新もぐら伝 ~狼~第3回
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安里真昌(あさとしんしょう)は東京へ来ていた。
真昌は巡査部長となり、現在は沖縄県警刑事部組織犯罪対策課に所属している。
今は、刑事研修で警視庁に出向していた。
指導員は益尾徹(ますおとおる)だ。
益尾は警部に昇進し、それと同時に警視庁の組織犯罪対策部組織犯罪対策総務課に籍を置き、組対部の全般の捜査に関わると同時に、後進の指導も行なっている。
本来、総務課の職員は指導や管理に従事するのだが、益尾は豊富な現場経験も買われ、時折、捜査にも駆り出される特別な位置にいた。
この日、益尾は、組対第一課の捜査員十名に真昌と自身を加えて、外国人組織のアジトの摘発に向かっていた。
対象の組織は、日本、中国、フィリピン、タイ、シンガポールなど、アジアの国の者が中心となって結成された混成組織で、主に売春の斡旋を生業としていた。
外国から日本に売春目的の女性を送り込んでくることもあるが、今は、日本の女性が外国へ売春目的で送り出されることも多い。
彼らはネットワークを作り、自分たちのルートで女性を行き来させ、現地の売春組織に女性たちを売っていた。
アジトは池袋の中心街から一駅離れた場所にあたる東池袋のはずれにある。古びた五階建てのビルを棟ごと買い取り、そこを事務所と売春斡旋所として使っていた。
益尾たちは車三台で現場へ向かっていた。二台はすでに現場付近に到着し、ビルの周りを固めている。
益尾と真昌を乗せた車も、まもなく現場へ到着するところだった。
後部座席に乗る益尾は、隣の真昌に目を向けた。
真昌は太腿の上に手を置いて拳を握り、助手席のヘッドレストを睨んでいた。
「真昌、肩の力を抜け」
「抜いてますよ」
という真昌の双肩が上がる。
「一応、指導も兼ねているから言っておく。どんな現場にも危険はつきものだが、手順を踏めば、そこまで危ない目には遭わない。島でもそうだろう?」
「それはそうですが」
「それに、我々だけでなく、所轄署にも応援を要請している。総勢三十名を超える警察官で着手することになる。相手もバカではない。敵わないとわかれば、抵抗もしない」
「わかってますけど」
そう言って吐いた鼻息が荒い。
「東京だからって、緊張することはないんだぞ」
益尾は笑みを浮かべた。
「別に、東京だからって気にしてませんよ。東京なんて、たいしたことないですから」
真昌は強がったが、警視庁へ来て以来ずっと、あきらかに都会の空気に圧倒されている様子を益尾は見てきた。
なので、摘発現場に真昌を連れてきた。
本来であれば、出向中の他府県警察官を危険な現場へ同行させることはない。
もちろん、力量がなければ、指導とはいえ現場へ連れて行くことはないが、益尾は真昌の実力をよく知っている。
また、久しぶりに会った真昌は鍛錬(たんれん)を怠っていなかったようで、体が一回り大きくなりつつも締まっていた。
眼力も鋭くなり、すっかり刑事の顔になっている。
あとは、どこのどんな現場にも気圧(けお)されないメンタルの強さを持てば、真昌は一気に伸びていくだろう。
車が所定の位置に到着した。真昌は大きく息を吸い込み、口を丸めて、ふうっと吐き出した。
益尾は真昌の様子を横目に見ながら、スマートフォンを取り出した。番号をタップし、耳に当てる。
「吉井(よしい)、三班到着した。現況は?」
益尾が訊く。吉井は益尾の部下だ。
──やっこさんら、最上階の事務所に全員顔を揃えていますよ。
「わかった」
益尾はスマホを握ったまま、運転席左に取り付けてある車載無線機のマイクを取った。
「こちら、益尾。二分後に着手する。全員、配置に付け」
命令を下すと、マイクを前席の刑事に渡し、車を降りた。真昌も降りる。前席にいた刑事たち二人も降りてきた。
「よろしく」
益尾が言うと、前席から降りた二人の刑事は首肯し、ビルの方へ走っていった。
ビルの出入口は正面玄関と裏の非常階段しかない。正面から五名、非常階段から五名の刑事が同時に最上階まで上がり、一斉に事務所へ踏み込む。
左手の並びのビルは高さも同じで、隙間は狭い。そのビルの屋上には所轄の警察官を五名配置している。
他の警察官はビルを取り囲むように路上に待機し、益尾たちが踏み込んだ後、各階の踊り場に上がり、下への逃走経路を塞ぐことになっている。
益尾と真昌は、少し離れた場所で全景を見ながら、幹部たちが逃げないか監視する役目だ。益尾は現場の状況を見て、的確に指示を下す役目も担っている。
