについてあらためて聞くと、遠い目をしながら彼はこう語った。

「できることなら社員に給料払いたくないんです」

続く

ラクレ編集部 吉岡

『日本一「ふざけた」会社のギリギリセーフな仕事術』

シモダテツヤ 
1981年生まれ。ウェブクリエイター。日本一ふざけた会社を標榜する「バーグハンバーグバーグ」代表取締役。家入一真氏のスカウトで2004年にpaperboy&co.に入社、2006年にサイト「オモコロ」を開設し、2010年に起業。多くのネット著名人を従え、徹底して「ふざけた」プロモーションを実施している。代表的な実績として「Honda黙認!お金をもらって車を宣伝するサイト」企画、1.5トンの豆を豪快にぶつけ合う「すごい豆まき 鬼リンピックin東京タワー」イベント、インド人のアドバイスを無視した「インド人完全無視カレー」通販など。雑誌『週刊アスキー』、技術評論社サイトなどで連載中。