新もぐら伝 ~狼~第7回


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 真昌(しんしょう)は益尾(ますお)と共に千葉県警成田中央署を訪れていた。
 二人は会議室で、ヤングツアラーの宿泊所で起こった暴行事案の捜査を担当していた山野辺(やまのべ)警部補を待っていた。
 長テーブルを二つ合わせた席の左側に、二人は座っていた。
 と、ドアが開いた。
「いやあ、すみません。お待たせしました」
 山野辺は顔が隠れるほどの大きさの段ボール箱を抱えて入ってきた。
 真昌はすぐさま立ち上がって、山野辺に駆け寄り、段ボール箱を受け取った。
「いやいや、申し訳ないね」
 山野辺が手を放す。ずしっと腕と腰にかかる重みを真昌は支え、テーブルの端に置いた。
 山野辺は腰をさすっていた。歳の頃は五十代後半か。小柄で、少しだぼっとしたスーツを着て、黒縁眼鏡をかけた、一見野暮ったい男性だった。
「いやあ、歳を取るといかんな」
 山野辺はテーブルに手をつきながら、益尾の対面に回った。
「いえ、すごいです。この段ボール、二十キロは超えていると思いますが」
 真昌が言う。
「力仕事は若い頃からさせられていたからな。たかだか二十キロで腰に来るようじゃ、情けない」
 笑いながら、パイプ椅子に腰を下ろす。
「山野辺さん、忙しいところ、手間取らせてすみません」
 益尾は立ち上がって、一礼した。
「いやいや、益尾君の頼みとあらば、聞かにゃならんだろう」
 山野辺は右手を縦に振って、座るよう促した。
「そっちが沖縄県警の安里(あさと)君だね?」
 真昌を見やる。
 真昌は立ち上がって直立した。
「沖縄県警刑事部組織犯罪対策課に勤務しております、安里真昌でございます! よろしくお願いいたします!」
 部屋に響く大声で自己紹介をし、腰から上体を倒した。緊張しすぎて勢いがついてしまい、天板で額(ひたい)を打つ。
 真昌は、うっ、と小さく呻いたが、何事もなかった顔をして上体を起こした。
「元気があってよろしい」
 山野辺は笑い、訊いた。
「楢山(ならやま)さんは元気か?」
「楢さん......いえ、楢山先輩をご存じなんですか?」
「わしが捜査支援室にいた頃、広域捜査の要請でよく楢山さんには連絡させてもらった。楢山さんは顔が広いんでな。各署に話が通しやすかった。自分が引き受けると言って、暴れたこともあったがな」
 山野辺が笑う。
「僕もそれに巻き込まれた一人。けれど、おかげでこうして山野辺さんとも懇意になれた。縁というのは大事にしなければいけないね」
 益尾も笑った。
「山野辺警部補は、捜査支援室においであらせられたでございっ!」
 舌が絡まり、噛んでしまった。思わず、口元を押さえる。
「そんなに緊張せんでもよろしい。普通にしゃべりなさい」
「すみません......」
 真昌は小さく頭を下げた。
「楢山さんは相変わらずか?」
 山野辺が改めて訊く。
「はい。ですが、やはり歳なりといいますか、今は無茶なトレーニングもしなくなりましたし、稽古でも脇で見て指導することが多くなりました」
「そのくらいでちょうどいいな、あの人は」
 山野辺が笑った。真昌の顔にも笑みが滲む。場が和むと、真昌の双肩からふっと力が抜けた。
 顔を上げると、部屋全体がよく見えて、山野辺の顔もはっきりと映る。
 部屋にホワイトボードとスチールケースがあったことは気づいていたが、ホワイトボードの後ろにあるコピー機や部屋の端の机に置かれているノートパソコンや電話には気づいていなかった。
 そこまで視野が狭窄(きょうさく)していたのだが、少し話すだけで、山野辺は真昌の緊張を解いた。
 すごいな......。
 真昌は思った。
 自分がガチガチに緊張しているのを見て、すぐさま場が和むような話をチョイスし、自然な流れで話して、真昌の緊張をほぐした。
 力の入っている相手を前にすると、対峙した方も力んでしまう。相手の警戒を解くには、緩い空気感を漂わせることが必要だ。
 そうした空気を醸し出すには、自身に余裕がなければ難しい。
 山野辺は数々の現場を踏んでいく中で、胆力を得たのだろうと感じていた。
「安里君、段ボール箱の資料を出してくれるか?」
 山野辺に言われ、真昌は立ち上がった。
 分厚いファイルホルダーが十冊も出てきた。背表紙には<ヤングツアラー関連>と記され、数字が書かれていた。
「すまないね。どうにも古い人間なもので、紙の資料の方が見やすくてねえ。ホルダーがこんな数になってしまった」
 山野辺が苦笑する。
「いえ、印刷されたもので見ると、思わぬポイントを発見することもありますから。デジタルとアナログを併用することは大事だと思います」
 益尾が言う。
「まあ、とりあえず、好きなナンバーからザッと目を通してくれ。一応、時系列順に1から並べているが、どこから見ても事案の全体像はつかめる」
 山野辺は言った。
 益尾は真昌に1を渡し、自分は最後の番号から見始めた。
 真昌は現場の写真を見て、厳しい表情になった。
 家財道具からテーブル、ソファー、コップやボトル、窓ガラスやドアに至るまで、破壊されていた。象の大群が踏み荒らしたあとのようだ。
 壁やフロアに血が四散し、人の形がそのままついているところもある。