益尾の手には、携帯無線機が握られていた。
「俺も行かなくて、大丈夫ですか?」
ビルの方を見ながら、真昌が訊く。
「君は沖縄県警から預かっている人だからね。さすがに現場への踏み込みはさせられない」
「平気ですよ」
「君は良くても、こっちが困る」
益尾が苦笑する。
刑事たちが時間通りにビル内へ踏み込んでいった。所轄の制服警官が続く。
真昌はその様子をじっと見ていた。
「真昌、この場合、犯人の逃走経路で考えられるのは?」
益尾はビルに目を向けたまま訊ねた。
「正面玄関、非常階段、屋上から隣のビルへの移動、途中階のフロア、もしくは部屋からの隣ビルへの移動、低層階では窓からの飛び降り、ロープ等を用意していれば、壁伝いに降りてくる、といったところですか」
真昌が答える。益尾はうなずいた。
「いい見立てだ。注意する点は?」
「ビル周辺の状況、ですか」
「そうだが、何に注意する?」
話していると、車が何台か脇を過ぎていく。一台はSUV、もう一台は廃材を運ぶようなトラックだった。
真昌は少し避(よ)け、車を通した。おがくずの匂いが漂い、立てた板の隙間から綿埃(わたぼこり)のようなものが舞って、真昌と益尾の顔にまとわりついた。
車は通りを進んで、ビルの裏側に左折して消えた。
何に注意をするのか考えていると、益尾が突然、車に向かって走った。
「真昌、乗って!」
益尾が言う。
真昌は急いで車に戻り、助手席に乗った。シートベルトをしていると、益尾が車載無線機のマイクを取った。
「こちら、益尾。地上班、今しがたビルの裏手に回ったトラックとSUVの進路を塞げ。吉井、急いで踏み込め!」
命じると、益尾がエンジンをかけた。
「どうしたんですか!」
「組対部が扱う犯罪者は、時に、こちらが予想しない手段で逃走を図ろうとする」
益尾はギアをドライブに入れて、アクセルを踏み込んだ。スキール音と共に白煙が上がり、車が急発進する。
真昌は思わず、ドア上に取り付けられている手すりを握った。
直進して、ビルの角を左折する。トラックとSUVは、ビル壁にぴたりと張り付くように停車していた。
その周りをパトカーが三台、取り囲んでいる。
SUVから男が三人ほど降りてきて、いきなり三台のパトカーの運転席に近づき、なにやらまくし立てている。
益尾はトラックの側面に並んでいるパトカーの横に車を停めた。窓から顔を出し、ビルの上を見る。
真昌も同じように窓を開けて、上を見やる。驚いて、目を見開いた。
最上階の窓が開いていた。窓枠から男が姿を見せた。足をかけ、飛び降りようとしている。
「真昌、トラックのドライバーを押さえてこい」
「了解!」
真昌はシートベルトを外すや、車外へ飛び出した。トラックの運転席へ走る。手には伸縮警棒を握っている。
トラックのタラップを踏んで、伸び上がると同時に、伸縮警棒の尖端をトラックの窓ガラスに叩きつけた。
一瞬にして、窓ガラスが真っ白になるほどひび割れた。
もう一度、伸縮警棒で殴る。窓ガラスが粉々に砕けた。
真昌は警棒を離した。ストラップが手首にかかり、ぶら下がる。窓枠に手をかけ、警棒がぶら下がっていない左手を運転席に突っ込んだ。
上体を伏せていたドライバーの襟首をつかむ。
「警察だ! 降りてこい!」
真昌が警棒をぶら下げた方の手を、ドアロックのスイッチに伸ばそうとした時だった。
助手席の外国人が起き上がった。手に、黒い塊を持っている。
いきなり、発砲音が轟(とどろ)いた。
それを合図に、パトカーに群がっていた三人の男たちも懐に手を入れ、銃を引き抜いた。
真昌はとっさに頭を引っ込めた。飛び降りて後転し、立ち上がる。
トラック内にいた外国人は、二発、三発と連射した。
男がビルから飛び降りた。ボスッという音と共に、トラックが揺れる。
真昌はとりあえず、すぐ近くのパトカーの運転席に銃口を向けている男の下に走った。走りながら伸縮警棒を振り出す。
気づいた男が、銃口を真昌に向けた。
真昌は背を低くし、下から警棒を振り上げた。男の腕を警棒が打つ。男の腕が跳ね上がり、暴発音が轟いた。
真昌はがら空きになった懐に警棒を突き入れた。同時に男の右腕をつかむ。男が呻き、前のめりになった。
「日本で銃をぶっ放してんじゃねえよ!」
左膝を振り上げる。膝頭が男の鳩尾(みぞおち)にめり込んだ。男は目を剥き、息を詰め、その場に崩れた。
真昌は銃をもぎ取って、手を離した。男が足元に沈む。
複数の銃声がした。真昌はとっさに奪った銃を構えた。
他の二人の男が路上に転がっていた。見ると、益尾が男たちに銃口を向けていた。
益尾は二発で、男たちを仕留めていた。パトカーから出てきた警察官が、倒れた男たちを拘束する。
また、トラックが揺れた。誰かが飛び降りたようだ。
真昌は銃を握ったまま、再びトラックに駆け寄った。
すると、トラックのエンジンがかかった。
「バカ野郎! 出す気か!」
最上階の窓枠には、男が身を乗り出していた。
しかし、サイドミラーで真昌を確認したドライバーはアクセルを踏んだ。
トラックが動き出す。最上階の男が飛んだ。
「停まれ!」
真昌が猛ダッシュした。その横をすごいスピードで車が横切る。益尾だった。車は二百七十度回転して、トラックの行く手を塞いだ。
「益尾さん!」
真昌が叫んだ。
トラックのフロントが車の側面にぶつかった。スピードが出ていなかったからか、トラックのタイヤが少し車に乗り上げて、止まった。
その荷台に飛び降りた男が落ちた。
真昌はトラックに走った。運転席のドアを開けると、銃口を向けた。
「降りてこい、こら!」
真昌は怒鳴った。
ドライバーは真昌の迫力に気圧され、両手を上げた。
腕をつかんで、引きずり下ろす。ドライバーはそのまま路上に倒れた。そこに制服警官が駆け寄り、拘束する。
タラップを上がり、助手席に銃口を向けた。
「ぶちくるさるんどー、やー!」
思わず、島言葉が出てしまう。
助手席の男は銃口を真昌に向けた。真昌は迷わず発砲した。助手席側のドアが砕ける。
男は首を引っ込め、たまらず両手を上げた。真昌は腕を伸ばし、男の手に握られている銃をもぎ取った。
助手席側のドアが開いた。制服警官が男を引きずり出す。
真昌はすぐさまタラップを降りた。
「益尾さん!」
車に走り、運転席を見る。エアバッグが開いているが、運転席に益尾の姿はない。ドアが若干開いている。
「益尾さん!」
「ここだ」
益尾の声がした。
トラックの下を覗く。
益尾は路上にうつぶせていた。顔を起こし、真昌に目を向ける。
「トラックの側面に回ると同時にドアを開いて飛び降りたんだけどね。いやあ、危なかった」
益尾が微笑む。
「危なかったじゃないですよ......」
真昌は力が抜け、その場に座り込んだ。
次々と所轄の応援がトラックの周囲に集まる。荷台に飛び降りた幹部たちも拘束されていく。
ビルの上を見上げると、飛び降りようとしていた男が吉井たちに捕まり、部屋に引き戻されていた。
益尾がトラックの下から出てきた。スラックスが少し擦り切れ、上着も汚れてはいたが、怪我はほとんどなかった。
真昌も立ち上がる。
「申し訳ない。一番危険な現場に立ち会わせてしまったね」
「いえ、このくらいは平気です。それより、なぜこのトラックとSUVが怪しいと思ったんですか?」
真昌が訊いた。
「綿埃とおがくずの匂いだよ」
「どういうことです?」
「家庭用廃材を運んでいるなら、マットや布団の綿埃だけが舞う。おがくずを積んでいるなら、建築廃材。その二つを同じ荷台に載せているのはおかしな話だ。建設現場で仕事をしてきて、引っ越しを手伝ったようなものだからね。であれば、目的は一つ。クッションに使うため、マットやおがくずを荷台に詰め込んだ」
「一瞬でそこまで!」
真昌が目を丸くする。
「もちろん、確証はなかったが、可能性があると感じた時には即座に動く。組対部が相手にする犯罪者は手練(てだ)れも多い。一瞬の遅れが逃走を許したり、自分の身を危険にさらしたりする。外れてもかまわないから、感じた時には動くことだ」
益尾が言う。
真昌は深く首肯した。
Synopsisあらすじ
伝説のトラブルシューター「もぐら」影野竜司の血を引く竜星は、自らを見つめ直す旅に出た。
だがその後ふいに消息を絶ち、安否不明となっていた。
同じ頃、裏社会ではある噂が知られるようになる。
リュカントロプル(狼男)が違法売春組織を襲撃、
構成員を半殺しにし、女性を掠っていくという――。
最強のハードバイオレンス・アクション
新たなる「もぐら」伝説、ここに開幕!
Profile著者紹介
1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が120万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『死してなお』『紅い塔』『AIO民間刑務所』などがある。
Newest issue最新話
- 第9回2025.01.13