 一方、結論から見ていた益尾が目に留めたのは、複数の証言から、男性の単独犯行と思われるという一文だった。
 真昌が開いているページに時折目を向けるが、室内の状況を見ると、複数人で金属バットを振り回したと判断してもおかしくない状況だ。
 だが、成田中央署は〝単独犯〟と断定していた。
 その前のホルダーを見てみる。単独犯と判断したのは、現場に残された靴底の型と、その場にいた女性たちの証言、倒されたヤングツアラー関係者らの証言から、そう断定したようだ。
 さらに前のホルダーを見ると、ヤングツアラー関係者の証言が記されていた。
≪その男は、不意に入ってきたと思ったら、問答無用に強烈なアッパーで仲間の顎(あご)を壊し、飛び跳ね、強烈な蹴りでまた仲間を倒した。
 男の動きを追えないまま、右往左往しているうちに、自分の前にもそいつは現われ、強烈なボディーフックを叩き込んだ。
 内臓が破れたかと思うほど、すさまじいものだった。
 両膝を落としたら、髪の毛をつかまれた。その時、血走ったケダモノのような目を見て、動けなくなった。
 そして、顔面に膝蹴りを喰らい、意識を失っていた≫
 また、ある者は、次のようにも語っている。
≪人が飛んできたと思ったら、仲間が血を吐いてぶっ飛んでた。
 また飛んできたと思ったら、フードをかぶった見知らぬ男だった。
 敵だと気づいた瞬間、どこをどう殴られたのかわからないまま、倒れていた≫
 前のホルダーを開くと、女性たちの証言が載っていた。
≪いきなり何かが割れる音がして、怒鳴り声が聞こえてきて、怖くて小さくなっていたんだけど、みんなが部屋を出るので見に行ったら、会社の人たちがどんどん倒れていった。
 その真ん中に、スラッとしたフードをかぶった人がいたんだけど、息苦しくなるほど雰囲気というか気配がすごかった≫
≪突然、何かが壊れる音がしたんで、部屋を出て一階を見に行ったら、パーカーの男の人が暴れてた。
 希美(のぞみ)ちゃんが止めようとして、雑誌を持って叩いたんだけど、その雑誌が弾かれて。
 でも、希美ちゃんがその人と何かを話していて、そのあとすぐ、希美ちゃんが逃げろと言った。
 何かわからなかったけど、何かヤバい感じがしたんで、みんなで逃げた≫
「希美ね......」
 他のホルダーを取って、ぱらぱらとめくってみる。
 当時、成田空港付近の宿泊所にいた女性たちの名簿があった。
 指でつつつ......と辿り、トンと叩く。
「山野辺さん。この鎌田(かまた)希美という女性は?」
「まだ、見つかっていないんだよ。女性たちと逃げ出したそうなんだがね。やはり彼女に目を留めたか」
 山野辺が笑みを滲ませる。
「実家には?」
「行ってみたが、彼女はここ三年、家に帰っていないようだ」
「しかし、渡航を予定しているなら、パスポートが必要ですよね」
「十年パスポートを取得していたようだね。それが実家や現在一人暮らしをしているアパートになかったので、持参しているのだろう」
「なるほど。この子、調べさせてもらってもいいですか?」
「ああ、お願いするよ。うちも人が足りなくてな。警視庁の敏腕が協力してくれるのは心強い」
「山野辺さんほどじゃないですよ」
「オヤジの褒め合いはくすぐったい」
 山野辺は笑うと、立ち上がった。
「ここは使ってくれていいから、好きなだけ資料を読み込んでくれ。必要な個所があれば、適当にコピーしてくれ」
 ホワイトボードの後ろにあるコピー機を目で指し、部屋から出て行った。
 真昌は立ち上がって再び深く礼をすると、すぐさま座って、ファイルにかじりついた。
「こらこら、もっとゆったり眺めないと」
「一言一句、見逃さないようにと思って」
 真昌が言う。
 益尾は曲がった背中を平手で叩いた。
「いっ!」
 たまらず、背筋を伸ばす。
「まずは全体を俯瞰(ふかん)する。そのためには上から眺めなきゃならない。そのあと、気になったところを細かく見る。すべての捜査の基本だ。初めから細部に囚われると、見えたはずのものも見えなくなる。手順を間違えるな」
「すみません......」
 真昌がうなだれる。
 益尾は笑って、声をかけた。
「今から指示をするから、コピーを取ってくれ」
「わかりました」
 真昌は立って、ホワイトボードをずらし、コピー機の電源を入れた。
「まずはこれの5ページから」
 益尾は真昌にホルダーを渡した。

新もぐら伝 ~狼~

Synopsisあらすじ

伝説のトラブルシューター「もぐら」影野竜司の血を引く竜星は、自らを見つめ直す旅に出た。

だがその後ふいに消息を絶ち、安否不明となっていた。

同じ頃、裏社会ではある噂が知られるようになる。

リュカントロプル(狼男)が違法売春組織を襲撃、

構成員を半殺しにし、女性を掠っていくという――。



最強のハードバイオレンス・アクション

新たなる「もぐら」伝説、ここに開幕!

Profile著者紹介

1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が120万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『死してなお』『紅い塔』『AIO民間刑務所』などがある。

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